731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本

 
 
 

終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

 

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

 

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲悪魔の飽食

 

 

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)

 
 

「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー

 

 

『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

 

きちんと事実を認め、謝罪しない??

 


ユーザーレビュー

 

現代日本映画のベスト

 

 監督の重厚な演出、キャストの演技、意外性があるストーリー展開、メッセージ性、どれをとっても現代の日本映画ではベストとも言える作品だった。特に美術は素晴らしく、作品の風格を醸し出していた。

軍国主義、思想弾圧下の時代背景、登場人物それぞれの決断やエゴイズムに震える。終盤、空襲の戦火の中で「おみごと」とつぶやく主人公の。視線の先にあった阿鼻叫喚の地獄絵図は、音声のみで映像には映らないものの、きっと人間の業のうごめきなのだと思った。売国奴と罵られようと、精神病棟に入れられようと、夫を信じて生きるしかできない主人公はきっと「正常」な愚か者なのだろう。海辺で慟哭する彼女の姿に涙し、嗚咽は呪いのように心に突き刺さる。

黒井秋夫講演会

 



 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

◎ビキニ水爆実験

水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!

 

 

 

 

 

 

 

 

ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために

太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿

操業中止、回避指示をしなかった政府の不作為行為

 

高知地裁で、被告側は「海上保安庁は昭和28年10月10日、官報で、ビキニ環礁付近の海域への立ち入り禁止を告示したと主張し、また昭和29年3月27日にも官報でビキニ海域は、兵器の実験のため非常に危険であるとの告示をする等、本件核実験が行われる以前から 漁船等に周知していた」と主張した。しかし、官報の告示を見る船員は稀であり、船員に周知させるためには、マグロ漁船の拠点基地の関係機関に直接核実験の危険性を説明し、無線を通じで漁船に徹底することが不可欠だ。しかも、3月27日の官報告示日は、2回目の核実験の当日であり、「核実験のため」と記載せず「兵器の実験のため」となっている。これでは、遠洋まぐろ漁船に危険性が伝わらず、しかも周辺海域で操業していた漁船が核実験の影響を回避することは不可能である。 3月16日に、第5 福竜丸の被ばくが明らかになってから、5月まで船体放射能汚染船が98隻と記録されている。全く、船員への避難周知になっていない。事実、マグロ漁船の代表的基地三崎港での、船員への情報通知のための日刊「三崎港報」にすら、前記の官報の危険は掲載されていない。これは、第5福竜丸帰港によって、水爆実験の危険を知りながら、 海域の操業中止、回避指示をしなかった政府の不作為行為そのものであり、漁船員の被災を放置した政治責任は逃れない。

 

*小林六造 

(当時)慶應大教授、北里研究所部長、理事、副所長兼任、

陸軍軍医学校防疫研究室嘱託

(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長、国立癩(らい)研究所長

 

*小島三郎 

(当時)東京帝国大学伝染病研究所教授、

陸軍軍医学校防疫研究室嘱託、

栄1644部隊に1941年と1944年に訪問している。

サルモネラ菌の研究

(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長、文部省百日咳研究班員

 

*宮川正

(当時)731部隊宮川班班長(レントゲン班)、軍医中尉

 

(戦後)東京大学教授、埼玉医科大学教授

 


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1
 


2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

 
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
 

 

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)

 

       
 
                 【日航機墜落事故の真相】
 
今の日本の実態!!




 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 


 

 

 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報

 

雑報

 

学術集談会

9月19日(水曜日)午後1時より所内講堂に於いて学術集談会が開催された。演題並びに演者自抄次の如し

1、細菌溶血毒素の研究 長瀬亀吉君

特異性細菌溶血毒素の本態並びに状性は現今尚充分明らかならず。著者は之を精製してその性状を観察し今後の研究に一基石を加えんとす

Vibrio El Torを少量のOryzamin浸出液を加えたるFrankel氏液に培養し最高溶液値に達したるものに就いて細谷及び田宮氏の毒素精製法に準拠して精製溶血毒素を得たり。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

3章 細菌戦裁判弁護団から

 

判決の法律論は正義に反する

 

土屋公献(731細菌戦裁判弁護団長、元日弁連会長)

判決の中で、法律論の所は、裁判官が国に勝たせようと思えばどんな法律論でも構成できます。正義に味方する法律論、正義に反する法律論、両方あるのです。結論が先にあるのです。裁判所は、国が述べた法律論をそのまま踏襲しました。しかも、使い古された、過去の国家賠償訴訟の法律論です。裁判所は、正義の為の法律論ではなく、正義に反する法律論を選んでいるだけなのです。我々が為すべきことは、裁判所が歴然とした事実を前にして、とても恥ずかしくて正義の法律論を取らざるを得ないようなところまで追い詰めることです

  

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月十二日

午前中の事である。武田と共に一つの問題について議論した。死に対しての問題だが、武田と僕は意見を異にした。厭世自殺についてである。情死とか死については同じ心持であった。要するに僕は簡単ながら 厭世自殺についてはその死に至る動機が如何にあるにせよ認められないといふのが根本の趣旨であるのに、武田は自己の経験から(嘘か本当か知らない 単に家出をしてその道を踏むべく為に人々に心配をかけたという)絶対とまではいかないが ある程度まで之を認めるという所で僕と立場を異にしている。

 然し情死については 死というものについては同じなれども心持については全然違う。お互いに信じて死を以って全てを解決するというだけでなく 死を以って未来の楽しみを求める為に手をとる事は私にも肯ける。本当に死を喜ぶ。この時限り。

 



 

 

    

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 この絶望的な文章の末尾には何となく空しく感じられる次のような挨拶が付け加えられる。最もそれが決して空しくない挨拶となる可能性もあると反発する声は多いだろうが、僕が気にかけるのはこの文体の印象だ。≪終りにどうか戦争のない明るい世界が来る様に皆さんの御協力をお願いいたします≫

 そして彼は、冬の初めに衰弱の極みの死者となり、広島の市街には再び明るすぎる夏が巡ってきた。3つの原水爆禁止大会とラオスベトナムの戦乱とを合わせ伝える新聞。

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

生体解剖をやらされた

意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・

 

鎌田信雄(かまたのぶお)

731部隊・少年隊

(経歴)

1923年生まれ

1938年 731部隊入隊

1940年 新京の防疫でペスト感染

1943年 病気療養の為帰国

■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。

解説―石川太刀雄丸

北野政次が記した『防疫秘話』には、さらにこのような記述もある。

流行性出血熱は、年2回、真夏期と秋季に流行があるが、昭和17年11月初旬、孫呉で流行があった時、現地に赴き実験を行った。感染経路は疫学的に判断してネズミに付いているダニを最も重視すべきものと私は考えた。それでセスジネズミに付いている一種のトゲダニを朝比奈技師が集め、、之を金沢博士が11月6日に実験し、爾後笠原博士がこの実験を引継ぎ、同年12月14日に石川博士より病理所見の報告を受け実験が成功したことを知り、次いで笠原博士の非常な努力により翌年、その病原体はウィルスであることを決定したのである。病理学研究は石川博士が金沢大学に栄転後、両博士がこれを引継ぎ完成させた。

 

 

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

五 日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅

 

秦正氏自筆供述書(1954年9月7日) 

 

1945年7月下旬、総務部内に企画課が新設され、私は同課へ異動となった。1945年8月9日から13日までの5日間、企画課長である二木技師の命令により、ソ連の進軍情況、日本の無条件降伏の海外ニュースを課長に伝えた。こうした情況によって、石井四郎は事前に逃亡の準備を整えていた。

1、ソ連軍との開戦の際、石井は部隊に指示して吉林省の山の中に退却させ、抵抗の計画を策定した。重要機材を梱包させ、さらに第1部の吉村班に山地で抗戦する場合の栄養問を検討させた。私はソ連の「牧草栄養分析表」及びその他の栄養に関する文献数編を翻訳し、「野菜中のビタミンCの保存法」を紹介して、彼らの検討の参考とした。

 

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

4 毒ガス戦の訓練や教育はどのように行われたか

海軍の毒ガス戦教育

最後に、海軍の毒ガス戦教育について言及しておきたい。海軍の毒ガス戦訓練は、アジア太平洋戦争中のガダルカナル攻防戦以降重視され、館山海軍砲術学校(千葉県館山)で研究を開始し、1943年5月に人員を陸軍習志野学校に派遣して教習を受け、教官・教員とした。館山海軍砲術学校には化兵科が設けられ、陸上での毒ガス防護指導要員は戦争末期に士官約250名・兵約450名養成したという(北里又郎「日本海軍に於ける化学戦関係概要」相模海軍工廠刊行会編『相模海軍工廠』)。毒ガス実験は、館山海軍砲術学校付近で行われたが、43年秋には熱帯地方での毒ガスの効果を確認するためにトラック諸島の小島で実験を行っている(鳥潟博敏「野外実験の思い出」同前所収)。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

 

 

 

第2章 地図から消えた神秘の大久野島

 

では、なぜこの島はこのように警戒が厳重なのだろうか?

日本陸軍科学研究所第3部の研究成果が出て制式化されると、新しい問題が生まれた。-つまり毒ガス兵器をどこで製造したらよいか?ということだ。日本にはいくつかの化学工場があり、液体窒素を生産してはいたが、それは化学工業と紡績工業向けの、いわば民生用のものであった。軍関係の兵器工廠はたくさんあるといっても、通常兵器を生産する所で、化学兵器を生産する設備や条件は備えていない。しかも、化学兵器の毒剤を製造するには、当然一般的な化学工場としての設備と兵工廠の条件を備えている他に、さらに別の2つの特殊条件が必要となる。その1つは、対外的には絶対に秘密が守れ、どんな情報でも外に漏れない事、2つには、生産中に排出される気体と汚水には強い毒性があるから、住民区とは厳格に隔絶されていなければならないこと。しかし、労働力は必要であるから、あまり遠くてはならない。化学兵器工場の条件はこのような難しい問題をはらんでいるのだが、日本陸軍はやっと理想にあった場所を見つけた。それが、大久野島であった。

 

 

 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

毒ガス実験

―8名の農民を生体実験に

 

三上忠夫

軍曹

〈略歴〉

本籍地     千葉県銚子市

出身階級    漁民(小資産)

学歴      尋常小学校6年中途退学

卒業後の職業  漁師

最終部隊    旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊

捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校

年齢      37歳

 

 

老百姓の額はもう皮がむけ真っ赤な血が流れ出し、その間を鋭く光る銃剣があっちこっちに飛び回っている。4分・・・・4分30秒・・・もう顔へ手を当てる気力も兵隊の手足を払いのけようとする気力をも失った老百姓は、バタッ、バタッ、1人、2人と倒れた。・・・5分・・・赤筒の口元から出る煙がだんだん細くなり、もう四囲を包んだ煙が取り払われた。煙は完全に消えた。

「燃焼時間5分」山内は小隊長に報告した。・・・「ウン、よし、だらしのねえ奴らだ、ハハハハハ」倒れている老百姓を泥靴で蹴りながら呟いた。兵隊たちは、皆風上に行って面を取った。

 

 

 

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731関連裁判の動向について   和田千代子

 

『衛生学校記事』、『化学学校記事』の情報公開裁判は、新型コロナの大流行により延期されていたが、ようやく10月15日に『衛生学校記事』の裁判が再開され、『化学学校記事』の裁判も12月16日に開かれる。ビザ発給拒否の国賠裁判も12月9日に控訴審第1回が始まる。

 
 


 

 

 

 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」

 



 

 

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

目に見えない恐怖

 ところで、部隊標識を塗り潰したり、略称を書き込んだりして“忍者ぶり”をイカンなく発揮した毒ガス部隊・陸軍第267化学中隊は、独自の警備犬部隊と訓練施設をもっている。

 沖縄には米軍憲兵隊管理の大がかりな太平洋方面警備犬養成学校があり、米軍施設の警備にあてているが、化学部隊だけは独自に犬を養っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 

東久邇は、急速に広がる闇市場の問題に解決策を示すことがまったくできなかった。実際、内閣発足時に東久邇は、右翼で闇商人の児玉誉士夫を内閣参与に任命したのである。「今度はマッカーサー元帥の指揮に従い、お互いに要領よくやろう」。9月初旬、児玉は東京の官邸に訪ねてきた三重県津市選出の議員に向かってこう話したという。児玉は「兄貴」分の笹川良一と同様、占領軍慰安施設の開設に携わった可能性がある。笹川は戦争中、国粋同盟の指導者だったが、内閣参与には登用されていない。笹川が設立に関与した大阪市南区のアメリカン倶楽部は、米軍兵士が到着した直後、同市でもっとも早く開業した慰安施設のひとつである。

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 火力発電所原子力発電所のエネルギー効率の違い

再び、本題の省エネルギーに戻ろう。他の国がどうであれ、深夜に煌々と輝く日本列島に住んでいる私たちは、エネルギー効率をまだまだ高める必要があるし、その分野では世界トップの技術を持っている。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

核兵器禁止条約

署名国・批准国

2020年12月4日現在の署名国と批准国。

署名国                  署名日             批准日 (締約日)

 ブルネイ                                   2018年9月26日

カーボベルデ                             2017年9月20日

カンボジア                                2019年1月9日

中央アフリカ共和国                 2017年9月20日

チリ                                          2017年9月20日

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

 


 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!