731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

 

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月4日(火)
16、平頂山の虐殺は今回新しい情報だったと思います。本当に見ても見切れないほど豊富な内容でしたし、知っていても改めて確認することも多かったです。そして、日本政府の卑劣さ、残虐非道さ、改めて恐ろしいと思いました。私も自分の子どもの教科書(歴史)がどんな記述をしているかチェックしています。川崎を含めヘイトスピーチの問題もまだまだ課題だらけです。私自身も様々な活動を4つくらい抱えるようになり、やる人を増やしていかないと思います。
(要望)ミャンマー国軍がかつての日本軍の影響を受けていると聞きました。今ミャンマーの支援をやっている関係上、日本の加害の歴史との関係をやっていただけるとうれしいです。
(女性、50代、市内、ウェッブ)
 
 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

731部隊・100部隊」と人獣共通感染症

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 

 

 

 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽鳥インフルエンザ・豚コレラSARS・MERS・COVID-19

 

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)


 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 



 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

 

1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その2)

                             栗原 敦

 1971(昭和46)年3月10日京都市会(質問 山下良博議員、答弁 舩橋市長)(昭和46年第1回 京都市会会議録) 

山下議員は、1970(昭和45)年7月31日の閣議決定による予防接種被害の救済措置が明治 42年までさかのぼって適用されることをとりあげている。その措置においてジフテリア事件の被害者は除外されることになった。この補償要求が事件から20年余り後に再燃する理由はそこにあったことは明らかであります。質問は次の内容でした。(府議会における山川議員の質問を踏まえた内容) 

 冒頭事件の概要を述べ、一大不祥事件だったとし、製造業者の医学、衛生的知識の不足・怠慢、これを監督する政府の国民無視、生命軽視の風潮が主因であった。当時の「10万円の補償」は当時のヤミ米5石(1俵は4斗 60キロ、1石は10斗だから、米俵で12俵半─栗原注)分にしかならない。予防接種の被害者の救済措置からジフテリア事件の被害者を除外することは片手落ちである。国にその非を認めさせてほしい。これに対し舩橋市長は次のように答弁しています。この事故は国・府・市の負担で弔慰金を支給し、和解が成立しているから今回の救済措置から、除外するというのが国の見解だ。しかし、このままでは十分とは考えられないので国が今後なんらかの追加措置をするよう折衝しているとしました。 

 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)


 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

志賀赤痢菌毒素及び抗毒素の研究

第1報   細谷省吾

        岸野茂樹

         寺尾秀三

第2報   細谷省吾

        寺尾秀三

 


本表によりて志賀菌の産生せる本毒素は凝集元、沈降元より全く独立せる抗原にして、抗毒素は凝集素、沈酵素とは全然別種なる抗体なる事を明確に立証し得たり。
 次に志賀菌の若き寒天培養より本毒素を抽出する条件を明らかにし更に赤痢異型菌中駒込Aより家兎の消火器系統に作用する毒素を抽出し得る事を予報せり。
又、細谷、宮田法とWillstatter の酵素分解法とを併用しても志賀菌の本毒素をreinigenし得る事を知れり。
 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

戦争の惨禍の現場検証を

 

西川重則(731・細菌戦展示会実行委員会代表)

 

 靖国神社の近くに、国立の「昭和館」が建っている。日本の国民が戦争の時に苦労した体験を後世に伝えるために、戦争が風化しないために、を大義名分に、直接には靖国神社参拝の続行・定着を運動方針としている日本遺族会の要望に答えて、「昭和館」を建てた。

 「昭和館」が完成した時、中国の方が「昭和館」の展示を見て、「人を殴っておいて『手が痛い』と言っている事と同じ」と率直に感想を述べている(西川重則『「昭和館」ものがたり』、いのちのことば社) 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二七日

 お話は違うが今日は又非常に吉報を公用兵がもたらして来た。・・・中隊の毛虫であるべき菅野が日曜日の外出に 帰営時間に遅れて鉄さくをを乗り越えて入って来た所を、週番士官に見つけられて幾日だか知らないが 重謹慎を食らったそうだ。中隊のガンチャンたち喜んで祝杯を挙げたとの事。さもあらん本当に心持よい 秋晴れよりなお一層すがすがしい気持ちだ。兵隊の欠点を拾い上げては幹部に報告する丁度スパイのような事をして 自分の出鱈目を棚に上げて 針小棒大にする点取り虫の馬鹿野郎、ざまみやがれ今に此の罪 兵隊の一念が君の身に変化を及ぼす様になるかもしれない。要注意。

 

 

 大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

 比治山のABCCの患者待合室で、穏やかな順番を待っていた被爆者達の忍耐力のことを僕は思い出す。少なくとも、彼らのストイシズムが、アメリカ人の医師たちの感情的な負い目を大いに救っているであろうことは確実だ。

 しかし、政治的強者が、人間はどのように最悪の泥沼に蹴落とされても、何とか自らを救済するものだ、という高をくくった考え方を持っていること程恐ろしくグロテスクな事は無いのではあるまいか?それほど徹底的な卑劣さに飾られたヒューマニズム信仰は他にないのではあるまいか?

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事

 

溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部

 

〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。

8月11日

 それが、西中佐との最後であった。その後、西中佐はソ連に抑留されたのである。

 この日はいろいろあったが、“満人”の群集は次第に数を増し、中には旗を振っている者もいた。雨は完全にあがって、暑い夏の空が戻って来た、ロ号棟内部の作業は、まだ続いていた。何台ものトラックが、何かを積んで慌ただしく走り去って行った。聞くと、標本やら“マルタ”の骨をかます穀物や塩などを入れるための袋〕に詰め込み、松花江へ捨てに行くという事だ。

 

 
 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

3 731部隊に関する戦争犯罪裁判

 

 

戦犯管理所での寛大な措置、その中で戦犯がいかに過去を省み、供述していったかについては、前掲『生体解剖』の古川万次郎の解説に詳しく書かれている。中国指導者たちの戦犯に対する方針は、罰することを目的とするのではなく、「被告自身に侵略戦争と自らの犯した罪を反省させ、2度と再び侵略戦争を引き起こすことのないよう、自覚を促す方針」であった。事実釈放された帰国した後、多数の人々が中国帰還者連絡会に結集し、日中友好運動の推進者になっている。

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用

 

山西省南部でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの大規模使用

閑院宮参謀総長は、1938年4月11日の北支那方面軍司令官・寺内寿一大将と駐蒙兵団司令官・蓮沼蕃中将に対して、山西省とその付近でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用を許可する指示を出したが、そこには「勉めて煙に混用し厳に瓦斯使用の事実を秘匿し其の痕跡を残さざる如く中尉するを要す」ともされていた(参謀総長閑院宮載仁「大陸指第110号」『資料集Ⅱ』資料37-8)。そして、参謀本部は同日に北支那方面軍に「軽迫撃砲あか弾」1万5000発・「あか筒」4万本を、駐蒙兵団には「あか筒」1万本を交付したが、今後は「あか弾」と特種発煙弾、「あか筒」を特種発煙筒と呼ぶように指示している(参謀総長閑院宮載仁「大陸指第110号」『資料集Ⅱ』資料37-8)。

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

残酷な軍事演習

ここから見えてくるのは、この演習で発生した事故に、日本の軍隊が非常に興奮した態度で対応したことである。つまり、事故がもたらした「収穫」は損失よりもはるかに大きいということだった。このため、関係のある責任者を誰も処分しなかったばかりか、彼らを習志野学校に留めた。そして今村均は、以後軍隊の中でとんとん拍子に出世をしたが、あの演習に無関係ではなかったというべきだろう。

 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使

 

大西馨(おおにしかおる)

大尉

 

〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳

やっと苦労を重ねて、12㎞離れた目的地へと着いた。「おい、石を下ろせ」息もつかせず積み荷を下すと、吹きさらしの中で食事を始めた、綿衣とは名ばかりでちぎれて布から綿がはみ出していた。ある者は毛布やセメント袋をまとっていた。一握りの高粱飯、それさえも土を掘るスコップに盛って寒さに震えながら食うのであった、そこには限りない不満と憤りの声が交わされていたが、吹雪がそれを打ち消していた、だが日本兵は毛の帽子に覆面し、毛の外套を着てふくれ上がって、一軒家で煮た飯をうまそうに食っていた。

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第 回) 6月23日(水)15:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第 回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

3 「機密」概念の曖昧性

憲法違反の機密保持

 日本の場合、国家機密、軍事機密はありえないのに、政府は一貫して「国家機密という言葉はございませんが、やはり国家の利益に重大な影響を及ぼすというような機密は当然ある」(参院予算委65・3・22、小泉防衛庁長官)という趣旨の見解をしめしている。国会の場においてさえ、 「国家機密はいろいろな面からお答えできない」〔同65・3・5)として答弁を拒否するのである。この場合つねに引用されるのは、「その証言又は書類の提出が国家の重大な利益に悪影響を及ぼす旨の内閣の声明・・・・・・があった場合は、証人は証言又は書類を提出する必要がない」という議院証言法第5条の規定である。刑事訴訟法第144~145条の「国の重大な利益を害する場合」、職務上の秘密に関する証言について監督官庁等としての承諾を拒否できるとの規定も同様に悪用されている。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

 

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

 

神経ガスの出現まで

 

生物・化学兵器の歴史は古い。中でも毒ガスといえば、第1次世界大戦でドイツ軍がベルギーのイープルで初めて使用したというように信じられているが、実はそうではない。

 毒ガスを戦争に使おうとする試みは、古代からあらゆる国で、あらゆる所で行われていたことが歴史の記録に見られる。最も古いと思われるのは紀元前431年~404年のアテネ・スパルタ戦役である。紀元前428年のプラチアの包囲戦で木材を硫黄やピッチに浸して城壁の下で大量に燃やすという戦術を編み出した。この古代化学戦は大成功となり、以後各種戦闘に進んでこの戦法が利用されるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 翌日、ウェッブは、数人の判事が「〔満洲事変に関する〕陛下の地位に付て・・・相矛盾する点があると思ひますので、証人から此の点をはっきりと本日此処で聴きたいのであります」と法廷で発言した。犬養は、彼と父親が「満洲国から引揚」げるという場合、それは朝鮮軍を朝鮮に戻し、また鉄道守備隊に付属地に撤退するよう命じることを意味していたと述べ、前日の証言を部分的に撤回した。しかし、犬養は矛盾を完全に払拭することはできなかった。それから7ヶ月後、検察側が共同謀議に関する説明を終えて立証段階を終了したときも、さまざまな事件における天皇の役割という問題は、さながら裁判の進行を覆う雲のごとく中途半端に漂ったままだった。そして、天皇の戦争責任についてあえて論じようとする被告は誰ひとりいなかった。

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
 
歴史
1996年4月、「モデル核兵器禁止条約」(Model Nuclear Weapons Covention, Model NWC, mNWC)という名の条約草案が、核兵器の廃絶を求める法律家、科学者、軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する以下の3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草された。目的は、核軍縮の可能性を「法的、技術的、政治的要件に沿って検証する」ことであった。
1.International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation、INESAP(拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク)
2.International Association of Lawyers Against Nuclear Arms、IALANA(国際反核法律家協会)
3.International Physicians for the Prevention of Nuclear War、IPPNW核戦争防止国際医師会議
 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!