731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

 

安倍前首相、東京地検が不起訴へ 任意聴取で関与否定か

リニア反対!!

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

 

「人骨問題と731部隊
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
 
敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

 

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本

 

 

 
 

終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

 

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

 

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲悪魔の飽食

 

 

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)

 
 

「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー

 
 

 

中国侵略史から学ぶもの

 

『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

 

きちんと事実を認め、謝罪しない??

 

 

黒井秋夫講演会

 

PTSDの日本兵と家族の交流館

 
 



 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

水俣病

 

 

 

 

田宮猛雄(たみやたけお)

 


国立水俣病総合研究センター
水俣病に関する社会科学的研究会」報告書

 水俣病の悲劇を繰り返さないために
水俣病の経験から学ぶもの-

2.昭和 34(1959)年11月の答申後の厚生省食品衛生調査会水俣食中毒特別部会の解散、

昭和 35(1960)年1月に設置された水俣病総合調査研究連絡協議会及び日本化学工業協会の田宮委員会の動き

 

(3)日本化学工業協会の田宮委員会

 見舞金契約の決着で年を越した昭和35(1960)年以降は、通産省の指導によりチッソは表立って有機水銀説に反論を出すことはなくなり、代わって、有機水銀説への反論・ 異論を唱える役割は日本化学工業協会(以下「日化協」という。)が担うことになった。その場として日化協は「田宮委員会」を用意した。チッソに代わって業界団体が水俣病問題に乗り出してきたことは、有機水銀説すなわち工場原因説による影響がチッソだけでなく国内の他の同種工場へ波及することを懸念したものと思われる。

 昭和 34(1959)年9月には、既に大島日化協理事が爆薬説を主張していた。日化協は、同年12月に水俣病問題に関連した排水対策のため、産業排水対策委員会の中に塩化ビニール酢酸特別委員会を設立した。

 昭和 35(1960)年4月8日、日化協は、酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄日本医学会会長を委員長に、錚々たるメンバーを集めて「水俣病研究懇談会」を設けた。この会は委員長の名を取って「田宮委員会」と呼ばれ、日化協は、これを中立的、科学的見地からの水俣病への取り組みであると強調した。

 

[注釈]主なメンバーとしては、顧問に小林芳人東京大学名誉教授(薬理学)、沖中重雄東京大学医学部教授(内科学)、幹事に勝沼晴雄東京大学医学部教授(公衆衛生学)、委員に山本正東京大学伝染病研究所教授、斉藤守東京大学医学部助教授(病理学)、大八木義彦東京教育大学教授(分析化学)のほか、同月12日の第2回水俣病総合調査研究連絡協議会で「有毒アミン説」を発表した清浦雷作教授と戸木田菊次東邦大学教授(薬理学)らも加わった。熊本大学医学部も参加を要請されたが、世良完介医学部長(法医学)はこれを断り、昭和36(1961)年に医学部長が忽那将愛教授(くつなまさちか、解剖学)に代わってから参加するようになった。

 

 

水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した

 

 

 


 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
 

 

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 


 

 

 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報

 

雑報

 

学術集談会

 

6、精製破傷風毒素について

細谷 省吾君

岸野 茂樹君

 精製毒素の酵素に対する態度を見るに、本毒素はトリプシン(Grubler)又は豚の小腸より製造せるエレプシンにより少しも破壊せらるる事無く、精製ジアスターゼプレパラートの中に含有せらるる易熱性物質により37度に於いて迅速に破壊せられ同時に一定量に於ける還元物質著しく増量し且フェニールヒドラジンと共に熱すれば針状の美しき「オサゾン」と思考せらるる結晶を生ず。その融解点等は目下研究中なり。

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

3章 細菌戦裁判弁護団から

破綻の火種をはらんだ一審判決

西村正治(弁護士)

 

 私がこの裁判に関わるようになったのは、7年前の1995年の秋です。それまでの731部隊についての認識は、『悪魔の飽食』という本を読んで、人体実験をしていた部隊であるという認識しかありませんでした。しかし、実は、731部隊は人体実験のみならず、細菌兵器を開発して実戦に使っていた、この話を聞き驚き、強い関心を持ちました。

 

 

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

三月二十日

守備兵の日常務を示して「各々旅客列車でスチームの暖に上着を脱ぎ 大陸を心行くばかりに味わいつつ雪景色を眺め 異国の中に一番大人式にふんぞり返っている。その裏に3人4人防寒具を身にまとい 列車運行の万全を期する為に 零下参拾度もそれ以上の中も百度以上の酷暑にも不平一つ言わず 与えられた任務の為に氷る銃を手に巡察に 暖かい住家の灯の消ゆる時分 夜中とは言わず夜明けとは言わず 斤倹にも出かけ停車場の監視兵に或いは不完全な分遣隊に―として働く兵隊の生活の裏面を見れば誰が涙なきにあらずや」

 私はこれを見て決して不幸というのではない 特殊な技能のいる守備勤務を実行することの出来るのを喜ぶのである。なぜこんなことを書くと云うとそれは勝手ながら今書く

    

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 僕ら自身の町の被爆者について僕らは知らない。そのような各地散在の被爆者を≪調査しながら、診療し救援するという積極的な方策≫をとることが、即ち原水爆被災白書の作製の運動なのである。それはまた、被爆直後入市した二次放射能障害者の、深い≪怨嗟の声≫を聞き取るものでもなければならない。彼らは≪発病して死にかけてからでなければ≫、原爆医療法による無料診療の便宜が与えられていないが、あらゆる原爆症において、≪発病して死にかけ≫るというのは、まさに確実な死を目前にすることであり、被爆者が生き続けるために、最も必要なのは重藤院長が強調する通り、できる限り早い血液の異常の発見なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

懲罰としてのシラミ飼い

 

 戦地から帰って来た時のことです。石井部隊長に、「少年隊の代表5名ばかり集まれ」と玄関に呼びつけられました。その時、関東軍の参謀宮田大尉(竹田宮恒徳)が来ていました。関東軍の参謀たちに、少年隊の存在を認めさせようとする石井部隊長の意図だったらしいのです。「この中にノモンハン戦線に行った者はいるか?」と聞かれたので、私は手を上げました。すると部隊長は、「戦争をどう思うか?」と聞きますので、私はつい「戦争はしない方がいいです」と言ってしまいました。反戦の思想があったわけではなく、私は全く健全で忠良なる臣民でした。それだけに何かの思惑があったわけではなく、その言葉がポッと出たんですね。今考えてみますと、えらいことを言ったもんだと思いますが、その時は班長にも憲兵にも呼ばれませんでしたから、何のことは無かったのだと思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

五 日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅

 

ハルピン市ペスト発生情況報告(1950年7月)

2、ペストの発生地はハルピン市平房区である。日本軍の第731部隊がかつてここで細菌を製造していた。1946年と48年に、同地区付近の住民の間に、腺ペストが流行したことがあり、118名が発病(1946年に117名。内訳は、大東井子28名、後二道溝39名、義発源屯36名、市内14名。1948年に1名)し、いずれも死亡している。今年発生した2名のペスト患者の家も、やはりこの付近である。

(1)1149,2、第237~38頁

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

相模海軍工廠の労働状態

 また、イペリット爆弾の組み立てに関わった元徴用工(当時17歳)の手記は、作業の苦しさを次のように伝えている。やや長くなるが、当時の様子をよく伝えているので引用したい。

 

 第2工場で充填された容器(イペリット特薬缶)も、トロッコに乗せて運んで来るが、溶接技術が悪く、3割ぐらいガス漏れがあり、応急処置して組み立てるので、手や作業服に付着する。作業は、本体に被さる姿勢で行うので、気化したガスを直接吸込み、臭いが鼻を突く。悪臭の為頭痛、吐き気がし、気持ちが悪くなる。しかし、1週間もすると鼻が馬鹿になり臭いも感じなくなり、衣服に付着しても分からない。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

 

 

 

第2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者

 

 

 

 

いくら化学兵器の威力について何も知らされなくても、これらの人が出勤し、初めて目にした情景は、彼らを驚かせた。まず職場に入る時には、必ず防毒マスクをかぶり、ゴム製の防毒衣上下に、ゴム長靴と手袋をつけるよう命じられた。この服装をすると、話や行動が不便であるだけでなく、呼吸も困難であった。毒ガスの生産は蒸気を熱源として各種の化学反応を起こさせるので、作業室の温度はただでさえ高い、ここで働く者たちや動くたびに汗が出るのに、さらにこのような装束をつけているのだから、体力の消耗は特にはなはだしい。当時工場は2交代制で、昼班は朝8時から夜9時まで、夜班は夜8時から翌朝の9時まで、両班が重なる1時間は交替引継ぎの時間だ。このような緊迫した労働に多くは耐えられなくなった。だが、大きな問題は後に起こった。

 

 

 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

島健

伍長 分隊

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

 

「アイヨー、お母さん、お母さん」

娘は腸を絞る様な悲しみの叫び声をあげた。老婆を抱えながら、女たちは何かをしきりに叫んだが、銃剣は胸元にピタリッと突き付けられ、無惨にも遮られた。

「畜生め、殺されるのが嫌だったら、素直に言うことをきけ」パシリッ!!

私の銃剣が女の背中にぶち当たる。せめて娘だけにはと、老母が心を込めて死した花模様の靴は、泥まみれになって飛んだ。

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??

 

次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

1、米軍統制化の再軍備化と米軍におけるCBRN対応

(2)米軍の化学関係組織におけるCBRN対応

 以上の通り米軍では戦術核を配備させている部隊が、それを使用することを前提として訓練を行い、その対応に当たるべき部隊として化学県警の部隊を当てていた。資料が原子砲兵の運用に関連してこのことを述べていることから、長距離砲で発射する戦術核などを念頭に置いていたと考えられるが、実戦使用の判断を現場指揮官にゆだねる体制がとられていたことは驚くべきことと言えるのではないだろうか。従って米軍と行動を共にする自衛隊に対しても米国がCBRN対応を求めたのは当然だった。

 

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

防衛庁長官の珍答弁

 この人身事故があって間もなく横浜港の米軍基地から塩素ガスボンベが姿を消しているわけで、相模原補給廠へ密かに移動されたものであろう。

 塩素ガスが抱え込んでいることを知った相模原全駐労と基地の軍当局との交渉が68年9月に行われた。軍当局は、問題のガスが塩素ガスであることを認めたが「軍用ではない」の一点張り。


 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

ニューヨーク・タイムズ』のフランク・L・クラクホーンはこれより先に、東久邇内閣の副総理格の近衛公と会見していた。彼はそのとき、事実上、GHQの要請を受けたものと思われるが、近衛に対し、もちろん同社を通じて、アメリカ国民に4項目のメッセージを伝えることを天皇に持ちかけてはどうか、と示唆した。このような経緯から、天皇は、マッカーサーを訪間する二日前、すなわち9月25日に、クラックホーンと、UP通信社の社長で近衛とも旧知だたヒュー・ベーリーに個別に短時間の謁見を与えたのである。ふたりのジャーナリストは質問項目をあらかじめ書面で提出した。彼らは幣原喜重郎が草稿を書いた英文の回答書を受け取った。そこでは、2点の基本事項が明らかにされていた。第1は、民主主義と(日本の一時的な非武装という意味での)平和主義が、海外に向けた戦後の天皇イメージの主要な構成要素であること、そして第2は、天皇真珠湾に関する質問を避けたい意向を持っていることである。 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

 

 

 

 

コジェネの発想と燃料電池

 家庭用として現在まで実用化されているのは今述べたPEM型で、都市ガスタイプではパナソニック(給松下電器産業)製を東京ガスが発売し、プロパンガスタイプでは三洋電機新日本石油ENEOS)の合弁会社ENEOSセルテック製を新日本石油が発売している製品が代表的だが、新日石は都市ガスタイプも販売している。ジャパンエナジー(IOMO)、出光、コスモ石油昭和シェル石油なども燃料電池開発に参加している。これらの企業名は何ですか。無知を究める二酸化炭素温暖化論者に標的にされてきた化石燃料の会社群なのだ。エネルギー問題の優れた最先端の技術的解決に、最も真剣に取り組んで成果をあげたのは、悪者よばわりされてきた彼らなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

 

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。


 

1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

 

 

 

 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!