細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月5日(水)

21、人間は戦さの連続で、生き残る為には殺してきた。被害に遭ったことは、大げさに騒ぐが、実際にやって来たことはとんでもないことをしてきた。よく資料を集めて見せてくれてありがとうございます。まだまだ知らない事がいっぱいあります。日朝協会の人の話を聞いて、関東大震災で何があったか聞いて、活動してきました。まだまだ知らない事もあるし、いろんなことを学び、言わないと思います。

(男性、70代、市外、赤旗

 
 

 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
田宮猛雄(たみやたけお)
 
 
[経歴] 
1889年 大阪府で生まれる。
1915年 東京帝國大学医科大学(現・東京大学医学部)を12月に卒業、伝染病研究所の技手となる。
1918年 伝染病研究所の技官となる。
1924年 医学博士号を取得。論文の題は「脾脱疽感染及び免疫に関する実験的研究」
1927年 東京帝國大学伝染病研究所教授に就任。
1931年 同大学医学部教授となる。衛生学講座を担当。
1944年 伝染病研究所第7代所長に就任。
1945年 同大医学部長に就任。
1948年 日本医学会会長に就任、亡くなるまで務める。
1949年 東京大学を停年退官。名誉教授となる。
1950年 日本医師会会長となり2期務める。
1960年 水俣病研究懇談会(田宮委員会)の委員長となる。
1962年 国立がんセンター初代総長となる。
1963年 日本学士院会員になる。7月11日に胃癌のため死去。墓所大阪市阿倍野区正三位、勲一等。
医学者としてこれ以上は望めない輝かしい経歴だが、御用医学者としての業績もまた超一流である。
田宮猛雄といえば、水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」での悪行が有名である。
医師会会長の権威を利用して、腐った魚を喰ったせいだなどという説をでっちあげ、真の原因である有機水銀説をつぶし、被害を拡大させ新潟での第二水俣病まで引き起こした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
実験医学雑誌第15巻雑報
満州事変を日本軍が引き起こしていて、その直後に伝研は、満洲軍に慰問金を募集している!!伝研は、軍を支持していた!!!
※本当に南米に出張していたのか?満洲ではないのか??

雑報15巻12号【1931(昭和6)年】

〇家畜群霊祭挙行

11月6日所内群霊塔前に於て挙式、所内職員一同

の参拝あり。終わって新設の馬場にてビールの饗応催さる。

尚午後は民謡、舞踏、曲芸、茶番等の余興の催しがあった。

 

満洲軍慰問金募集

11月30日宮川教授、桧山事務局長の提唱により所内職員より題記の募集あり。所内一同欣然として応募す。

 

〇高木教授、大和田技手帰朝

11月21日、今春来、南米出張中両氏は旅中恙なく健顔莞爾として帰朝さる。

 

〇学術集談会開催

11月20日午後1時半より諸寧講堂に於いて集談会開催され、演題は次の通りであった。

1、最近日本における癌研究の状勢                                           田宮貞亮君

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第5部

 

731細菌戦裁判第1審判決までの軌跡 ー疾風迅雷の7年間―

 


 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月十七日

我々は番犬であってもよい。唯小さい会社の番犬ではない。

現在の満州も平和こそ理想として立てる我守備兵ながら それは単なる理想にして矢張り銃持ちて平和を)希望しねばならない 現在の南満ではあるまいが決して穏やかでない事は我々にもうかがわれる。  



軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


そしてもう1人の青年は、荒々しい印象を全身に漂わせた肉体労働者で、彼は京都に婚約者を持っていたが、ある日、自分の白血球の数が増大したことを知って(それは結婚の為の手続きとしての血液検査においてだった)、そのまま黙って婚約者から逃亡し、東京に出てきていたのである。彼の日々の仕事は、東京港周辺の倉庫の前の野天作業場で、梱包の釘を打つ事だった。それは真夏だったが、青年は3日間働くと、ビタミン剤やら造血剤やらをいっぱい買い込み、4日目はぐったり寝そべったまま薬品の海にひたっているというのだ。

 

 

原爆初動調査 隠された真実

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

731部隊に引き渡す
 
 731部隊が生きた人間を実験で殺していることは聞いておりました。しかしどんな形で誰がやっているのか詳しくはわかりませんでした。ただその部隊が細菌戦部隊であって、大変な部隊であることだけは知っていました。そういう所に彼らを送っているわけですから、非常に緊張しました。大連からハルビンまでの20時間近い時間は、まさに長い長い時間でした。ハルビン駅に着きますと、731部隊の専属の憲兵が私服で来ていまして、部下憲兵を使って、私が連れていった4名の方に直ちに足かせと手錠をかけ、麻縄を解くとそれを投げ返してくれました。そして窓のない黒いワゴン車の鉄の扉を開いて、豚でも蹴り込むようにして中に入れました。この扱いは今も印象に残っています。まさに“丸太”扱いです、この様にして私は4名の愛国者731部隊に送り込んでしまいました。 
 

  

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

2 吉林

愛新覚羅・憲均自筆供述書(1954年12月29日)

1936年冬と1937年2月、私が通化病院へ視察に訪れた際、院長の毛逢橋の言によると同病院には抗日軍の凍傷患者が収容されており、その栄養状態は非常に悪く凍傷も中々治癒できないでいる、との事だった。私は毛逢橋に対して〔その患者たちを〕手術の練習と薬物効果の実験に用いればよいと述べた。その手術後の標本は、後に奉天奉天は今の瀋陽市〕病院に置かれた(手、足の指100本以上)。

(1)119-2、1169、1、第6号

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 

Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用

華北での使用

以下、華北での特徴的な使用例を2例だけ挙げておこう。

〇冀中作戦での使用

支那方面軍は、河北省中南部の地域が八路軍の補給源であると判断し、5月1日から6月20日にかけてこの地域に対する破壊作戦を開始した。(冀中作戦)。この作戦で、第26師団の独立歩兵第12連隊が5月1日から6月10日迄の間に「93式あか筒」32本を使用した(同連隊「冀中作戦戦闘詳報」其の2)

 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

 

731部隊との関係

 

731部隊と516部隊の関係を語るには、まず731部隊の内幕を暴露するのに巨大な努力と貢献をした森村誠一の新版『続・悪魔の飽食』の冒頭に描かれたひとつの事件を引用したい。この事件は1945年8月、日本降伏の直前に発生した。
『この朝、731部隊に隣接する部隊専用の飛行場の一隅から、国防色の1台のトラックがゆっくりと第731部隊本部正門前に到着した。すでに連絡を受けたいたのであろう。衛兵の敬礼に迎えられたトラックはそのまま1棟と呼ばれる総務部・診療部建物の玄関に停車した。
「大尉どの、どうしますか?」
「我々2人だけの作業だ。噴射器を使う時間的余裕はない。急がねばならん・・・屋上にボンベがあるはずだ」
 

 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討

上級将校の罪行

 

野間栄作

少佐

私が村に馬を乗り入れて見ると、顔面を地雷で焼かれた県警備隊員が道路の真ん中に倒れて、「熱い、眼が見えない」と大声で泣いていた。また、別の場所では、膝から下を目茶苦茶に砕かれて倒れている者もあった。大体の情況を見てとった私は、小野の所に引き返すと、「村落内は『空室清野(侵略日本軍に一物も与えないように家屋内を空にし、畑野も清掃しておく村民の抗日戦法の1つ)』で、ただあるのは地雷だけですが、あまり強力なものではなく、負傷者4,5名出ています。村落の略奪はやめて焼き払うことが上策と思います」と話した。小野はちょっと首をひねって、

「しかし、今晩の宿営地はどこにするか」と言った。私は、

「寝るには北方の村が警戒が楽だと思います。地雷を埋めた六渡村は全滅にしましょう」

と強硬に主張した。

「遅いか、早いかの問題だ。よし焼いてしまえ」

と小野はやっと決心した。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  11月  10日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

3 外交機密の生態

戦争を誘う秘密外交

  沖縄交渉が最終ラウンドを迎えた69年8月から、東京で事務レベル折衝が開始された。このなかでアメリカ側は、アジアにおける「緊張の予想例」として100~200項目のリストを提示し、それぞれのケースについて日本政府の協力程度を明らかにするよう迫ったと伝えられている。これにたいする応答などが、69年日米共同声明を経て沖縄返還協定につながる日米軍事同盟の新段階を規定しているのである。

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

1 自衛隊の基本戦略

分かりにくい犯人

ところで、我々がその一端を垣間見た生物・化学作戦の実態は、現実に自衛隊の戦力の中でどのような地位を占めているかを正しく知る必要がある。そして、自衛隊の基本戦略の中で果たす生物・化学戦争の実態が何であるかを明らかにすることができるならば、賢明な日本国民は最も確実で安価な「人類への歴史的貢献」の道を見出す努力を始めるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

天皇新潟県長岡市を訪れていた1947年10月10日、首席検察官ジョセフ・B・キーナンは、天皇と実業界には戦争責任はないと声明した。キーナンは前年アメリカで、「政府筋」は天皇の戦争責任の追及には反対を決めたともらしている。その数ヶ月前の46年3月に非公式にそう知らされていた天皇にとって、キーナンが日本でも公式にこの決定を言明したことは、歓迎すべき知らせだった。やがて新しい君主制の主な財政支援者になる財界の指導者にとっても喜ぶべきニュースだったが、マッカーサーが日本の巨大産業複合体の解体と、一定の経済民主化に熱意を示し続けている中では、喜びも限られたものでしかなかった。

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 


1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。


 

 

 

 

 


 

 

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した
 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!