731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

 

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月5日(水)

23、最初のパネル台湾への記述の表現、気になった。他、侵略など表現がきつく感じた。当時明治維新から中国、ソ連満州、朝鮮、樺太、他アジア地域の領有争いを続けていた流れに日中戦争、太平洋戦争があったので、単純に侵略戦争では表現できないと感じた。パネルの展示内容もよりわかりやすくした方が良いと感じた(表現が古い印象)。日本の戦後補償は十分ではないが、植民地支配への責任については、唯一他の国よりも向き合っていると思う。そもそも日本の民間人への補償がされていない中、日本政府が戦後補償が、不十分なままとしている事実から考えるべきだと思います。韓国の慰安婦問題については補償額については他と比べて高く、日本政府からの補償を受け取った者への韓国内の批判など複雑な状況をもっと反映すべきだと感じます。重要な展示だと思うので、多くの人に賛同される展示の工夫が必要だと思う。

(女性、不明、市外、友人)

 
 
 


 

 

 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 



 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

1948年京都・島根ジフテリア予防接種禍事件(その3) 

国会の論議 

質疑は次のように展開しました。 

樋上議員は「和解」は「半ば強制的であり」金額も少なすぎることを強調します。その根拠 のひとつとして「…苦情を言っていたら当時警察官があとをつけてきて文句をつけておるのはだれか示談の前後を通じていろいろ調査した」「極端に言えば圧力をかけてそして示談に持っていくそれで納得さしたような状態であるということは当時の遺族の方々やまた団体をこしらえて交渉した代表者のなまなましい当時の訴え」から明らかであることを指摘しました。同議員は金額が少ないことについては小刻みに支払われた金額の合計をもって弔慰金として済まされたことを指摘しました。ここで閣議了解による救済措置で示された金額と比較してみるとわかりやすいと思います。表2のようになります

 



 

 




 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻5号 1930(昭和5)年

 

雑報

◎第68回講習会開催

4月11日午前、開校式挙行、所長お差支えの為、

城井博士代わって講習生一同に対し訓示を述べらる。

講習生氏名下の通り。

          

 



 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

細菌戦裁判と反戦運動

吉田義久相模女子大学教授)

 

本日の判決に対しては、怒りをもって弾劾したいと思います。中国人の原告の方たちの努力と期待に報いる事が出来なかったことを、日本人として心からお詫び申し上げます。日本軍731部隊の細菌兵器の開発の実験材料として、マルタとして犠牲になった人達は、日本帝国主義の侵略軍隊に対し、果敢に戦われた良心的な方達でした。そして日本軍の細菌戦の被害を受けた方達は、2度とあってはならない非道な苦しみを強制されました。

 
 
 
 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月三一日

 

晴 風無し 非常に良い外出日和なり。外出致さず 午後六時に大隊当番上番す。

書くまでもない日曜日也 今日は一日遊べる予定也 但し午後十時迄はこの間炭坑で頂いたビールを今日呑んだ うまくもないが悪くもなし、そして面白く呑み合っているのにむかつくではないか 一人来二人来して中隊中の下士が集った くそ面白くもない逃げてきてしまった。今日はよほど外出致そうと思ったが 変に心にもない事を冗談交じりに 鞍山なんて遊ぶ所はない 私の遊ぶ様な高尚な所はなんて 偉そうにも見た所は山山なる野術試合(奉天医大対オール鞍山)

 

 

 

 

 大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

佐竹伸生氏(富士見町2、1.1㎞)

富士見町2丁目にて被爆した。頭部に外傷を受け、年来嘱託医の関係もあった被服廠で当日より救護要員として診療を続けたが、9月7日原爆症により妻が死亡し、続いて自分も10日頃より脱毛、皮下溢血、発熱など、原爆症が著明になった為救急救護を断念のやむなきに至った。原爆症状はその後約3週間続いた。

 

土谷剛治氏 故人(千田町1,1.5㎞)

千田町1丁目の自宅にて被爆。自分は頭部に軽度の裂傷を負ったが、家族に負傷者があったので家族を連れて兵器廠付近の民家に行ったところ、否応なしに兵器廠に連行され、終戦まで同所で故結城英雄君らと共に救護に従事した。その後戸坂村に疎開して、同役場に設けられた広島市の救護所に10月頃まで勤務した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事

 

溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部

 

〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。

 

8月14日

 乗り遅れる者がいないように、各分隊長は自分の分隊員の員数確認を急いだ、それでも足りない分隊があり、兵舎や63棟、炊事場、倉庫などを探し回った。中には悠々と寝ていた者もいた。

 列車が入って来たのは、午後4時頃であった。私はガソリン掘り作業の人員に急行伝令の任務を果たし、分隊長独自の判断で分隊乗車予定の一番最後の列車に、米、砂糖、乾燥味噌、乾燥醤油や簡単に調理してすぐに食べられる食品を積み込むように命令した。まず、何十俵かの米を敷き詰め、その上に食料品を置き、その上に毛布を敷いた、向かうところは朝鮮の江界の炭坑跡と聞いたが、そこでどのような生活が待っているのか、また、いつまでそこに駐屯しなければならないのかもわからない。当座の日常生活ができる品物は欠かせない。

 
 

 

 

 

 
 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

4 日本における調査・研究

 このように日本側の文献資料が少ないのは、平房からの部隊撤退時に証拠湮滅のため焼却したことと、残存したものも前述したように戦後アメリカに提出されたことによる。しかし、1986年9月17日に米下院復員軍人委補償小委員会において731部隊公聴会が開かれた際、ハッチャー国防総省記録管理部長が、

731部隊の関係資料は1950年代後半に日本に返還したと言明し、日本の国会図書館の調査結果では、731部隊に関する第1次資料は、日本へ返却後、最初外務省復員局に渡され、その後防衛庁戦史室に移されたとのことであるから、一日も早く公開されなければならない。

 以上で、本書収録の中国側資料の、ソ連アメリカ、日本の資料の中での位置づけと関連がおおよそ明らかになったと思われる、そこで以下では、本書が新たに明らかにした点、再確認した点を整理してみよう。

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用

 

武漢・広東攻略作戦

 武漢攻略作戦は、広大な作戦地での中国軍の頑強な抵抗だけでなく、伝染病や気候の悪さもあって大変苦戦したので毒ガス兵器に依存することが多くなった、吉見義明氏が発見した中支那派遣軍司令部の毒ガス戦報告によれば、375回以上の毒ガス戦を展開してその8割が成功し、この作戦で各種「あか弾」9667発、「あか筒」3万2162本、「みどり筒」6667本を使用した(中支那派遣軍司令部「武漢攻略戦間に於ける化学戦実施報告」『資料集』資料9。以下引用はこれによる)。武漢戦での毒ガス戦についても吉見義明氏が詳細に報告しているので、(粟屋健太郎・吉見義明「毒ガス作戦の真実」・吉見義明『毒ガス戦と日本軍』)、詳しくはこちらに譲り、以下、要点を示したい。

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

隠蔽と反宣伝

 

 日本の軍隊が化学兵器を実戦に使用したのを紹介する前に、日本政府、軍隊が化学兵器をどのように見ていたか、世界の反化学兵器の世論と国際間にすでにある化学兵器禁止の公約と協定に対しどのように向かい合ったかを説明したい。

 前章ですでに述べたが、化学兵器を使用する問題に関しては国際間に早くから禁止協定があり、第1次世界大戦終結後、1925年にジュネーブ化学兵器の使用禁止を含む議定書を再び調印した。日本側はこれらの状況を非常にはっきりと理解していた。とくに上述の議定書調印間もないジュネーブ軍縮準備会議の席上、各国が化学毒剤の持つ意味について重要な討議を行った。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使

 

大西馨(おおにしかおる)

大尉

 

〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳

 

仲間を何人もみすみす殺された捕虜たちが、この道を選んだ事は当然の事であったが、私はこの報告を握って地団太踏んでくやしがった。が、どうすることもできず、虎林憲兵隊に通報しておいた、そして衛兵の梅本軍曹や江藤伍長に、「おい、しっかり警戒しろ」と癪にさわって、憂さをぶっつけた、

10日ばかり経ったある日、4人の捕虜が虎林西方の村で毛布を売っているところを、憲兵隊員に逮捕されて送られてきた。癪にさわって仕方なかった私は、「見せしめの為だ、憲兵所の柱に縛り付けておけ」と命令し、飯もろくに与えず、犬ころか何かのように柱に縛り付けておいた。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第 回) 6月23日(水)15:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第 回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

3 「機密」概念の曖昧性

軍国主義バロメータ

 ともあれ法制化されるよりも先に国家機密保護体制は、すでに裁判所をもまきこんで暴力的に強化されつつある。これは司法反動の到達点をしめしているだけでなく、まさに国家機構の中枢に軍国主義が確立していることの証左といえよう。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

 

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

正体つかめぬ生物兵器

 

 第1世界大戦では、ドイツのスパイがアメリカから積み出された牛馬に病原菌を注射して疫病を流行させ、また、ルーマニアでは馬に馬鼻疽を流行させて戦力を低下させた。

 生物兵器による攻撃は、いつ誰がやったのか判断しにくい上に、人為的なものと自然発生な流行との判別もほとんど不可能である。そのためもあって従来余り問題にされなかった傾向がある。それでも第2次世界大戦中とそれ以降委は、生物兵器の研究が急速に進み本格的な生物兵器時代に入る。しかし生物兵器の研究・使用は各国ともに極秘であるため、その資料は秘密のベールに閉ざされたままである。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 1947年12月末には、東郷前外相が証人台に立ち、1941年の宣戦布告の主唱者は東条、嶋田繁太郎、鈴木貞一だったと述べて、国民の関心をひいた。さらに重要なのは、12月26日に東郷が、ハル国務長官は中国と仏領インドシナからの日本の軍隊・警察の即時かつ完全な撤退を要求したと述べた点だった。

 しかのみならず、・・・・ハル・ノート〔に従えば〕・・・・日本は満州からも引揚げなくちやならぬという状況になります。この政治的情勢はおのずから朝鮮にも影響します・・・・すなわちこれを言いかえてみれば、対外的情勢においては、日本の今日の状況になるということを言つても差支えないわけであります。・・・・・・これを概括して言いましたら〔ハル・ノートは〕日露戦争前の状況に返れという要求であります。これがすなわち日本の東亜における大国としての自殺である。またそうなってくれば日本は経済的にもほとんど存立することはできない。 

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
 
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
 
署名国         署名日           批准日 (締約日)
アルジェリア        2017年9月20日
アンゴラ           2018年9月27日
アンティグア・バーブーダ 2018年9月26日         2019年11月25日
オーストリア         2017年9月20日         2018年5月8日
バングラデシュ      2017年9月20日         2019年9月26日
 
 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!