731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

 

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月2日(日)

6、パネル展今年で2度目ですが、今年は平頂山が印象的でした。最近満州引揚の人たちの話をいくつか聞く機会があったのですが、本当のところはこのパネルから垣間見ることができました。ポーランドアウシュビッツなどが見学したのですが、なんと同じことが日本軍によっても・・・と改めて驚きました。生きているうちに是非中国を訪ねたいと思います。ありがとうございます。

(女性、70代、友人、【平頂山】

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

731部隊・100部隊」と人獣共通感染症

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 

 

 

 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽鳥インフルエンザ・豚コレラSARS・MERS・COVID-19

 

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 



 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

1948 年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1)

栗原 敦

知られざる戦後薬害第1号事件 

事件当時の行政文書・映像の発見 

その作業と平行して事件当時の行政文書が大量に確認されていきます。05年3月,私がふ と厚労省の情報公開ファイルを検索した結果、なんとこの事件の9冊の簿冊(のちに10冊と なる)が、いとも簡単に発見できたことも衝撃的でした。また、京都市役所でマイクロ化(5000 コマ)された文書、島根県庁で患者表を含む3冊の簿冊が存在することが矢継ぎ早に新しい薬学をめざして36, 47-52 (2007)-49-明るみに出ます。京都府立総合資料館が所蔵する文書は京都府庁文書であり、われわれの声に応えてなんと04年度途中から保存と公開のための複製づくりに着手され、05年4月には個人情報をマスキングした上で複製の公開が実現するという同館の英断がありました。さらに1949年4月京都市で開催された伝染病学会(現日本感染症学会)で行われた被害児に関する医学的発表の抄録、また、この時期の伝染病対策を指示したGHQ/SCAP文書への調査にも着手しました。研究史上唯一人、同文書と「記録」により事件の輪郭を描いた渡部幹夫氏(順天堂大)と出会うこともできました。文献資料のみならず、当時の「日本ニュース」(映画館で上映された)に1分ほどの映像が残されている(現在はNHK所蔵)こともわかり、川崎市民ミュージアムで視聴することができました。これものちに述べますが、1948年12月のフィルム配給・上映の直前にGHQの意向を受け厚生省の圧力により一部削除されており、その問題は国会でもとりあげられました。

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

志賀赤痢菌毒素及び抗毒素の研究

第1報   細谷省吾

        岸野茂樹

         寺尾秀三

第2報   細谷省吾

        寺尾秀三

 

是等は複雑なる組成を有する志賀菌菌体のプレパラート又は同菌ブイヨン培養を以て行いたる実験を根拠として論議せるものなるを以て諸説紛窮して解決せざるは当然の事と云わざる可からず。

 余等は本菌の培養を分析して動物試験に於ける如何なる毒素人間の赤痢に於てHauptrolle(主役)をSpielen(演じる)する毒素に相当するかを極めんとしもしもこれが達成せられたる暁には本毒素に対する強力なる抗毒素を得ることに努め次いで赤痢異型菌の毒素を抽出し志賀菌抗毒素がこれを中和する作用ありや否やを定めん事を期せり。

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

 

医師として自らに問う

 

松井英介(岐阜・2001年の会代表、医師)

又製薬会社を作り、朝鮮戦争時乾燥血漿製剤によって莫大な利潤を得たものもあります。その製薬会社「ミドリ十字」(現「三菱ウェルファーマ」)がウイルス汚染の危険を知りながら売り続けた非加熱製剤は、エイズC型肝炎を引き起こし、多くの日本人をも惨禍に巻き込みました。

 国際法生物兵器化学兵器の使用を禁じた1925年の「ジュネーブ議定書」)の存在を知りながら、これを無視して日本国が戦前・戦中に行ったこの国家犯罪は、このように形を変えて、戦後に引き継がれました。そこに一貫して流れるのは「隣国人差別」と「隠蔽」の思想です。この「隠蔽」には、東京極東裁判を主導したアメリカ合衆国が決定的な役割を演じました。

 

 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二二日

本当にさっぱりしたように感じたが また一面行く人の心情を思って暗然ととした。同期の丸山なんか後六ヶ月だと云ふのに轉隊だなんて本当に気の毒にたえない次第だ。之で帰休も完全になくなったし落ち着いて六ヶ月が送れるわけか。初年兵の松本は下士室で鳴いていたと云ふ。血のある人間ならば泣くのは当然であろうと思う。

 

教専の生徒も午前側防柱舎の防備戦闘の演習を最後に午後一時退営した。再び一週間来ることの出来ない酒保に行って遊んで来た。第七内務班になって初めての点呼を取った うるさいものだ。

 

 大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

 

広島の人々が、あの夏の朝からすぐさま開始した活動の価値は、人間の科学が、原爆の製造に至るまでに積み重ねられた進歩の総量に対抗すべく志されたものであるはずである。もしこの世界に、人間的な調和というものが、人間的な秩序というものがあると信じるなら、やがて広島の医師たちの努力が原爆そのものの悪の重みに十分匹敵しなければならない。

 
 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事

 

溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部

 

〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。

 

昭和20(1945)年8月9日

8月8日、ハルビン本館本部の日直に上番したのは、野口軍医少佐(野口班長)の総務部と江村寛二経理曹長であった。8月8日は何事もなく過ぎていき、運命の8月9日の朝を迎えた。教育部週番士官は千田英男衛生准尉が上番していた。

 午前6時50分、いつもの通り教育部兵舎に起床ラッパが鳴り響いた、

「それっ」

がばっと跳び起き服装を整え、隊員たちは一斉に営庭に飛び出した。早く飛び出した順に各班ごと一列に整列した。教育上等兵より員数調べの「番号!」という号令がかかり、班長の点検を受けた。その時、本部本館から白馬にまたがり週番士官のたすきをかけた野口軍医少佐が、教育部営庭に駆け込んで来た。

「空襲警報発令。直ちに退避せよ。部隊は只今より、戦時編成に移行、今後の行動は別命する」

命令を伝えると、野口少佐は急いで本部本館に取って返した。

 
 

 

 

 

 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

3 731部隊に関する戦争犯罪裁判

 

川島は部隊の第4部の細菌製造部長であり、柄沢はその部下で細菌製造班の班長であった。

 ソ連は、2人の幹部からの供述をもとに細菌兵器専門家により2人を再尋問し、平房の廃墟も調査し、この情報が正確であると確認した後、「日本は2000名の満州人と中国人を殺すという恐ろしい犯罪を犯し、石井将軍、菊池大佐、大田大佐が関わっている」として、3人の尋問を要求してきたのである。この尋問要求が、川島、柄沢の供述をきっかけとしている点が重要である、というのは川島、柄沢はほぼ3年後にの1949年12月、前述したようにハバロフスク裁判で、他の10名の被告と共に法廷証言や供述を行なって、人体実験の生々しい実態を明らかにしているからである。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

南京戦での毒ガス戦計画と昭和天皇

 

しかし、この計画は、12月1日に閑院宮参謀総長が松井中支那方面軍司令官に対して「瓦斯並びに催涙筒の使用に関しては更(あらた)めて指示を待つべし」と指示しているように(参謀総長閑院宮載仁「大陸指第9号」『資料集Ⅱ』資料37-5)、実際には使用されなかった(なお、この指示で「瓦斯」と催涙性ガスを区別していることから、この時点から参謀本部は催涙性ガスを毒ガスに含めなくなったということが窺えて、興味深い)。

 それでは、毒ガス戦の実行を断念させた理由は何だったのであろうか。飯沼上海派遣軍参謀長の12月1日の日記には、次のような記述が登場する。

 

 午後〔上海派遣軍の〕兵器部長福原〔豊三〕少将来部、下村第1部長の伝言として瓦斯使用は国際関係上は困難なきも御宸念(ごしんねん)あらせらるるに依り、成る程之ならば瓦斯を使用せざるべからずと御思召すに至らざれば御裁可あらせられずと。(飯沼守少将「飯沼守日記」南京戦史編集委員会『南京戦史資料集』)

 

「御宸念」とは天皇の憂慮を意味し、「御裁可」とは天皇の許可をさす。

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

残酷な軍事演習

 

 1934年3月、富士の裾野の演習の後、学校職員で研究部主任の新妻雄中佐が私の所へ来て言った。「化学研究所で試作している毒ガスは、果たして列国軍が作っているものに近いのでしょうか。列国の文献では、よほど大きな毒効力があるように記されていますのに、今までの8か月間、日本製のものには被害らしい被害を誰も受けておりません。こんな無毒ガスを対象としての防御手段の研究では何の実戦的価値もなく、むしろ国軍を害することになるかもしれない。危険を冒しても実戦的演習をやってみて、試作ガスの本質を究めておく必要があると思います」と。私は「その通りに私も思っていた。もうすぐ5月だ。気温もそう高くない。その時演習をやってみよう」と答えた。 

 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に

 

江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。

 

●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉

なお、実名を出してもよいかとの事、当然、筆者の私はよいが、作中の人物名は太郎が二郎と書かれていようが、読者にはわからないと思う。

本人が自覚しておれば問題ないが、我々の体験から見て、なかなかそうはいかないと思う。むしろ自分がやったことが他人名で伏せてあれば、ホッとして、その行為を反省できるだろうが、初めから俺のやったことを暴露したとカンカンになっては、反省の余地もないのではないだろうか。その点御高察下さい。

(筆者から中国帰還者連絡会への伝言)

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

2  シビリアン・コントロールの欺瞞

ツンボ桟敷の国権の府

 議会制民主主義が踏みにじられたのは、今日の自衛隊によってだけではない。警察予備隊としての発足と、その後の成長の全歴史をつうじて、そうなのである。したがって民主主義の枠内で考えるとしても、国民主権原理を無視し、稀代の大ウソでごまかしながら、ヤミからヤミへと既成事実を積み上げてきた根本にメスを入れなければならないことが理解できるであろう。「既成事実」の全面的な解消―自衛隊解体こそ、シビリアン・コントロールの第一歩なのである。 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

 

Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

5 生物・化学戦における被害想定

化学剤死傷見積り

たとえ訓練がゆきわたっている部隊であっても、防護マスクをかけるのが遅れたり、マスクの予防整備や、手入れの不良とかガスが消失する前にマスクを取り外したりする事故の為に、この化学死傷が発生し、これに加えて、目標地域内の人員の平均10~15%は不能とはならないが、若干の影響を与えることになる。

 もとより、防護マスクを装備していない場合には、目標地域面積の50%を掩覆する死傷発生毒量によるーある範囲にわたる時間、毒量を次第に強くするように行う時間制限のないGB弾攻撃、この種の攻撃は通常防護マスクを携行しない部隊に対して行なうのであるが、―いわゆる全面攻撃によって、部隊全人員の50%の死傷者が出ると予測されている。

 

 特に、VX攻撃では、液状VXに接触すれば、皮膚を通じて、マスクを使用している部隊人員でも死傷する。だがHDやVX液状の汚染については、多くの不確定要素を持っているので、直接あるいは間接の液状汚染による死傷者の見積もりは困難である。むろん、死傷発生数が防護装備品を装着しているか、攻撃後の部隊の防護行動などのいかんに左右されるのは言うまでもないが、汚染が2時間から12時間経ってから死傷者が発生することは予測できることである。

 

 このような死傷予測を前提にして、作戦実施のための想定見積りが行なわれるのであるが、その想定は次のようなものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

フィリピンは戦争を通じて100万人を超える非戦闘員を失う甚大な損害を蒙った。多くのフィリピン人は、天皇に責任があると考えていた。フィリピン政府は東京裁判の裁判官にバターン「死の行進」の体験者であるテルフィン・ハラニーリャ判事を指名し、ペドロ・ロペスを参与検察官に任命した。ロペスは公判でのフィリピン関係の立証において、日本軍がフィリピンの非戦闘員と米比軍捕虜に対して行った残虐行為に関する144件の証拠を紹介し、将来の賠償請求の根拠にしようとした。ロペスはアメリカ政府に雇用されており、天皇が被告人リストから除外されたことを〔公式には〕問題にしなかった。

インドが代表判事に指名したのはカルカッタ高等裁判所のラダビノード・パル、60歳である。パルは親枢軸派のインド人民族主義者チャンドラー・ボーズの支持者であり、以前からの親日家であった。イギリス、日本双方の帝国主義を非難し、大東亜共栄圏イデオロギーを決して受け入れることのなかった多くのインドのエリート層と違い、パルは日本帝国主義を完全に擁護する立場をとった。5月に東京に到着すると、彼は裁判所憲章に従いながらも不誠実な態度で任命を受けた。彼は、連合国の日本を裁く権利について疑念を持っており、いかなる方法であれ司法的にこれを認めることなどできなかった。当初から、裁判が失敗に終わるのを見届けようと決意していパルは、ほかの判事がどう判決しようとも、独自に反対意見を書くつもりであった。パルが「裁判を公明正大に行うことを誓う共同宣言書」への署名を拒否したことは、驚くに当たらないのである。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

フランス
サハラ砂漠での核実験
1960年2月13日 初の原爆実験(ジェルボアーズ・ブルー)。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。
1968年8月24日 初の水爆実験。
フレンチポリネシアでの核実験。
1966年から1996年1月までに約200回実施。
詳細は「フランスの大量破壊兵器」を参照

 
 
 
 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!