731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!!

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

50、戦後も80年近くが経ち、実際に戦争を経験した人は少なくなるばかりだ。最近、中国や韓国に対してやたらに勇ましい発言を耳にするが、戦争がもたらす悲惨さを分かっているのだろうか。戦争とはどれほど悲惨でどんな理由でもそれを正当化することはできないと思う。記憶を風化させないため今回の様な企画を続けてほしいと思う。

(男性、50代、市外、神奈川新聞)

 
 
 


 
 
 

 







原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎




 
 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 

 
 
=福見秀雄=

-------(引用ここから)--------

厚生省施設が人体実験の中心

私の調査では、それらの実験は、昭和二十七年以来、東大伝染病研究所(現医科研)、国立予防衛生研究所、東京第一病院、都立駒込病院、婦人共立育児会病院を動員して行なわれた。

その中心的組織は国立予防衛生研究所の元所長(当時細菌第二部長)福見秀雄であった。

私が調査したかぎりでは、その人体実験は、

①国立東京第一病院で健康な乳児四名(一~四号)にβ型大腸菌を牛乳に混ぜて飲ませた。

②三号と四号は下痢を起こした。

③四十二日後に再び同じ菌を飲ませた。これは免疫を調べるためで、この結果、乳児の菌への抵抗力強化が確認された。④婦人共立育児会病院でも十人の健康児を三群に分け、生きたα型菌を一群と二群に飲ませ、三群(四人)には熱湯で死んだ菌を飲ませた。

⑤一群の乳児二人に顔面蒼白、食欲のおとろえ、吐きけ、微熱、口のまわりのおデキ、などができた。

私は国立予研に福見氏を訪ねた。彼の論文にα型、β型菌の致死率の高さが書いてあるのだ。

にもかかわらずそれを飲ませたのは?

「人体実験などと君の質問はピントが外とりゃせんか?」

福見氏の応答はノッケから高飛車であった。

「名古屋のことは知っているが予研ではやってないよ。病原性は疫学的に調べただけ。

動物実験もやっていない。人間と動物は違うからそんなものやっても意味がない」

----ほう、そうですか?私がうかがったかぎりでは、乳児にサルの大腸菌をのませたとか。

「サルの大腸菌?ますます知らんな!」

----そうですか?サルの大腸菌赤痢菌ですね。それは異種族の大腸菌の腸内における争いや生存の状態を調べるために飲ませたという話ですが。

「飲ませたんじゃなくて調べてたんじゃないですか?」

実は、私はこれらの事実をほかならぬ福見の論文から調べ上げていたのだ。ほかの誰から

情報を得たのでもない。ところが論文を書いた本人が「知らぬ」というのである。

国立第一病院で行なわれた実験では、健康な乳幼児八人が選び出され、生後五ヵ月から

七ヵ月の男女乳児四人がまずサルの大腸菌を飲まされた。一歳七ヵ月から二歳三ヵ月の四人に対する人体実験はサルの大腸菌を最初に飲まされ、ついで赤痢菌が「侵襲した」

(偶然?)と報告している。都立駒込病院と東大伝染病研究所付属病院では一連の実験の一環として成人の赤痢患者にサルの大腸菌を飲ませている。これは志願者になされた

(「日本医事新報」昭和二十七年三月二十九日一四五七号「α及びβ大腸菌の病原問題」)。

-------(引用ここまで)--------

 
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 
 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第16巻雑報

16巻9号(1932年)

西部博士逝く

ここに特筆すべきは、この滞欧米の機会にほとんど全世界の組織培養学者の門を叩き、斯学研究進歩の跡を総覧されたことであった。この行脚は例えば昔の武者修行の旅にも比すべきもので、氏の才幹と気魄を以てせずんば凡庸の到底挙て及ぶ所ではなかった。尚この見聞記の一篇は「欧米における組織培養の研究」に収められ、最後に In Osten doch Neuesと結び自信のほどを見せている。

 昭和2年の暮、留学を終えて帰朝されるや、間もなく招かれて新潟医大の病理学教授に任ぜられた 。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条

 

ア、 次にヘーグ陸戦条約の作成過程について検討する。

 条約法条約32条は、同条約31条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は同条約32条(a)又は (b) の場合における意味を決定するため、条約の準備作業及び条約の締結の際の事情、すなわち条約の作成過程の事情に依拠することができるとしている。しかるところ、ヘーグ陸戦条約3条の規定が条約法条約32条(a)(前条の規定による解釈によって意味が曖昧又は不明確である場合)に該当しないことは前示のとおりであり(条約法条約31条3項(a)、(c ) の事項については検討しなかったが、ヘーグ陸戦条約3条の規定の解釈に影響を与えるべきこれらの事項が存在することを認め認めるべき証拠はない。)、又ヘーグ陸戦条約3条の規定が条約法条約32条の(b)(前条の規定による解釈により明らかに常識に反したまたは不合理な結果がもたらされる場合)に当たらないことも明らかである。

 したがって、ヘーグ陸戦条約の作成過程の検討は、条約法条約に即して言えば、同条約31条の規定の適用に当たって得られたヘーグ陸戦条約3条の意味を確認するためのものということになる。

 
 
 
 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

 

一月三十一日

排英排日と小国民に打ち込む支那教育館では宣伝 強制的に歌わせる

支那の排外的行為あるいは排日宣伝等は 彼らの常套手段としてあまりに聞きなれている結果でもあるが 近時論議の声を耳にしないようであるが 日本の勢力範囲満鉄治下においてすら 極端な排日思想をみなぎり ことに遼寧省の教育館教育に名を借りて 一般小国民に世界列強の中国侵略政策を鼓舞、宣伝戦する計画あり 奔渓教育局では先の唱歌を作って排日排英のの宣伝に力を尽くしているがこれによって支那の排日気分がいかに露骨になりつつあるか 指揮者の十分考究すべきことであろう。

 

 

1、我が中国を大いに憐れむべし 百姓は殺されても一文の買値なし 恨むべきは日本と英国 銃を持ちて人を殺すこと満願の如し

2、上海は惨憺たる世界となり 大馬路上に人権無し 切望す我が中国人よ

3、3件事情に立夫を監くべし①是敵国の貨物を買わず②租界権の回収を要す③彼らの仕事を罷業すべし 勿論幾等の給金出そうとも

4、英雄豪傑を出して国を救え 心を同すれば日ならずして計られん。兵強国また富に至れり 四方同じく太平の幸を享くべし

 この歌を見れば丁度日本も英国も敵国として取り扱っているではないか。

 
軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅


 
 この青年とその婚約者とは、彼らがもし狂気や犯罪や道徳的な転落に至ったとしても、なおかつ人間らしいとしか言いようのない、そういう最も深く、苦い絶望を目の当たりにした人々である。しかし、彼らは屈服せず、ストイックに、最後まで威厳と共に生き、沈黙して威厳ある死を選んだのであった。
 
 

 

 

原爆初動調査 隠された真実

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・

 

伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。

 

 北京での生活

第1分遣隊は北京にありましたが、その後、北京の第1分遣隊は、北支防疫給水部第1課となり、第2課は本部内にありました。我々の第2分遣隊が第3課と改称され、郵便物なども第3課宛てでないと届かないようになりました。今、振り返って考えると、細菌戦が重視されるようになり、編成が強化されたのではないかとも思います。

 また普通、将校以上は営外居住ですが、篠田隊長は単身ということもあったのでしょうか、佐官級でも営内に居住していました。営外居住は尾崎技師と技手が1人おりました。仕事で市内に出ることもあり、中国人が捕まえたネズミを買い取るため、集めに回ったり、と場(と畜場)に血粉をもらいに行ったりもしました。

 

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

3 遼寧

 

2 華北

1、河北

紀仇「地獄からの脱出」抄録

3日後、8人の中の1人が死んだ。彼は保安隊の班長だった。彼は死ぬ時、「日本の強盗め!今に見ていろ!」と低く呟いて、力が抜けていった。針金を通して他の7人の口に重量がかかってしまうため、私はこの死者を支えて立たせた。涙がとめどなく流れ落ちて死者の顔を濡らし、彼の固まっていた血痕を溶かした。1日経ってから、日本の強盗はようやく彼を針金から外し、死者の両手を持って、まるで死んだ豚のごとく地面も引きずって出ていった。私はもう見るに耐えず目を閉じてしまった。怒りが心の中で爆発し、こらえることができなかった。 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦  掃蕩剔抉と殲滅戦

 

江南・江北・常徳殲滅戦

 

第1線部隊が行った毒ガス兵器の人体実験

ここで第1線部隊で行われた毒ガス兵器の人体実験について触れておきたい。第11群に属する第40師団の山砲兵第40連隊の元兵士・倉岡栄太郎氏は、1943年2月に湖北省・咸寧(かんねい)付近の村落で行われた毒ガス弾による人体実験を目撃し、それを次のように回想している。

 

 私たちは砲兵ですから、大砲でイペリット毒ガスを試験的に使ったことがありました。この時も捕虜―と言っても少し怪しいという者を捉えてきて、その者達を2 km ほど離れた山林の立ち木に針金で縛り付けて、弾丸の表面に黄色い鉢巻のついたイペリット弾を使ったのです。中身は液状でガスを発生し、それに触れたら糜爛して死ぬ。それを山林へ撃ち込み、縛られている者がどのぐらい生き延びているのかを、双眼鏡で眺めて見届ける。2日ぐらい生きている者もいましたね。そういう実験もしていました。当時敵の捕虜は殺すと決めていた、これは正規の戦争ではない、局地の事変にすぎないのだから、国際法に関係ないのだ、という解釈を聞かされていましたね。(亀井鑛『親鸞と戦争を痛む』)

 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第7章 残虐な毒ガス戦

 

動かしようのない事実

 

 

東京都目黒区に防衛庁管轄下の防衛研究所がある。通常、同研究所は対外的に開放されていない。

国家として軍事機密を保持することは当然の慣例であり、非難される点は何もない。だが、あまり知られていないが、この研究所には、第2次世界大戦時に日本軍が残した資料の相当部分が置かれている。その資料の中には、戦中、軍中枢部が大陸派遣軍に向けて発した命令、指令集があり、装丁されて14巻になっている。戦争史を研究する上で極めて貴重な資料であり、それらは、とうの昔に公開されていてしかるべきものである。また、これらの資料がここに集められた経緯についても、見過ごしにはできない。

 それは日本が降伏を翌日に控えた1945年8月14日、当資料の保管を担当していた陸軍参謀本部第2課(作戦課)が、すべての文書を焼却せよとの命令を受け取ったが、なぜかこの資料は焼却されず、密かに保管された。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

 虐殺

若夫婦殺し

島津酉二郎

分隊長 憲兵伍長

《略歴〉

本籍    和歌山県東牟婁郡

出身階級  手工業労働者

学歴    尋常高等小学校8年卒業

職業    鍛冶工

所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊

被捕時   1945年10月初旬

被捕地点  長春市南嶺

年齢    36歳

 

私たちが襲いかかる直前まで、この村の家々からは楽しい夕餉の煙が上がっていた。村落東角に位置した広場にある老木は、たくましいその幹から無数の枝を広場いっぱいに伸ばし、天然の涼み場所となっている。その下には馬に引かす大きな石臼があり、そばには子どもが今まで粘土遊びをしていたのだろう、小さなもみじのような手の型をいくつもいくつも残した粘土と、半分作りかけで形が屋根をつければいいようになっただけの家の模型が、寂しく取り残されている。だが、私たちは村落内に足を一歩踏み入れた瞬間から、そんなのどかな空気は1度に吹き飛んでしまった。

 

 中隊員の罵声、割れるような涙声、家財道具を叩き壊す音、扉や障子窓を打ち破って放り出されてくる鍋や釜、その中からまだ湯気を立てている栗飯が庭に散乱する。その栗飯を返上か編上靴で、踏み踏み潰しながら、右や左に走り回る兵隊・・・・それを眺めながら石臼の上に腰を下ろした私は、歯ぎしりをして叫んだ 。

 
 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 
 
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
 
 
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

5 「秘」の性格と内容

「秘」は公知の事実  

川崎一佐事件の第1審判決文から、実質的にも「秘」にあたると判示された記載事項の具体例と、その理由を紹介しておこう。自衛隊の秘密の実体と、その秘密主義的体質をしめす貴重な資料であるから、該当条項ごとに整理しつつ、全部を掲出することにしたい。空自達第11条1号(平常時における部隊行動、配備計画など)にあたるとされた秘密は、

(3)対空通信強化(バッジ・システム〔自動警戒管制指揮組織〕における滞空している飛行機と地上局との間の対空送信装置〔GAT〕、対空受信装置〔1GAG〕を設置する地点と設備の内容が記載されていて、バッジの弱点がわかる)

(4)通信電子戦(ECCM〔電波妨害対抗装置〕を付加するレーダーの年度別の記載があり、弱点を暴露し将来の能力増をうかがいしることができる)

(5)年度別基幹部隊整備計画(廃止になる部隊、新設される部隊、保有すべき機種を時期的に明らかにする線表がある)

(6)42年度主要部隊編成配置計画 ((5)によってしめされたものの関連で、それがどこにあるか年度ごとに明瞭にしめす表がある) 

空自達第11条3号(航空自衛隊の出動実力の一部を把握するに足る情報)に該当するものは、

(7)防空作戦能力(防空作戦に関する問題点として、撃墜率の具体的数字、F104戦闘機の弱点、ナイキの対空誘導弾の弱点が記載されている)

(8)現有防衛力の問題点中のその他(弾薬の不足について、数字をあげてはいないが、その種類、区分をいっている)

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

2 生物・化学兵器と階級的視点

生物・化学兵器と階級的視点

 

 レーニンが『帝国主義論』で指摘したように、帝国主義国家の最終目的は世界市場の支配にあり、したがって、資本蓄積のテンポを早めれば、その国家には恐慌への不安も強まる。恐慌を避けるために考えられる方策として、通貨信用の拡大と戦争準備があるが第1次世界大戦後の、1925年、世界各国がジュネーブ議定書に調印した際、アメリカや日本が調印しなかったのは、帝国主義国家間における経済競合と戦争準備との関連から明確にできることであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 『ニューズウィーク』誌のふたりの記者、ハリー・カーンとコンプトン・パケナムが設定した夕食会の席で、松平はこのダレス宛の「口頭メッセージ」を伝えた。マッカーサーの経済改革と戦争協力者の追放に批判的なカーンとパケナムは、2年前に日米貿易を促進する「アメリカ対日協議会」を設立していた。天皇は、平和条約と再軍備が検討されるようになった段階では、「臣茂」(しんしげる)〔と称して天皇への忠誠心を強調する吉田〕といえども、もはや「日本国民の真の代表者」ではないと考えたに違いない。天皇にとってカーンとパケナムは、自分の総理大臣を素通りする新しい独立のチャンネルだった。これは憲法上非難さるべきことだが、彼の気質のなせる業だった。事実彼は、戦前の「二重外交」を復活させたのである。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
 
 
歴史
1996年4月、「モデル核兵器禁止条約」(Model Nuclear Weapons Covention, Model NWC, mNWC)という名の条約草案が、核兵器の廃絶を求める法律家、科学者、軍縮の専門家、医師及び活動家らが参加する以下の3つの国際NGOから構成されるコンソーシアムによって起草された。目的は、核軍縮の可能性を「法的、技術的、政治的要件に沿って検証する」ことであった。
1.International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation、INESAP(拡散に反対する国際科学技術者ネットワーク)
2.International Association of Lawyers Against Nuclear Arms、IALANA(国際反核法律家協会)
3.International Physicians for the Prevention of Nuclear War、IPPNW核戦争防止国際医師会議
 
 
 
 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!