731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日25日はブログをお休みします!!

 
 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 



(感想)

5月6日(木)

44、小生、臨床医(内科)
先輩、731部隊で人体実験などに関与した人が多い。今回のパネル展、だいぶ資料を集めて、充実してきたと思う。パネルで学び、書物とでも。
(男性、80代、市内、赤旗、【731部隊

 
 
 
 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻7号 1930(昭和5)年

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻7号 1930(昭和5)年

雑報

6月中職員異動調

月日    異動事項               官職         氏名

5.31  伝染病研究所に於ける

    血清製造研究業務を嘱託し

    手当1ヶ月金50円給与                    沢野秀作

5.31  昭和5年5月31日付願

    研究生退学の件許可す     研究生        平野忠七

6.1  昭和5年5月31日付願

    研究生継続の件許可す     研究生         宮沢国丸

6.11 任京城帝国大学教授

   叙高等官6等             技手      中村敬三

6.16 陞叙高等官2等          教授      三田村篤志

〃  同              教授    河本禎助

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

日本の戦争医学犯罪を明らかにしよう!

川村一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

 これまでに分かってきたのは、731部隊等の防疫給水部隊が戦争中、中国の各地で集めてきた標本であろうということです。軍医学校の教官だった人の中には、731部隊が作った標本だろうと言う人もいます。防疫研究室で働いていたある人が、防疫研究室にホルマリン漬けの人体があったと証言してくれました。731部隊の人の中には、部隊本部の2階に標本があったと証言してくれる人が何人もいます。 

 

 
 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 (お手紙より 2020年)

第2次世界大戦がはじまり、 敗戦するまでの行程の「初めの一歩」にあたる1931年9月に起きた満州事変、その半年ほど前の日本の立ち場、中国の立場と抗日の様子、中国人の暮らしぶりを書き残した記録は、歴史の流れの一コマをくっきりさせています。

 無名兵士として父は歴史の一かけらを担い、私はそのかけらを公表する役を引き受ようと考えました。

 
 

軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

 

 この年長の医師、重藤文夫博士が、若い歯科医師よりも尚重い絶望感に捉えられる可能性があったはずであるのは、若い歯科医師が予感し、漠然と恐怖したところのものを博士は、現実にそして次第に確実にしりつつあったからである。

 重藤博士はその1週間前に広島日赤病院に赴任したばかりだったが、世界で初めての、人間たちの頭上での核兵器の炸裂は、博士を、恐らくその生涯の全ての時にあたって広島に結び付け、彼を本質的にヒロシマの人間とした。

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

731部隊の看護婦だった

石井四郎の不気味な顔と言葉が忘れられなくて・・・

 

赤間まさ子

731部隊・看護婦

 

〈経歴〉

1915年生まれ

1939年 731部隊入隊。診療部配属(看護婦)

1945年 帰国

■この証言は1994年6月、7月、8月他の証言をまとめたもの。

 

 ところが案の定、結婚生活はうまくいきませんでした。“出戻り”の義姉に「こんな嫁もらうなら、牛の1頭も買った方がいい」と陰口をたたかれることもありました。婚家に疎まれながら生活を送っていましたが、その内長男が生まれたのです。しかしそれも私の心を引き止めることはできませんでした。乳離れもしないうちに離婚し、私は身一つで婚家を飛び出したのです。幼い息子のことは気になりましたが引き取ることもできず、私は自立するために仙台に行き、無我夢中で助産婦の資格を取りました。

 そんな時、731部隊の保機隊(731部隊の機密保持を担当する部署)にいた叔父から手紙が届きました。「生まれ里にいるのも辛かろう。こちらに来ないか」という叔父の誘いに、私は心を固めました。

 
 

 ●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

5、本書が明らかにした新事実

③ 平房の監獄の構造はどうなっていたのか

 

1945年8月の撤退時の建物破壊については、森村誠一悪魔の飽食』で示されていたし、越定男による破壊の目撃証言もある。しかし、本書の「5、日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅」は、それらを再確認し、さらに詳細に証拠隠滅のやり方について記録している。

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

3 戦略的持久戦下での毒ガス戦と糜爛性ガスの実験使用

糜爛性ガスの使用実験の指示


 
軍事極秘
20部の内第1号
大陸指第452号
指示
大陸命第241号に基づき左の如く指示す
1、北支那方面軍司令官は現占拠地域内の作戦にあたり、黄剤等の特種資材を使用しその作戦上の価値を研究すべし
 
2、右研究は左の範囲に於いて実施するものとす
 
 イ 事実の秘匿に関しては万般の処置を講ず。特に第3国人に対する被害を絶無ならしむる共に彼らに秘匿することに関し、遺憾なからし
 
 ロ 支那軍隊以外の一般支那人に対する被害は極力少なからし
 
 ハ 実施は山西省内の僻地に於いて秘匿の為に便利なる局地に限定し、試験研究の目的を達する最小限とす
 
 ニ 雨下はこれを行わず
 
昭和14年5月13日
 
支那方面軍司令官 杉山元殿
 
参謀総長閑院宮載仁「大陸指第452号」1938年5月13日)
【出典:吉見義明 / 松野誠也編・解説『毒ガス戦関係資料Ⅱ』不二出帆、1997年】
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 東北にいたとき稲田は関東軍首脳に対し何回も交渉し、大規模な化学戦の演習の遂行に賛成するよう説得した。重要なのは、「きい弾」つまりマスタードガスの効力射撃実験と大規模な青酸の放散実験だった。彼らの了解を得た後、稲田は国内各方面と協力して、実験に必要な大量の毒剤と器材を調達し転送した。

 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

血の会食

市場に砲弾を撃ち込んで略奪

宮崎敏夫

砲手 兵長

 

〈略歴〉

学歴 旧制中学校卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第109大隊歩兵砲中隊

年齢41歳

市場の人の群れは、瞬間、棒立ちになったが、砲弾だと分かると、人波は潮のように城内に殺到した。市場の中は、あわてて物を包んで担ぐ者、驢馬だけ引いて逃げる者、それが皆城門に向かって・・・・。それを追いかけるように、パンパンと小銃が鳴った。林の中から金山軍曹以下30名の兵隊が、「ウワー、ウワーッ」と、吠えながら銃剣を光らせ市場の中へ襲いかかっていった。宮崎と田辺は、砲撃が終わると、木下軍曹の命令で、金山の一隊を側衛するために銃剣をさげ、飛ぶように畑を走り出した。

「ここだなッ」

宮崎たちは立ち止まった。

凍った畑の真ん中に大きな穴が開き、その穴の口から白い煙が立ち上り、硝煙の臭いが漂っている。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

国家機密と軍事機密

厖大な秘密文書  

現在はどうか。政府はすでに国家機密が存在すると公言している。そして政府内部の秘密保護規程としては、次官会議申合せを基準として各省庁ごとに訓令等を定めている。これによ秘密文書として指定されたものは、1971年中だけで第3表、第4表がしめすように10数万件にのぼっている。もっとも多いのは外務省であり、防衛庁法務省公安調査庁などがこれに続いている。「機密」の区分を設けているのは16省庁とされているが、これはごまかしで、総理府本府、外務省も「機密」の区分をもっている。外務省は「機密」文書がないとしているが、後述するようにこれには疑いをもたざるをえない。

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

 

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

「関特演」と風船爆弾

「最も苦心したのは剤の分解をいかにして防止するかであり、銅イオン(硫酸銅)を介在させることで、青山氏が解決した。昭和16年7月末関特演D日を目標にC研は約12万個を製作。その名称、茶剤手投びん「チビ」は、当時のBT(ベーテー)戦車をひっくり返すものとしてTBとも言われた。」

 研究課長桶上倫久2佐は『化学学校記事』(12号)で、太平洋戦争の秘密兵器と題して以上のように書いているが、いわゆる〈関特演)について簡単に触れておく必要があろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 ウェッブ裁判長は法廷指揮や個々の事件の事実関係について論じていった。裁判所は威嚇や暗殺で権力を強奪したとして日本陸軍の有罪を認める一方で、日本軍の行動について日本国民の責任を免除した。裁判所はまた、当初の起訴状のうち、立証されたと考えられた訴因の多くを認定しなかった。そしてウェッブは、多数派判事の見解を要約して、「・・・・(一連の)侵略戦争を遂行する共同謀議は、すでに最高度において犯罪的なものであった」と結論付けたのである。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 


核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

1.大気圏内核実験 地上、海上、及び空中で行われる核実験である。実験方法には、棟上、気球、船舶、離島、及び航空機からの投下が用いられる。また数は少ないが、高高度核爆発実験もロケットにより行われる。地上近くの核爆発では、土砂とチリがキノコ雲により巻き上げられ大量の放射性降下物が発生してしまう。また高々度での核爆発では強力な電磁パルスが発生し、周辺の電子機器に深刻な障害を引き起こす。

 

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 

 

 

 

 

 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!