細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)

 

 

 



 

 

 

 

 



 


          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 



 



 


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の主犯ではない。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 




検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)


序章 ある発見

 


 結核予防というと、BCG接種である。BCG接種は、戦前戦後強制的に行われてきた最大の予防接種である。

 


 BCGの結核予防効果について議論するとき、いつも文献や教科書に医学的根拠として引用されていたのが、日本学術振興会第8小(結核予防)委員会の報告書であった。

 


 私はこの原本のコピを、1993年8月、札幌医大の図書館を通して、財団法人結核予防会から取り寄せた。

 


この報告書の解読が、私の人生最大の仕事になろうなどとは、このときには夢にも思わなかった。

 


 報告書は、1943年8月、財団法人結核予防会から出版された、日本学術振興会第8小(結核予防)委員会の『結核予防接種に関する報告書』【岡治道(はるみち)自家用】である。

 


 本学術振興会とは、1932年天皇からのご下賜(かし)金(150万円)をもとにできたもので、経済不況からの脱出と富国をめざすことを目的に、すべての研究の促進を図るためにつくられたものであった。

 

 



 


       伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

          
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?



今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?

作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。麻生が国会で発言したのは何か日本は知っているのか?

 



 

 


コロナ死者少ないのは「民度が違うから」 麻生太郎氏



生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏にアメリカ、中国、ロシア、日本などで研究開発しているのだろう??

中国もロシアもアメリカも細菌戦の事は厳しく裁かなかった!!

埋もれた細菌戦調査書

 



 


  • 細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

    「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

    本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


731部隊訴訟 第1審判決をどう見るか(『世界』2002年11月号)

 


                       土屋公献

 


判決をいかに評価するか

 


 今回の判決は、最大かつ究極的な第1の目標には到底及ばないものであり、この点では失望を禁じ得ず、又原告らや中国の人々の強い怒りを買うものであった。

 


 しかし第2の点ではある程度、第3の点でも半分程度、第4の点ではほぼ満足すべき結果が得られた。それにしてもこの事実認定が、原告の主張する「立法不作為」論を検討する前提として、その必要限度で行われているという形をとったことには意外であった。もし「立法不作為」を持ち出せなかったらこの事実認定が省略されてしまったのであろうかとの疑いを抱かせるからである。それはともかく、裁判所が初めて細菌戦の実行行為、被害者の存在を明確に認めたことの意義は極めて大きいと考える。

 

 



 


           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 


           

 


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 



 


核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!


  どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??

●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!

このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?

もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。

中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?

中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。

 なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

 

 

 


第2次補正予算は誰のものか!?政府・自民党の提言内容が危うい理由

 



 

 


政府「火消し」も募る疑念 コロナ予算問題続出

 



 



 

 


2次補正、10日衆院通過 予備費5兆円の使途明示へ

 



 

 


自衛隊員の「テンピン停職」知りながら…法務省、黒川氏処分の「参考にせず

 



 

 


市民75人が黒川氏を刑事告発「立件しないのは素朴な疑問」「主権者の神経を逆なで」

 



 



 


http://no-military-research.jp/wp1/wp-content/uploads/2020/05/NewsLetter_No44.pdf



福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!
河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??

地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-06-05(文化放送)










  • パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

 

 


手 2.村瀬さんの写真が非常にクリアで現実感がありました。写真35、で慰安所に関するキャプションで兵士が「ときめく」という言葉にとても違和感を持ちました。「ときめく」という肯定的な言葉をたとえ説明でも使ってほしくありません。・100部隊についてはよく知らなかったので勉強になりました。地図(全体の中のどの辺に位置したところのものかわかる)や年月日がパネルでわかるともっとよく理解できるのでは?その意味では毒ガス戦のパネルが分かり易かった。(女、70、市内、知人から)

 

 

 

 

 


            

 

 



  • 映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
    ( )は性別・年代・住まい・情報


31、私は「米国の原爆投下の責任を問う会」という会に参加しています。本日の映画を見せていただきしっかりとこの事を取り組んでいかないと思いました。ありがとうございました。

 


(女性・70代・東京都・チラシ

 




日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731) 

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける


とにかく、すごい、ものすごい臭気であった。ふと辺りを見回すと、千葉出身の見知った顔があったが、不思議なことに7棟・8棟勤務の特別班員の顔は見えない。彼らの大半は、「丸太」の処理からは、はずされたのだろうか。

 


 この「丸太」の処理は、731部隊の証拠湮滅の中でも、特に完璧になされねばならなかった。「丸太」が存在していたという証拠は、跡形もなく消滅させねばならなかったのである。

 


 焼き尽くされた「丸太」の骨は、穴の底や鉄棒の上に山積していた。この骨を、ここに放置したり、埋めたりするわけには、絶対にいかなかった。

 


 




・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

黒龍江省人民による日本軍細菌戦の犯罪行為摘発資料の抄録


(安達実験場について)

 


1944年から45年にかけて、日本軍が合作社を通じて民衆から麦、高粱、トウモロコシ、烏米(黒穂病にかかった高粱の結実する前のめしべ。皮をむいて食べる)を徴発したため、佟家屯の女は烏米摘みのせいで手の皮が擦り切れてしまった。富本村の学校に対しては、1組につき100斤(1斤は0.5㎏)の麦と烏米を徴発した。日本軍は安達県の南郊外に5垧(1垧は東北では普通15畝、約100アール)の麦畑を作って、麦畑を壊滅させる実験場にし、麦の穂が膨らむと、学生に命じて薬液を接種させた(1歩おきに1株か2株注射した)。その後すべての麦が黒穂病になった(麦の粒が黒くて硬くなる)(富本村教師及び呉殿有の証言)。(1)149、3、第4~6頁

 


*原注:本文は1950年、東北人民政府衛生部が整理したものである。

 


 

 


 

 


 



  • 毒ガス戦
    ・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
    第1章 毒ガス兵器の研究と開発


3、ドイツ軍の技術を吸収した毒ガス兵器開発

 


ドイツの科学者から毒ガス技術を吸収

 


陸軍科学研究所第3部は、防御手段を整えるだけでなく、戦争に勝つためには新しい毒ガスによる奇襲を考えておく必要があるとして「化学戦は国家の全知全能を必要とす」とし、日本軍の作戦・戦闘方式については、「開戦初頭より化学戦を行ふものとす」ることや、歩兵や砲兵など「各兵科に於いて〔毒ガスを〕徹底的有効なる如く使用す」ることなどを仮定した」(陸軍3等軍医正松村桓「陸軍科学研究所化学兵器講義抄録」陸軍軍医団『化学兵器講習録』)。毒ガスの研究が非常に積極的な方針で進められていたことがわかる。そして、毒ガス研究を促進するために外国人の科学者からその知識を吸収することにした。



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章 癒しがたい傷
毒ガスの焼却


大量のあか筒は海に投てきされず、島にある元の防空壕の中に置かれ、海水を引いて腐食させた。島にはなお多くの発煙筒が残されていた。当時の処理法は火を付けて燃やすことだった。近くの小久野島に点火場が設けられた。

 


 毒剤を処理するのと同時に、大久野島では毒ガス工場の施設や建屋の処理も始まった。第1ステップとして順次各工場の装置を取り外すことだった。イペリット工場の設備はほとんどが鉛で造られており、硬度が比較的低かったから、取り外しも割合容易であった。しかし真空蒸留装置の取り外しは大変難しかった。周囲がコンクリート構造で囲まれていたため、爆薬で爆破するしかなかった。残った鋼鉄の基礎部分や工場の鉄梁などは、高温のアセチレンガスで切断した。取り外した各種部品は皆空地へ運ばれた。

 


 

 

 



 

 

 


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題



●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)


細菌戦ー731部隊の蛮行

 


 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長

 


(略歴〉

 


1939年5月  元関東軍防疫給水部本部731部隊)に入隊

 


1943年3月  退職

 


1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊

 


1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長

 


1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

 


 

 


本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

 


人類であるなら許すことのできない細菌戦を任務としていた731部隊は、ことさら秘密の漏洩(ろうえい)を恐れておりました。本部の入口には『関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず』の立て札が立っており、灰色の3階建ての四角いビルは一見普通のビルと変わりはありませんが、一里四方には深い壕を掘り、高圧電流をめぐらし、常に人の生命を狙う悪魔のうなり声をたてていました。細菌戦首魁(しゅかい)石井四郎は「ドイツ式の『秘密建築法』を採り入れたのだ」とうそぶき、建物の中に中国人民を監禁し細菌実験をもって殺害する2棟の秘密監獄があり、ここを管理する班を特別班と言っておりました。その外の少し離れたところにコの字形の建物があり、ここに2本の滑走路が平房駅の方向に延びており、これが細菌をバラまく航空班でありました。

 



 


 

 



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

 

 



 




 
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。





  • BC兵器』久保綾三著(1969年)
    ※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

    Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

    1、 生物・化学兵器の開発の歩み

    自衛隊員が語る旧軍技術研究


だが、この他にも参謀本部教育総監部の中にも幾つかの独立した臨時の研究機関が人またはテーマによって作られていたようであり、陸軍の研究行政について機能別にみると陸軍省の諮問機関として軍需審議会があるが、その他のは次のようなものがあった。

 

 

 



 


         



第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。




 

 



 

 







昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練



ソロモンからの撤退が進んでいるとき、昭和天皇は撤退作戦を注意深く見守りながら、はるかヨーロッパと北アフリカの情勢を追っていた。そこではドイツ軍、イタリア軍もまた防戦に転じていた。1943年7月10日、連合軍がシチリア島に上陸し、さらに数週間後にはイタリア本土に上陸したとき、ドイツは負けるのではないかという最初の予感を昭和天皇は抱いた。ムソリーニは枢軸国の指導者として最初に失脚し、獄中の身となった。9月8日、イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエレ3世とバドリオ政権はローマから南イタリアに逃れ、連合国に無条件降伏をした。ドイツ軍はローマに進駐した。

 


一夜にして枢軸国は2カ国となり、イタリアの武装勢力は少なくとも理屈のうえでは枢軸国から敵国へと変わったのである。



                    "

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!






731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

海面水位はこれからどうなるか

 

 


ところが現在議論している海水面上の上昇率は、過去100年間の平均で、年間1.7㎜でしかないのだ。10万分の1の変化に目くじらを立てている人がほとんどなのだ。赤祖父氏の著書を見てから、、大変面白いことに気づいたので紹介しておく。

 


 赤祖父氏の著書(2008年)には【図40】のグラフが出ていた。一方、最新のIPCC第4次評価報告書(2007年)には【図41】のグラフが出ていた。お気づきだろうか。IPCCのグラフでは、海水面が一方的に上昇しているとしか見えないが、それは1860年以前の変化をカットしているからである。何を意図してカットしたかは、誰にも分るはずだ。「海水面は高くなり続けているぞ」と脅すためである。



 


構成

 


2017年7月7日に採択された核兵器禁止条約の全文日本語訳は、共同通信社の配信によるものが毎日新聞などに掲載されたが、現在は読めないので、朝日新聞の全文翻訳が読める[10]。外務省の翻訳はない。原文は、英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。

 


 

 


第1条 禁止

 


第2条 申告

 


第3条 保障措置

 


第4条 核兵器の全廃に向けて

 


第5条 国家の履行

 


第6条 被害者支援と環境改善

 


第7条 国際協力と支援

 


第8条 締約国会議

 


第9条 費用

 


第10条 改正

 


第11条 紛争解決

 


第12条 普遍性

 


第13条 署名

 


第14条 批准、受諾、承認、加盟

 


第15条 発効

 


第16条 留保

 


第17条 期間と脱退

 


第18条 別の合意との関係

 


第19条 寄託者

 


第20条 真正の文面

 



 

 



 

 

 


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 



 

 

 



 


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



 


       

 


      

 


原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

 


           

 

 



 



 






           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!