731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

     

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 
 
 
 

 
 


 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回

731部隊被害者遺族を訪ねて」

 



 

日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。

 

 

曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)

 
 


 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

 
 



 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ビキニ水爆実験

 


1954年に起きた第5福竜丸事件では、被ばく船は800隻もあったと言われているが、第5福竜丸一隻だけとしたのも宮川教授である。

731部隊レントゲン班に所属していた宮川正東大名誉教授

 

---------(引用ここから)--------------

ある退官記念講演にて

ところで、最近、全日本医学生連合中央書記局で出している「全日本医学生新聞」(1973年4月1日号)がつぎのような記事を発表している。以下はその全文である。

(中略)

東大宮川教授に対する追及は、3月2日最終講義の場において大衆的に貫徹された。

公開質問状
放射線科 宮川 正教授殿

(中略)
その中で、日中戦争時における細菌兵器と生体実験を行なった731部隊の犯罪性が明らかにされ、学術会議南極特別委員会に"返り咲い"ていた元731部隊員吉村寿人、北野政次について、その生体実験を中心に検討小委員会が設けられることになりまた。これは新聞にも大きく報道されたのでご存知のことと思います。
 ところがこの学術会議の場で、宮川教授が731部隊出身であることが明らかにされました。
われわれは防衛医大の問題を考える時「医学者の戦争責任」を決してさけて通ることはできないと思います。教授は自らの戦争責任とりわけ731部隊に加わっていたことをどのように考えておられるのか、以下の点について公開の場で見解を明らかにしていただきたく思います。
1、731部隊に加わったのはいつからか、又どのような経緯でそうなったのか。
2、731部隊における教授の任務は何だったのか、そしてどのような活動を行なったか。
3、以上をふまえて教授自身、戦争責任とりわけ医学者としての戦争責任をどのように考えておられるか。
4、防衛医大設置に対してどのように考えどのような態度をとられるか。
昭和48年2月23日          医学部共闘会議

われわれは以上の公開質問状に対し最終講義の場で回答するよう要求した。

 

 

 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    


      
 

 

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 

 

 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

14巻1号 1930(昭和5)年

実験医学雑誌第14巻雑報

 

黒屋博士近況

それから大抵3時頃まで新聞を読んだり散歩したりして遊んでから研究処に帰り6時が仕事の都合では7時ごろまでまた働いて家に帰ります。

家に帰れば飯を食って風呂へ入って寝るばかりです。これを毎日繰り返しています。

仕事は頭を使うことは非常に少なくて大抵手先の仕事ばかりです。

雑誌を読む機会が無いので段々馬鹿になる様な気がします。これは小生ばかりではなく一緒におる日本の九州農大の助教授の人も同じような事を言っています。

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

 

3章 浙江省支援者から

 これからの中日関係

~東京大罪を通じて~

 

王烈輝(浙江工業大学学生)

 

8月27日の判決を傍聴する為に日本に行こうとビザを申請したが、なかなか許可が出ず、心配で落ち着かない毎日を過ごしていました。出発前日になって上海の日本領事館に行って、やっとビザを受け取ることが出来ました。

 8月26日午後、遂に日本に着きました。

 初めて日本の土を踏み、ひっきりなしの人込みの中を歩きました。街中至る所に漢字が見えたので、少しも異国の地にいるという感じがしませんでした。東京はとても賑やかな都市でした。地下鉄が最も重要な交通手段で、東京はまるで地下城のようでした。人々は毎日忙しく働いていて生計のため苦労しているに様に見えました。

 

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 四月二六日

 

今日は何だか頭の痛むような気がするが悪戯してみたいようで仕方ない。どうも書き方の練習ぐらいでろくな文章は出来ない事は百も承知だ。炭坑分遣隊の一隅から眺めた 人里離れたと言ってもよい此の割合に見事な街の春でも友に知らせようと思って いわば此の紙汚しも本当の紙汚しに終わるべき下書きなりだ。最も下書きをして清書してよく読んで出さねばならない様な気の利いた友はありっこないが、ただ無暗に描きたくなった心が 近頃珍しく見えだした故までさ。

 

 

 

 

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 

 

 

 彼がいつも不機嫌にブツブツいう気むずかし屋であったのは、何よりも彼が、現実世界から降りて、この原爆病院に隠遁している入院患者ではなかったからであろう。彼は、原爆病院の入院患者たちの中に、一つの現実的な社会を見出し、積極的にそれに関わって生きたのだ。そこで彼は、病院の管理者側の義務を分け持つというのではないにも関わらず、自発的に、≪病院の食器を勝手に患者が病室で使うことを禁止したり、配膳室のガスを使用した後の整頓をやかましく≫言ったりしたのである。彼は又、マッチの棒と厚紙でお城を作り彩色したり、小貝の殻に金粉を塗って浦島太郎を作ったりする、手の人間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

解説ー731部隊帝銀事件

 

近藤昭二

 

帝銀事件

 1948(昭和23)年1月26日午後3時過ぎ、武蔵野線(現・西武池袋線)の池袋駅から1つ目の椎名町駅から北へ約50mの角地にあった帝国銀行椎名町支店で、16人の行員の内12人が殺害された、運よく生き残った行員の証言によれば、犯人は初老の坊主刈りの男で、外套の腕に東京都の防疫班のマークの入った腕章をつけ、知的な瓜実顔をした好男子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

六 第731部隊の各支隊

 

1 関東軍第100部隊

 

偽第6軍管区少将獣医処長杭承祖による高橋隆篤告発資料(1954年4月6日)

 

 私はソ連にいた時、ソ連が尋問した細菌戦犯に関東軍獣医部長高橋隆篤がいること、並びに砂金製造した100部隊のことをきいた。私は1943年3月、偽軍事部が開催した各軍管区獣医処長会議にて、高橋隆篤が報告を行ったのを記憶している。当時、「満洲国」の部隊では鼻疽馬の治療を始めており、この鼻疽注射薬は彼が発明した。会議の2日目に、私達は召集されて関東軍獣医部直属部隊である寛城子駐屯の並河部隊を見学し、部隊長の並河獣医大佐が鼻疽治療の問題について説明し、鼻疽馬に注射を施した。この並河部隊こそが関東軍獣医部の細菌研究部門だったのである。私はノモンハン事件の時にも日本軍は炭疽病をまき散らし、炭疽病菌を入れた薬瓶が発見されたと聞いている。

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●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度

満洲国」の成立と陸軍省の態度の変化

他方、この時期、ジュネーブ一般軍縮会議で日本代表はどのような発言を行っていたのかを確認しておこう。32年11月24日の第11回特別委員会では、催涙性ガスの使用をめぐって議論がなされたが、これについて日本の委員は次のような意見を表明している。

 

 催涙瓦斯は其の害毒の程度に於て顕著なるものには非ざるへきも一般兵器と併用する時は甚だしき惨害を醸すに至るへきを以て他の瓦斯と別個の取扱いを為さず之を禁止の範囲内に置くべきものなり(前掲「化学、焼夷、細菌兵器問題」)

 

 

 

 

 

 

 

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

 

 

 

第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産

秘密にされた毒ガス製造

 戦後のアメリカの調査には、当時、中国にも日本が管理する兵工廠が何か所かあり、ここで毒剤を砲弾や爆弾に填実することができたということだ。だが、今のところは、まだ忠海と曽根の2か所の兵工廠の生産状況が説明できるだけである。

 また日本海軍は、単独に化学兵器の研究機構を持っており、これは神奈川県の寒川にある相模海軍工廠の『海軍技術研究所化学研究部』で、毒ガス兵器の製造も、この工場で行っていた。

 日本の陸海軍のなかで、最も早く化学兵器の生産を行ったのは大久野島忠海兵工廠であった。ここで生産される主要な化学毒剤は三種の類型があり、イペリット(きい1号甲、乙、丙)、ルイサイト(きい2号)、ジフェニール・シアンアルシン(あか1号)、クロールアセトフェノン(みどり2号)及び青酸ガス(ちゃ1号)等であった。 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

汚された泉

井戸へ放り込み惨殺

杉本千代吉(すぎもとちよきち)

大尉

〈略歴〉

学歴 中学高卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊

出身県 静岡県

年齢 38歳(1919年生まれ)

 

井戸水は冷たかった。情け容赦もなく投げ落とす意思を農民は夢中で避けていた。全身しびれるような傷の痛み、薄暗い井戸の中で襲い来る睡魔と、たまらない絶望感を打ち砕いて祖国の為、子どもたちの為にと、激しい鬼子への憎しみのみが胸までつかる水に自由を奪われながら、手足を動かしていた。

 

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

 

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

 

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

教範から見えるCBRN対応

 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
 化学兵器関係資料

「第3節 部隊安全」は自部隊の安全確保について考慮すべき事項である。

 「化学目標分析(型式見本)

 ✬「HD汚毒地域の効力持久時間」

この表はHD、即ちイペリットにより汚染された地域の毒性がどの程度継続するかについてのデータである。地形や気温、防護服の有無などでの違いが示されている。

 ことに注目されるのは、このデータが、「目標地域の気象と地形の条件下で下に示す防護量により安全に作業を遂行できることを基にしたもの」とされている事である。その「作業」の項目を見ると、「地域横断」「敵火の下の前進」「占領(土地を伏臥せず24時間)」「占領(敵火の下に前進を含み)」など行動する側の状況に応じて、毒の効力持続時間、即ち行動する人間が影響を受ける時間が示されている。

 



 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

  2表のように、医官を例にとってみても1004人の定員の対して、現在員が378人という有様である。自衛隊では、3次防で全国の駐屯地の医療施設の充実を目指しているほか、衛生学校などでの生物兵器関係の医官が不足しており、深刻な問題となっていると言う。こうした学者、研究員の不足は3次防の技術研究開発にも大きな狂いを生じそうな気配とも言われ、その対策に頭を痛めているという状況である。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 

 

 天皇マッカーサー草案を受け入れてから8ヵ月後、日本の新憲法が公布され、翌194753日に施行された。そのころまでには、宮内省は宮内府となり、職員の数も大幅に縮小された。華族制度は廃止された。宮内府予算は国庫管理となり、また帝室博物館は国ヘ移管され、国立博物館となった。
 こうして、明治時代に形成されて君主制を支えてきた諸制度や慣行、権力はまたたく間に終焉のときを迎えた。マッカーサーと幣原から圧力をかけられ、弟や叔父たちから出される退位の話におびやかされ、さらには東京裁判を懸念しながら、裕仁2週間ほど抵抗して譲歩した。天皇は「今となつては致方あるまい」と、幣原に打ち沈んで語った。まさに彼は、在位中の重大な岐路、例えば193110月に南満州の錦州で行われた爆撃や19409月のヒトラー ムソリーニとの軍事同盟への同意、そして194112月の真珠湾攻撃の裁可に際して行ったのと同じ趣旨の発言をここでも繰り返したのである。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

歴史的重要度の高い核爆発・核実験

 

フランス

サハラ砂漠での核実験

1960年2月13日 初の原爆実験(ジェルボアーズ・ブルー)。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。

1968年8月24日 初の水爆実験。

フレンチポリネシアでの核実験。

1966年から1996年1月までに約200回実施。

詳細は「フランスの大量破壊兵器」を参照

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 


 

 
 
 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!