731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!!

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

42、戦争の記憶が特に加害の歴史が次第に消されていくのが、危険なことです。今の日本の空気は反中・反韓北朝鮮の感情が渦巻いています。政権の思惑はアメリカの強大な軍事力をバックに再びアジア侵略を目指そうとしているのでしょうか。バイデンのように、どうもアメリカの民主党政権は、戦争を進めようとする傾向にあるようで恐ろしい事です。

(男性、70代、市外、チラシ)

 
 
 

 


 

 

 

 

 
 
 
 
 










原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎




 
 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第16巻雑報

16巻6号(1932年)

学友会へ寄付金

一金6円85銭         村松楠雄君

5月中職員異動調

月日      異動事項               官職      氏名

5.2  昇叙高等官5等                 助教授     細谷省吾

5.4  東京府下へ出張を命ず              嘱託      福島伴次

5.5  任伝染病研究所技師              長崎医科大学教授  阿部俊男

    叙高等官3等                     同       同

〃   依願伝染病研究所における治療研究業務嘱託を解く         野上隆

5.12  依願免本官                   技手      寺岡辰

5.12  昭和7年5月10日付願研究生入学の件許可す             岡本正三

5.16  叙従5位                    技師      阿部俊男

5.16  叙従6位                    助教授     細谷省吾

5.16  大阪府下へ出張を命ず              教授     三田村篤志

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(4)事後の実行例に照らした解釈(条約法条約31条3項 (b)

 ア 原告らは、各種の判決を挙げ、これ等が事後の国家実行例に該当すると主張するので、順次判断する。

  (ア) エピルス事件判決

ギリシャに占領されていたトルコ領エピルス島の住民がギリシャ政府を相手として徴発により被った損害の賠償を請求した事案において、アテネ控訴裁判所は、ヘーグ陸戦規則46条及び53条に体現された私的財産の不可侵性を認める国際法の原則が本件にも適用されると述べ、原告の請求を容認した第1審判決を支持した(甲209の1・2)。

 しかし、この判決は、ヘーグ陸戦規則46条及び53条を使用しているものの、ヘーグ陸戦条約3条を請求権の根拠として原告らの請求を容認したものかどうか明らかではない。したがって、この判決も判決をもってヘーグ陸戦条約3条の規定が個人の損害賠償請求権を認めたことを示す国家実行例であると評価することはできない。

 
 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

 

一月二六日

晴 風なし 午前六時起床  零下二九度  じっとしていられない具合だ  山口竜之助氏より便り及加藤家よりの最近便り   写真が封入してあり。

僕はこんな窮屈な生活は大嫌いだ。初めての当番勤務なり。

朝から目が回りそうだ。こんなところにいれば大隊付幹部の裏面が手に取るように見える (勿論書くことを欲せない)失敗談もなければ説明談もなく無事終わつたことを喜ぶ

午後九時半床に入れども十一時半不寝番で起こされる そして珍しい山口竜之助様の所からの便りに対し返事を書く  加藤様より便りあり写宣が入っている  清治君の面影が非常に懐かしい。

何といふ寒さだろう?湯殿に行ったならば四方の壁は一寸ぐらいの雪がいつぱいにできている。湯気が氷ったのだ。濡れた手でドアの金を持ったならば金にも手を取られそうであった。大隊当番も楽ではないが  動かない覚悟なら平気なものだ  しかし週番中隊長の五円紙幣で一銭の買い物を頼まれたものは少々閉口した(マッチニつ)

 
軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅


 
彼女は1つの価値を逆転したのだ。国家というものの厭らしい欺瞞を、その犠牲となった弱者の姿勢において、しかし、実は、国家の欺瞞、生き残っている人間の欺瞞の全てに対して、致命的な反撃を加え、そして恋人共々、沈黙したまま、彼女たち独自の威厳に飾られた死の国へ歩み去ったのである。他人どもを、容赦しない孤独な厳しさの死の国。

 

 

原爆初動調査 隠された真実

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・

 

伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。

 

特別の仕事

ここでやっていることは絶対に他言してはならない。自分たちの仕事の内容はいくら親しい仲間(戦友)であっても語ってはならない。もし話した場合は、軍法会議で処刑されることは覚悟しなければならないとのことであった。

 また、「仮に」という前置きがあったかどうかははっきり覚えていませんが、訓示の中で隊長が、「沖縄の人間はいくらか残し本土に引き上げて敵を全部上陸させる。そして、敵が全部上陸した時にこれ〔細菌〕を使う」と言いました。これは、沖縄の人が聞いたら大変なことです。冗談じゃないと思うでしょう。沖縄戦の時にこれを使うのだと言われ、「えっ、そうすると、沖縄に残っている人はどうなるのだ」という感じを持ちました。  

 

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

3 遼寧

中国医科大学の証明(1954年11月13日)

張丕卿は本学解剖研究室技官で、「満洲国」時代、奉天満州医科大学に13年の長きにわたって在職していた。瀋陽解放後も本学にとどまっている。そのため「満洲国」時代、奉天満洲医科大学奉天監獄の送り込んできた「犯人」の死体を解剖していた情況について、彼は熟知している。現在、本学が保存している奉天満洲医科大学の「犯人」死体解剖の原簿がこれを完全に証明できる。原簿の記載によると、1942年から45年8月15日までに、合わせて231名の日本・満洲国〔原文・敵偽〕によって監禁死亡させられた死体の解剖された死亡させられた死体が解剖された以上誤りのない事実であることを証明する

(1)119-2、21、2、第18号

 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦  掃蕩剔抉と殲滅戦

18春大行作戦での使用

 

 作戦は4月28日から第2期へ移行し、八路軍根拠地を攻撃した。5月3日に第36師団長・岡本保之中将は「各隊は・・・・当初より為し得る限り敵性物質の獲得燼滅に努力するを要す」と命令し(36師作名甲第203号」)、第2期作戦計画では八路軍の捕捉撃滅後、「敵根拠地を覆滅す」る方針を掲げ、第36師団の歩兵224連隊は5月1日~同13日にかけて「94式あか筒」を11本使用した(同連隊(「18春太公作戦戦闘詳報」その2)。また、36師団の歩兵222連隊は、第1期作戦で国民政府軍に対し「97式中あか筒」1本、「98式小あか筒」62本、「発射あか筒」67本を使用し、また、第2期作戦では八路軍に対し「97式中あか筒」2本・「98式小あか筒」20本・「発射あか筒」5本を使用、「共産軍においては・・・・後方施設は我に徹底的に覆滅せられ」たとしている(同連隊「18春太閤作戦戦闘詳報」)。

 

 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

 

悪魔の兄弟の毒網

 

実験演習のため、日本の大久野島から猛毒の青酸が慎重に運ばれた状況については前に述べたが、輸送に当たった前出・服部忠さんの記憶によると、1942年8月、2回目に輸送した青酸は1t詰めの大缶で、合計3tだった。路程は1回目と同様、大久野島から宇品へ行き、さらに大連に渡ったが、大連にはハイラルから来た516部隊の軍人が待っていて、毒剤を直接ハイラルに送り、そこで小型缶に詰め分けた。詰め分けるために、大久野島から専門に山敷弘一を頭に4人がハイラルに派遣された。服部忠さんは、これらの毒剤がその秋ハイラル付近のホロンバイル草原で行われた大規模な青酸を撒く演習に使われたのを記憶している。

 このように我々は、日本陸軍化学兵器の研究、製造部門と化学戦の訓練、教育部隊との間の密接で有機的な関係が分かったが、これは、悪魔の兄弟たちがすでに毒網を織り成していたということだ。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討

上級将校の罪行

 

野間栄作

V

山村中尉は、さらに村長を引っ張って村の南端の廟に入った。不安に怯える村長に「お前の村に八路軍工作員が潜入した確報を掴んだのだが、お前は工作員とここの村民ではない者を全部報告すれば、工作員を村に入れた責任は許してやる。しかし村長が報告したことが村民に知れると、立場上困るであろうから、のぞき穴から見て前を歩く人が村民でなかった時は、内証でこの将校に知らせよ。他の場所でも同様に取り調べておる。もしお前が嘘を言った時は、家族共々銃殺にするから、よく考えて間違いなく報告しろ」と脅しあげ、安達少尉に白の小旗を渡して、村長の監視を命ずると、廟を出て南の広場に向かった。

 

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 
 
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
 
 
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

自衛隊の機密事項

正体不明の「機密」

米軍のシークレット

④合衆国側の主要な情報活動の成果を明らかにするに十分な情報を含み、米国情報機関によって成し遂げられた成功、あるいはその能力を評価できるような情報文書

核兵器、原子兵器など最新かつ極めて重要な装備に関する情報、など。

「シークレット」に区分されるのは、①「トップ・シークレット」に該当しない戦争指導計画、②その他の軍事上の計画、③交戦中の部隊の編組、識別、位置、①秘匿すべき情報資料、⑤直接的軍事利用が国防上重大な意味をもつ科学技術の進歩、⑥通信保全方策、⑦暗号資料、③重要な装備品の欠乏など弱点を表示したもの、などである。こうしてすべての戦争計画とスパイ謀略活動が軍事機密とされているのである。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

2 生物・化学兵器と階級的視点

ドル防衛と自衛隊の拡張

即ち、第二次世界大戦後、アメリカの世界支配の上で、社会主義体制の下で強大化したソビエトの存在と、広大な植民地を抱えるイギリスの存在がその意図を阻んでいた。そこで、アメリカはイギリス資本主義のマーケットとポンドの国際的地位を脅かし、イギリス帝国主義の弱体化を図るのである。

 

 イギリスは1949年9月、ポンドを 30.5%切り下げたが、ポンドの信用はさらに低下し、力を弱めていたポンドの信用は国際的に下落することとなった。

 アメリカは弱体化したポンドの国際的地位にテコ入れする名目で、イギリスへの援助をはじめ、その条件として、イギリスの植民地を解放させた。

 各国も追随するのだが、ポンドの切り下げによって、ドルが過大に評価され、その結果、アメリカは、①世界市場であらゆる商品を安く買い入れることができ、②相対的に強大化したドルの実力を持って、米ドルの受け入れを認めさせることができるようになった。各国が競争によって荒廃化した生産力を復興させるために、生産剤、原材料などをアメリカから輸入せざるを得ず、この相対体的な弱みがドルの世界支配を許すのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

49年夏には全日本水泳選手権大会のような全国的なスポーツの催しが、占領下において初めてナショナリズムを高揚させた。天皇と皇后が出席し、選手たちに激励の言葉を述べた。ロス・アンジェルスの全米水上選手権大会に出場した日本の水泳チャンピオン古橋広之進が、3つの世界新記録を打ち立てたとき、彼をはじめ日本選手団は帰国後天皇の栄誉の謁見を受け、茶を賜った。その年に京都大学教授の湯川秀樹ノーベル物理学賞を受賞したことも、国民の誇りを高めた。新日本の前途を象徴するようなこれらの人物の出現も、天皇にとってはその存在を広く報道させる結果をもたらした。

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 


イギリス


 

イギリス初の核実験を伝える西オーストラリア新聞

モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁(オーストラリア)での核実験。

 

1952年10月3日 初の原爆実験。コードネームハリケーン

エミュー(オーストラリア)での核実験

1953年実施

マラリンガでの核実験

1957年にアントラー作戦が行われ、3度の実験を行っている。

クリスマス島での核実験

 

1957年5月15日 初の水爆実験。

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!