731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

77、「日本の戦争の加害の歴史・概要」が全体像を把握するのに大変役立った!!隅々までしっかり考えながら読み、まとめのパンフは貴重な資料としていただいた。大変ありがたい!!

5月9日(日)18:00~19:00に来たので、忙しいので、一時間では見切れなかった。また次回みたい!!

(男性、60代、市外、5/1半田滋さんの講演会の後、このセンターで立ち寄り、今日また来た)

【要望】また展示をしてほしい。展示内容をコンパクトにまとめた図録、パンフレットがあると良い。例えば平塚市の博物館では、特別展のまとめパンフレットを製本で作成し、500円~1000円で売っている。

 

 
 
 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために
 
太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿 
 
ビキニ核実験による被災漁船(延べ1000隻)の元船員・遺族救済を求め「ビキニ国賠 訴訟」を高知地裁に提訴した。訴訟では、証拠書類、証言、傍聴ともに被告の政府側を圧倒したが、2018 年 7 月 20 日の判決は、20 年の時効により原告の請求を棄却する不当判決だった。しかし、裁判長は判決文で、「個々の漁船員が被ばくしたこと、被曝と健康状態の悪化との因果関係を立証することが困難を伴うことが否定できない。そうすると、長年にわたって顧みられることが少なかった漁船員の救済の必要性については改めて検討されるべきとも考えられる」と漁船員の被災を認めた上で、救済の必要性について立法府と行政府に検討を求めた。6 月 11日、高松高裁で 3 名の意見書が提出され、政府の継続的不作為行為が立証された。 裁判に至る背景・動機(今号)、裁判・労災認定をめぐる現状と課題(次号)について述べたい。
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 

 

 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
 

実験医学雑誌第14巻雑報

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

実験医学雑誌第15巻雑報

雑報15巻2号、昭和6(1931)年

予め進捗中であった改築工事も遂に厩舎から研究室に及んで愈々研究所本館の新築に着手さるることになった。

   それで在来の第2号本館は南方の塀添いに移転して新築の落成を待つことになった。

 2号本館の各室はその移転工事の間講堂に、後ろのバラックに、果ては諸室に暫時の宿を借りたのであるが、

その為の講堂も目下完全に塞がれてしまったので遂に2月の学術集談会も中止することになった。

しかし3月終りまでには2号本館の移転も完了する筈であるから、移転の暁は一時の混雑も回復する筈である.

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

正義の判決こそアジアの平和の基礎をつくる

 

西森茂夫(平和資料館・草の家 館長)

 なお、判決は1972年の日中共同声明と1978年の日中平和友好条約に於いて中国政府が戦争賠償席級を放棄したことを挙げ、国際法上はこれをもって日本の国家責任は決着済みであるとの独自の判断を下した。しかし、福岡地裁の判決(2002年4月26日)が示す通り、サンフランシスコ平和条約締結当時中国は、中国国民が日本政府に対して日中戦争において被った被害の賠償を請求し得るとの立場をとり、1995年3月全人代の席で当時の副首相兼外相の銭其琛日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって個人の補償請求は含まれず。これは国民の権利であり、、政府は干渉すべきでないという見解を示している。したがって決着済みとの判断も誤りである。裁判は原告が早速控訴したが、控訴審裁判官の良心と勇気に期待したい。正義の判決こそアジアの平和の基礎を作るのであり、また日本の民主主義のレベルを世界に示す事になるからである。(参考文献『世界』2002年11月号土屋公献論文)

(「草の家だより」№76、2002年11月1日より)

  

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月七日

生まれて初めて汽車の夢を負ひながら営口につく  三拾分ばかり街中をふらつく  中々大きな街にして居心地のよさそうな街である  今日なんと愉快な公用であろう  一人旅にして見る街は又格別だ三拾分の営口よさらば

一生行きし事もないのだろう  武田のあんぼんたん



 
 


軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


 即ち、重藤博士と原爆病院は、常に研究機関ではなくて、日々の治療機関であり、現場の医師であった。したがって、重藤博士を巡る原爆病院の医師たちの研究は常に、現実の患者の治療と綯(な)い合わされてのみ存在したのであった。それは、ABCCが本来、治療とは無関係な、純粋な研究機関であったことと比較されながら、記憶されるべきであろう。

 
 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

 

731部隊の状況

 地元の古老は、中馬城は大きな城の様な兵営だったと言い、元陸軍中将遠藤三郎氏(日中友好元軍人の会創始者)の日記によれば背蔭河実験場は600m平方の一大要塞の様だと記し、古老の話と一致します。 

 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

序言

 軍医たちの功名心による研究欲求と人種差別思想が分かちがたく結び付いて為された人体実験は、旧日本軍の侵略性全体の中に、特殊的ではなくむしろ普遍的な根源を持っていた、ということができよう。訳書『人体実験』以下で示される、731部隊などの細菌・化学戦準備とその実施がもつ意味を日本の読者により的確に理解していただくためには、日本軍によるより一般的な事例を先ず提示する必要があると思われた。原著第3部の翻訳・刊行を優先したゆえんである。

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

 

糜爛性ガスの使用実験の指示
4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
華中での糜爛性ガスの大規模使用
 
 また、中国国民政府が1942(昭和17)年7月14日に太平洋戦争協議会(ロンドン)へ提出した文書によれば、宜昌攻防戦で日本軍はガス弾を使い、日本軍機は300発以上のガス弾を投下したが、この時使用されたガスは催涙性、くしゃみ性及びマスタードガス(イペリット)であり、中国軍は1600人が影響を受け、うち600人余名が死亡したとしたうえで、更に、次のように記している。
 
 この毒ガスに見舞われた兵及び民間人は即座に失神し、ある者は数分ないし30分以内に死亡し、他は火ぶくれになり数時間後に死亡した、また目がふくれ上がり、くしゃみを発し、鼻血を出すものもいた。死者の皮膚は黒と青色に変じた。最も軽いものでもある程度回復するには10ないし11時間かかり、完全に元通りになる為には更に10時間以上を必要とした。ある中国軍師団のガス弾による死傷者は総兵力の3分の1にも達した。(竹前栄治「やはり毒ガス・細菌兵器は使われていた―中国側からの告発」)
 
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

 

そしてまた、かつて大久野島毒ガス工場で働き、現在も病と痛みに耐えている日本人のことを思い浮かべた。もし、これを建てた人たちが動物に対して本当に善良な動機を持っていたならば、何で彼らの毒ガスによる被害者のために、もっと大きな記念塔を建てなかったのだろうか。村山内閣が最近行った決議によると、戦争中死んだアジア各国の人民を追悼する記念塔を1995年に建立することを準備するそうだ。勿論、これは1つの進歩である。ただ、いささか遅かったのではないか。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く

 

新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。

 

3日間も寝ずに、拷問を受けている者とは、全く考えられないくらい、2人の足取りはサッサッと大地を踏みしめている。

「エイ、もっと早く歩け!!」

私は彼女たちがゆっくり歩けば歩くほど、中国人に馬鹿にされている様でやきもきした。

「エイ、早く歩くんだ!!」

田原がキンキン声でがなり立てた。私が焦れば焦る程、女は前よりも、もっともっとゆっくり歩きだした。それは無言の抵抗のように思えた。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

2安保体制の機密

手厚く保護される米軍機密

 安保条約とならんでMSA協定もまた、安保体制下の軍事機密を大量に生産している。同協定第3条は「各政府は、この協定によって他方の政府が供与する秘密の物件、役務又は情報についてその秘密の漏せつ又はその危険を防止するため、両政府の間で合意する秘密保持の措置を執るものとする」と定めている。これに関して同協定付属書BおよびMSA秘密保護法、ならびに防衛庁の「防衛秘密の保護に関する訓令」が、一連の秘密保護体制を構築していることについては、すでに述べた。また、MSA防衛秘密のうち文書については、70年末現在で「極秘」が27件217点、「秘」が3118件9万0142点あることが、前掲第2表の防衛庁資料で明らかにされている。物件は7~8万点といわれているが、公表されていない。というのは、MSA秘密保護法が、「品目及び数量」を防衛秘密としていることとの関連からであろう。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

神経ガス

神経ガスの代表的なものは、Gガスである。これは第2次世界大戦中、ドイツが有機燐化合物の農薬研究中に発見したもので戦用ガスとしては最も重要視されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 

 占領の開始から5ヵ月、1946年の新年を迎えたとき、日本国民はふたつに分裂していた。一方では、復員した兵士と職を失った市民が続々とアジア大陸から引き揚げてきた。数百万の国民が住む家を失い、食料の配給制度は崩壊し、いたるところに闇市が栄えていた。農民は市町村の民主化を求めて政治闘争に立ち上がった。農地改革はまだ始まっていなかったが、小作農や小規模自作農は、明治以来、戦前天皇制の社会的支柱になってきた地主への不満をつのらせていた。他方では、早くも顕在化した混乱と退廃が精神的動揺を引き起こしていた。左翼にかぎらず多くの国民が、敗戦と占領はただちに根本的で徹底した改革をもたらすと考えていた。大規模な制度の変革が明日にでも起こりそうな気配だった。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

 

歴史

2020年7月、フィジーが39か国目の、ボツワナが40か国目の批准国となった。フィジーの批准日は条約採択3周年の日でもある。

2020年8月6日、アイルランド、ナイジェリア、ニウエが批准した。

2020年8月9日、セントクリストファー・ネイビスが批准し44か国となった。

2020年9月21日、マルタが批准し45か国となった。

2020年10月1日現在、84か国が条約に署名している。また、2020年9月30日、マレーシアが批准し46か国となる。

2020年10月12日にツバルが、10月23日にジャマイカナウルが、10月24日にホンジュラスが批准して、批准国が50か国に達した。この結果、2020年10月24日から90日後(条約15条1項)の2021年1月22日以降、核兵器禁止条約は世界的な法規範として正当な効力を持つことになる。

2020年12月11日、ベナンが批准した。

2021年1月22日、条約発効。またカンボジアが批准した。

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!