731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!!

東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『ヒロアカ』騒動で集英社がお詫び(731部隊の新資料)
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
ABC企画委員会パネル展2019中野
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記





有機フッ素化合物の汚染を知る学習会


731部隊の行なった細菌戦


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題





●日本は、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?ソ連(今のロシア)や中国なども研究しているだろう。
生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??

世界で「非常に高い」に引き上げ WHO、新型ウイルスのリスク


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
この新型コロナウィルスはどこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・
新型ウイルスで「陰謀論」 米高官、ロシアが偽情報流布と警告
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説
731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
中韓からの入国制限始まる ビザ無効、待機要請も

新型コロナ大流行なら病床不足 国、医療体制の整備要請

新型コロナは長すぎる安倍政権のメッキを剥がしてくれた/倉山満

韓国からの入国規制、安倍政権の拙速が招いた「怒りと混乱」全内幕

【点描・永田町】「政権の守護神」定年延長の“怪”

近畿財務局職員の三回忌に森友事件の本丸を考える

安倍総理「茶番」会見を変える 署名活動に込めた新聞労連委員長の覚悟

日比谷線事故20年 東京メトロ

クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号はカジノ船。

大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2020-03-06)




●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

5. 印象的なのは731部隊。(女、70、市内、地区センターなどのチラシ)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
42、「ひろしま」ようやくスクリーンで観られた事に深い感銘を受けています。昨年NHKEテレで深夜枠で一度「ひろしま」が放映された際は、深夜の為に見逃してしまい、いつ再放送されるのかと思いつつ今回友人より横浜情文ホールでのスクリーン上映があると聞き、心騒ぎながらも幻の作品を観る機会を得ました。戦後まもなく作りたい作品を自分達で製作しようと立ち上がった独立プロの信念とも思える「ひろしま」は出演者、スタッフ、エキストラとして参加した88000人の方達の戦争=反戦が映像を通して私達観る者を呆然とさせる阿鼻叫喚の様子をあます隠さず映し出された迫真のシーンの数々はこれからも私達が決して忘れてはならない戦争の悲惨を後世に伝えていく事は使命ではないかと考えさせられる作品でした。
(男性・60代・葛飾区・友人)


●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店


Ⅱ 中支・寧波(ニンポー)細菌戦出動始末
-元千葉班・工務班 H・F

いつもとは違う「出張」命令
早速、宿舎の割り当てがなされ、器材が車から降ろされた。本隊が到着してから、1週間ぐらいは、荷物の整理に忙殺された。
本隊の到着以後、基地の警戒が厳重になった。1つしかない出入口には、着剣した銃を持った歩哨が24時間、立つことになった。ロープを張った基地の周囲にも、同じように、数名の歩哨が交代で配置された。





●日本は、日中戦争国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第11章 今も続く毒ガスの被害
松花江にも毒ガス砲弾
この一連の動作にかかった時間は3分にもならなかったという(後で、船員たちはそれが有毒であることに気づき、川に投げ捨てた)。続いて船員たちは石油、機械油、石鹸などで体の水に浸った部分を何度も洗った。当時、彼らのうちの誰も、このわずか3分足らずの出来事が、彼らや彼らの肉親に大きな災難をもたらすとは夢にも思わなかった。
ちょうどポンプの蓋を戻し、作業を再開しようとしたとき、中毒症状が現れ始めた。李臣さんは肖さんに、「どうも我慢できない。目まいと吐き気がする」と言った。







●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

ハルピン市人民政府公安局の第731部隊の状況に関する調査資料(1954年3月15日)
三、解剖室と焼却炉の調査
双城県周家区平安村人人民の731部隊犯罪行為告発記録抄録
村政府代表:1941年から、731部隊はわが村において労働省を強制徴用した。それまでは常雇を募っていた。労働者の徴用は1年に2回あり、毎回80人が徴用され、1回の期間は6か月だった。労働者は場内の労務班の管理下に置かれた(班長は工藤勇夫中将)。労働者の生活は家畜同然で、何かにつけて殴られた。






70年間の沈黙を破って

―ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪声明
(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー会長の談話
「ナチ時代の精神医学―回想と責任」(邦訳)
岩井一正
70年の空白を遅きに失したと非難することはたやすい。2世代以上にわたる歳月の流れのなかで当事者はとっくに死に絶え、糾弾されるべき個人の輪郭も鮮明さを失っている。もっともDGPPNの批判の矢は、個々人よりも、自らに向けられたものである。伝統ある一組織の今日的な機能として、歴史的あやまちを認め、引き受けようとのDGPPNの今回の態度表明によって、当時の学会や個々の精神科医をナチのイデオロギーの一方的な被害者として位置づけてきたこれまでの姿勢は完全に棄却された。そして、より広い時代背景を視野におさめた客観的立場からさらに詳細な事実解明をする方向性が示された。我々にとっても参考にできる態度ではなかろうか。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
4月23日14:00~東京地裁419号法廷

桜を見る会”や”森友””防衛省の日報”等で公文書の廃棄や改ざん、隠蔽などが問題になっているかが、『衛生学校記事』・『化学学校記事』での防衛省の公文書管理は一体どうなっているのだろうか?

4年前には、不要決定簿冊というのがあったという。それには、廃棄するものには、2重線が引かれていて、不要決定という印が押されていた。ところが今回閲覧した図書原簿には、2重線だけしかなかった。
これで『衛生学校記事』というのが本当に廃棄されたのかどうか??4年に間にシステムが変わったのか?

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所が衛生学校から金原資料の全部を移管したようだ。1996には、その資料の中で価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻したようだ。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に設置されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。毒ガスや生物兵器を指すのだろうか?

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●「化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

BC兵器』 久保綾三著(1969年)より

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

3 自衛隊における人体実験の疑念

自衛隊赤痢菌検査の疑惑

それは、あるいは野営や、訓練中の食事をどこでとったかということも確かめなければならないし、その感染経路が問題であろう。当時、彼らが野営訓練を行なった場所が、もしも赤痢が発生している周辺で行われたとしたら、意識的に赤痢菌曝露を目的としてその計画が立てられたとみられないこともないからである。もしも、可能性としてだけならば、そういうことは常識でありそうにもないことなのだが、この実験を成立させるために、赤痢菌を意識的に投与するするという場合も想定できないことではない。


第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第11章 真珠湾への道


松岡、豊田、東郷の3外相の下で行われたハル=野村秘密会談の全過程を通じて、陸相海相、外相は保留、つまり誰も譲歩せず、意見の相違に決着をつけずに取り繕うという政策決定を行ってきた。これら3相はたがいに牽制しあい、一方で、とりわけ陸軍は意味ある譲歩をすることがなく、新たな行動パターンを提案して信頼醸成につながるような方向で動くこともなかった。3相はともに、日本軍の中国駐留を認めている傀儡の汪兆銘政権との既存の合意である「日華基本条約」に執着した。さらに重要なことは1941年末においても官僚的な対立と縄張りは、けっして再編統合されることがなく、彼らは身動きができなくなってしまっていた。戦争という方針にだけ向かって動きつづけることしかできなくなっていたのである。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

最大の影響を与える太陽の活動
宇宙線によって生まれる凝結核とは、大気中に浮遊する固体、あるいは液体の微粒子(エアロゾル)のことで、これがあることによって、水蒸気が凝結して雲の水滴をつくるのだから、これもまた、万人に認められる正しい科学論である。しかし丸山教授はさらにその理論を進め、この宇宙線の地球への入射量は、地球の磁場の強さに反比例するので、地球の磁場が強くなれば、雲ができにくくなり、気温が上がる、ところが現在は地球の磁場がどんどん小さくなっているので、雲ができやすく、「地球は寒冷化に向かっている」と主張するのである。私は、この後段の寒冷化説には、納得していない。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。


核実験の禁止
大気圏内で行う核実験は、大気中に放射性物質が飛散することになるため、これを禁止する国際条約が締結されることになった。1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT) が締結され、同年中に発効した。この条約には100ヶ国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。フランスや中華人民共和国は署名していないが、後には大気圏内核実験を取りやめた。PTBT自体は、実験の規模や回数を制限していない。アメリカ合衆国ソ連は1974年に地下核実験制限条約(TTBT)を締結、1976年には平和目的地下核爆発制限条約を締結し、地下核実験における核出力を150ktに制限し、相互に検証することに合意したが、これらの条約の発効は冷戦終結後の1990年までずれ込んだ。



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ




JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!