731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

中国侵略戦争
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

    ※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

【日航機墜落事故の真相】

 

日本政府は731部隊の免責の為に、アメリカの原爆威力調査に全面協力する!!

「黒い雨」訴訟 控訴に原告「非常に憤り感じる」(20/08/12)

 

 
 
 
 

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より) 


 
 
 
 
 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

 

 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

第5代伝研所長、宮川米次

 

 長与又郎が、「うつ病」で療養中は、宮川米次が約4年間伝染病研究所を掌握した。

 彼が正式に伝染病研究所の所長に就任したのは、193421日である。このとき彼は49歳であった。

 一方小泉親彦は、同年35日、宮川米次とほぼ同時期に陸軍軍医総督となり、陸軍省医務局長に就任した(50歳)。

 宮川米次はこのときをもって名実ともに、軍の力を背景にして医学界に君臨した。また近衛文麿の主治医でもあり、「時の人」であった。

 伝研の助手、福島伴次によると、宮川は庶民的ではあったが、官僚大学の優等生であったので、「実る稲穂は頭を下げる」などという諺はまったく知らなかったとみえ 目上の人に会ってもあごを引くくせがあったので、だいぶ損をしたようだ。

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

細菌戦裁判第1審判決ドキュメント

                                 ー嵐の4日間ー

                                                      中谷真紀子 (大学生)

8月30日午後4時~新宿障害者センター・市川労働福祉会館

    ー来日中の細菌戦被害者と交流会ー

 

 

 午後4時、訪日団は、新宿障害者センターで、人骨のパネルなどを見て、「人骨問題を究明する会」の川村一之氏より説明を受けた。その後、陸軍軍医学校跡地へ向かった。陸軍軍医学校は、731部隊の日本における施設であった。ここには現在国立感染症研究所が建っている。その敷地にある人骨納骨堂で訪日団は献花を行った。

 

 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 


 

 

 

一月二〇日

 

晴風あり 零下一五度  首山駅付近にて潜伏付候あり  帰隊は八時

 

「ヤイ聞けと言ったら聞け ホウロクやスリバチを景品にやるから」中島が言ふ「緊張緊張」一同言ふ 「陸軍中将大〇位」怪しげな声で 「筑倫とござい。‣・・・ちく・・」首山の南北両信号所にて約30分の潜伏をする 2日前に南信号機に対して運行妨害をした者あり  その矢先とて零下十五度の土の上に身一つ動かさず夜の30分は兵隊商売をやめたくなる。痛くて痛くて手足がしびれる。これも勤めならあきらめよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月29日(水)

9、毎年来場していますが、今年は南京事件に関するパネルが更新されていたように思います。南京の城内・外の地図や問「本当に事件はあったのか?」「なぜ起こったか?」の説明パネル1はとても良かったと思います。平頂山事件についても終戦までは日本軍の目が怖く、口をつぐまざるを得なかったことなどは初めて知りました。この事件についても「否定的な意見(論)があり」、その言い分をもう一度調べたいと思います。植民地朝鮮から「満州」へ渡った朝鮮人移民、植民地化以前、「満州国設立以前」から、日本の影響下にない満州に移り、抗日の場所になっていて、戦時中はその対策として移民政策をとったことなど勉強になりました。ありがとうございます。(60代、男性、横須賀、友人)

 
 
 
 
 
 
 
 

    

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報

98、NHKで見られなかったので、見に来ました。いつか見たいと思っていたところ、たまたま「週刊金曜日」を手に取ってパラパラページをめくっていたところ、記事が載っていた。運命的なものを感じ、埼玉県から来ました。

 この映画の感想は他の人にゆだねることにして、感傷にひたっている場合ではないと思う。

今、日本の現状は、戦争に向かって着々と歩み始めている。阻止するため、行動しなければいけない。(日本のダメなところ、行動しないこと、祈るだけでは平和は来ない)例えば渋谷での若者達の姿を見るにつけ、絶望的になる。

(男性・50代・埼玉県・週刊金曜日

 

 

 

 

 

 日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店


V 私は中国軍の捕虜だった

ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

 

われ、ハルピンを脱出せず

 

 

 

中国は訊問ではなく、思想改造で迫る

 

 

人間は弱い。いったん戦争が起こると、わが身かわいさに、流れに逆らうことはできない。戦争が起きてしまったら、もう遅いのである。戦争は起こしてはならない。
 戦争は、人間を狂気に駆り立てるものである。731部隊もそうであった。冷静になって医者として考えてみれば、あの部隊でやっていた程度の研究に、人間を実験材料として用いなければならない研究などなかったはずである。すべて、動物実験で十分であった。
 とすれば、731部隊で行なわれていた実験は、虐殺のための虐殺といわれても仕方ないのであろう。こんなことがまかり通る戦争は、2度とごめんである。

 

 

 

 

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

 

 

小野寺留吉自筆供述書(1954年9月13日)

1941年9月、大連憲兵隊庶務係曹長をしていた際、特高課特務係の福谷曹長が中国人張某(男35歳)を逮捕した。尋問の後、「特移扱」でハルピンの石井部隊に移送した。移送にあたっては、私が自分で出張命令を起草し、護送者のための用具の手配をした。

 

(1)119‐2、419、1、第5号

 

 

 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 

5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開

 

科学動員の本格化

 

 戦局の悪化に対し、43年8月20日東條英機内閣は、「科学の飛躍的向上を図り戦力の急速増強に資する為之が体制を速やかに整備す」るとして、陸海軍などの要望に不可欠な基礎研究については各種研究機関の機能を最高度に発揮させるために「担当すべき研究機関及び研究者を計画的に動員す」ることを閣議決定した(閣議決定「科学研究の緊急整備方策要要領」)。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

埋めるー中国の毒ガス弾に対する処理

 

隠れた災難はなお消えず

 

 

 

 

 砲弾の発見された地域は、1938年10月に日本軍によって占領されたところで、1945年8月まで、ずっと日本軍の支配下にあった。資料に記載されているところによれば、日本軍はこの地に第21軍をもうけており、そう中には94式迫撃砲を使用する迫撃第20、第21大隊を配した。日本陸軍の規定によれば、こうした迫撃砲大隊は毒ガス砲弾ー「きい弾」ないしあか弾」を発射することができた。このほか、独立山砲10連隊及び20連隊に配備されていた38式野砲、41式野砲、90式野砲も毒ガス砲弾を発射することができた。そして砲弾の発見された貴浦区は、まさに日本の広東における整備部隊(波部隊)の独立歩兵部隊の所在地であり、この部隊の使用した山砲や野砲は、上記規格の砲弾を配備していた。

 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎
分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

 

 それを見た青山は通訳に目配せし、座った中年の男に近寄り、「どうだい、八路の事を言ったら帰してやるかが、言わないかい」と、なだめるように言う。青山の顔を睨みつけると、「鬼子、日本鬼子」鋭い声で叫んだ。連れてこられた農民風の男も何か叫んだ。

「よし言わねえか、最後だ、おい金本」通訳に目配せをする。金本は2人に近寄ると、「歩け」  かすれた声を張り上げた。

 

喚き立てる金本を見上げた2人の中年の男は中腰に立ち、近寄る金本の眼を睨みつけると立ち上がった。金本は体を後ろに引いた。足は地から浮いて震えだした。それを見た青山は「おい高田」「ハイ」返事をすると高田は2人に近寄り、農民の肩を後ろから引っ張った。

 

 

 

 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点

 金原資料2028点の中には『衛生学校記事』89冊が含まれていますが、これは行方不明の中にあると言うのです。しかし、金原資料を破棄した事実もありませんから、防衛研究所から衛生学校に戻って来てからの資料保管の経過を厳密に調査すれば、出てくるはずなのです。

 現在、私達は、裁判で1995年から1996年の金原資料の移管事務を担当した複数の担当者の陳述書を要求しており、近く被告から提出される予定ですし、防衛省の説明責任が求められています(なお次回423日は新型コロナのため延期されました)。 

 

 

 

 

 

 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

 

1 自衛隊の基本戦略

 

分かりにくい犯人

 

 

これまで、核兵器よりも更に恐ろしいと言われる「生物・化学兵器」(BCW) の日本における実態について触れてきた。殺戮規模の大きさと秘匿性、陰惨さにおいて、従来のいかなる兵器も生物・化学兵器に及ばない計画の空恐ろしさをそこに見出すことができた。

 

 

 

 

 

 

 



昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

民衆は勝利だけを信じ本土決戦に備えよ、勝利だけを信じよと勅令で命じられていたところへ、爆撃に加え心理戦でも空から攻撃を受けることになった。しかし、民衆はあくまでも従順だった。7月末から8月にかけて各都道府県知事・警察署長、「特別高等警察」は、内務省に国民の精神が急速に沈滞していることを報告していた。しかし、ほぼ2000ページにもおよぶ報告書の中にポツダム宣言を民衆が受諾する意向は示されていなかつた。86日と9日、広島、長崎にアメリカが原爆を投下した直後でさえ、そして8日のソ連対日参戦の後でさえ、一般の民衆は最後の勝利に希望を託し、そして「神州」は不減であるという信念にとらわれていた。死の軍務に動員された民衆は、集団的な記憶によって、「神風」が日本を救うだろうと考え、戦争継続の意思を維持していた。

 

                    

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

ヒートアイランドと熱帯夜

 

 

 

 

 では、大都市に対して、低人口地域の気温はどのような変化をしてきたのだろうか。【図5】の夏日と真夏日の日数に見る通り、北海道の寿都、大島、八丈島、潮岬、清水(旧足摺岬)、室戸岬など、人間の少ない場所は皆気温が下がっている。アメリカでも、1900年から2003年までのほぼ100年間、田舎では全く気温上昇傾向が見られない。ところが都市部では一直線に上昇している。そのため前述のように、手を加えて田舎の気温データを引き上げる醜悪な調査が行われていた。つまり地球規模で論じられてきた気温変化とは、正しくはヒートアイランドの物語だったのである。 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

 


若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 

核兵器禁止条約

署名国と批准した国

 リビア

2017年9月20日

 

 リヒテンシュタイン

2017年9月20日

 

 マダガスカル

2017年9月20日

 

 マラウイ

2017年9月20日

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

       

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!