細菌戦の系譜!!

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん

 
 

 
今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)

加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)

11月16日(火)18:20~(開始予定)

「新型コロナ・パンデミック731部隊・100部隊の影」

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部

「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」

11月17日(水)18:20~(開始予定)

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

 

 

2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月15日(月)

・現在の日本の医療・科学の基盤に戦前、戦中からの植民地主義が何の反省もなく続く姿勢があるのだと改めて確認できました。医療、科学の情報が、権威に独占されることなく、公平に開かれることを望みます。

(30代、市内)

 

 

 

 

 


 
 
 

 







原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎
 
                 
 
 

 
 



 
                 


 
 

 
自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その2) 
                              栗原 敦
むすび 
事件当時の補償・救済が強圧的一方的になされ劣悪なものであり、種痘禍などの被害者の決起により促された同45年7月の予防接種被害救済に関する閣議決定を機にジフテリア禍被害者・遺族の不満が表面化したもので、京都府知事、京都市長もともに和解したと理解しながらも放置できない問題と認識していたことは明らかです。2004~06年の調査では、事件当時の京都市文書閲覧がまだですからそれを精査することで「補償問題再燃」と実態調査、その結果、そして問題がどのように収束したのか、させられたのかなどが明らかになるかもしれません。同時に数少ない被害者家族・遺族の聞き取り調査も急ぐ必要 があります。また、これまで京都府京都市の予防接種担当部署にお願いして調査をしてもらいましたが40年代の文書はほとんど残っていません。事件当時の文書は京都府立総合資料館にもっとも原型に近いと思われる状態で保管されていました。それについて04年6月以後急遽件名目録と閲覧用複製が用意され、個人情報を除く公開が05年4月に実現されました。同館の決断に感謝します。また、府も市も現在の予防接種担当者が過去の事実について調査にあたることは現実には無理があり、京都市については「市長への手紙」で資料の収集・保存・公開などを求めたことを契機に05年11月京都市歴史資料館が厚生労働省文書の調査・撮影を開始したことは高く評価できるものです。府市関係者のご協力に感謝するとともに、過去の問題とせず被害者・市民の声に耳を傾けてもらいたいものです。
 (くりはら・あつし 全国薬害被害者団体連絡協議会/ 京都・島根ジフテリア予防接種禍事件研究会)
 

 

 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第18巻雑報

 

 

18巻2号(1934年)

所長就任のご挨拶と職員に対する希望

宮川米次

6、伝研の内部を縦に連絡すると共に又横にも連絡したい。

伝研の各部はそれぞれ主任以下縦に深い連絡あることとは申すまでもありませんが、その上に私は各部を横に連絡したい。

 ともすると縦の連絡が強すぎ、横の連絡が弱過ぎて、隣同士が他人がましくなることは伝研のために誠によくないことであります。

 もしそれが盛んになればここに競争心とをそそります。終いにおいては不要な闘争心迄も起こしてこないとは申されません。

 伝研の各部相互は全く兄妹、姉妹の関係でありまして必要に応じて有無相通すべきこととは申すまでもありません。

 また今日まで実際に行われてきたのではありますがそれを一層強固に致したいと思います。

そのためには、比較的大きな研究題目を捉えて、これを各部で分担し、その結果を2週に1回位の割合で所長列席のの上で、互いに討議して、研究を進めていきたい。

 今日まで行われております特選研究が即ちそれでありますが、今後はなお一層それを大きくしまして、研究によって横に連絡をし頻繁に互いに討議を行い意見の交換を為して以って全所を打って完全なる融合の一団としたいと思います。

 なお、私は時間の許す限り各室にお邪魔させていただきまして、何をご研究になっておるか、作業の状況は如何であるかを拝見させて頂きたい。

 これによりまして私は諸君よりお教えを頂きますし、又諸君の研究および作業に親しみと理解の度合いを

高めていきたいと思っております。

 以上をもちまして私が所長に就任いたしましたに際し。諸君へのご挨拶とし、併せてこの首途に当たり数々の希望を述べました。

 言うことは易いがさて行うことはなかなか難しいのであります。しかし以上申し上げたことは一も実行不可能のことではありません。ここに諸君の共鳴を得て、着々実況して行きたいと思います。

手を取りて学の道にいそしまむ

わがはらからよ国のみために

昭和9年2月15日)

 
 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)

(3)そこで、上記(2)の前段の判断基準に基づき本件における国会の立法不作為の違法の有無を検討することとするが、その前提として、必要な範囲で、原告らの主張する本件細菌戦の事実の有無について見ておくこととする。

(イ)1940(昭和15)年から1942(昭和17)年にかけて731部隊や1644部隊等によって、次の a.f.g.h の通り中国各地に対し細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた。

e 塔下洲

崇山村で流行していたペストは、1942年(昭和17年)10月に塔下洲村に伝播し、同村で大流行した。

塔下洲村のペストによる死者は、約2か月の間に103人に及んだとされている。この死者は、当時の村全体の人口の約5分の1に当たる。

(甲143の1・2、151、原告周洪根)

 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

 

三月十三日晴風あり

 

零上三度 ずいぶん暖かになった 衛兵上番 狭サイ射撃 割合によし

今月というより今年最初の衛兵勤務だ 何も知らない風紀衛兵特別守則を覚えるに忙しい 風あれど暖かく内地のそれと変わりなし・・・といっても内地に行ったわけではない 一年半前の霊感式の想像であるが。実際芽が出そうだ。午後に一時半狭サイ射撃アリ 春の日を背に浴びながらその音なんと和やかな?割合によく当たるその射撃は不思議なくらいだ。週番司令はない。副官から銃剣の手入れ不良で怒られた。やむを得ない

 

白い家(白壁付きの満鉄官舎)の裏で大勢の小供の愉快そうな笑い声が聞こえてくる。

初年兵は皆夜間演習に出て盛んにやっている。思い出したように闇を使って空砲が聞こえる。警察のある人が心配したと見えて聞いて通り過ぎた。一日暮れた。

午前1時だ 退屈しては生あくびをかみ殺し衛兵所にぼんやり 人生でもない複雑なフィルムを勝手に回した。こんな時ぐらいでないと田舎の事を考える暇もない あたりが静かだ こんな時こそ昔の自分に帰る 無言のうちに沈んだように見える田舎の姿だ。

 
 
 
 
 
 
 
軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

エピローグ 広島から・・・・・


 
最悪の絶望、いやしがたい狂気の種子が胚胎するところに生き続けている、決して屈服しない人々に僕は出会ったのだったし、決して救済できない苛酷な運命のレールを走っている青年に、自らの運命を参加させた、そういう戦後育ちの優しい娘の噂を聞いたのだった。そして、特に確実な希望があるというのではない場所で、常に正気であり続け、地道な志を抱き続ける人々の声に接したのであった。僕は広島で、人間の正当性というものを具体的に考える、手がかりを得たと思う。そしてまた、僕が人間の最も許容しがたい欺瞞というものを眼にしたのも広島においてである。しかし、僕がわずかに見極めることのできたもののすべては、それと比較を絶する巨大さの、暗闇に潜む最も恐ろしいものの、小さな露頭にすぎない。
 
 

 

 
 
 
 
 
 

 

 

原爆初動調査 隠された真実

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集

731部隊を詠む

 

とべ しゅん(仮名=ペンネーム)

1644部隊

〈経歴〉

1919年生まれ

1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属

1944年 帰国。召集解除

■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。

 

伝染病菌の検索と研究

夜半になって全員が引き揚げてきました。東門を1課の兵隊が警備することになったからでした。栄部隊勤務になってから私は既に1年半を過ぎていましたが、そのようなことは初めてでした。衛生勤務についてもそのような場面には出会わなかっただけかもしれませんが、それから少しして衛生司令と私とで巡察に出ることにしました。正門から東方に向かっての梧桐(アオギリ)の植わっている石塀に突き当たって、北方に曲がった被服庫、診療所棟の裏側を抜けて行こうとすると、闇の中に歩兵銃に着剣した1課の警備兵がいて、前進を阻止されました。やむなく西方に曲がって営庭に出ると、そこらあたりにも警備兵がいました。距離にして150m位でしょうか。7棟手前の東側、柾(まさき)の垣根のあたりに大型の幌かけのトラックが停車していて、トラックの後部から、白い長作業衣の兵隊たちが、長方形の大きな木箱を担ぎ降ろそうとしているところでした。その後で7棟玄関の階段を担いで上がっていく行くときには、常夜灯の下でははっきりと白木の棺箱が認められました。白作業衣の兵隊たちの担いでいたのは、人間が入れられるのには十分な棺箱でした。いつでも見ているわけにはいきませんでしたが、瞬間的にそういうものだと確認しました。

 
 
 
 

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

 

2 華北

4 山西

 

 吉沢行雄の罪悪事実についての調査分析(1954年12月28日)

 

相楽圭二自筆供述書(1954年11月22日)
1940年7月末頃、私は独立混成3旅団独立歩兵第10大隊中尉で通信班長であった。大隊が寧武県西部に対して掃討を行っていた時、私は接官亭(あるいは石板橋村)のある農家で八路軍の重病人を1名(25歳くらい、恐らく肺病)を発見し、通訳を介して尋問したのちその場に放置した。私がこのことを大隊本部で話すと、本部の和泉軍医中尉と篠田衛生軍曹は、この病人に対して生体解剖を行い殺害した。
(1)119-2、11、1、第5号
 
 

 

 

 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

 

2  毒ガス戦に対する参謀本部の意識

「大陸指」からどのような背景が読み取れるか

日本が対アジアの基準と対欧米の基準とを使い分けるという行動は近代歴史の中で形成されたものであった。この点について田中忠氏は、「日本は日清、日露戦争及び第1次世界大戦において、直接の敵国や欧米先進中立国に対してほぼ戦争法遵守に欠けることはなかったが、朝鮮(韓国や中国に対しては戦争法を遵守したとは言えず、むしろ国際法を日本の支配を拡大する手段として利用したと判断できるよう」(田中忠「我が国における戦争法の受容と実践」)と指摘している。 

 

 

 

 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第7章 残虐な毒ガス戦

 

動かしようのない事実

 

 

次に日本帝国主義の中国侵略に関する当局の資料の内、山西省汾陽県・史平県長が1955年10月20日に記した日本軍の毒ガス使用罪業に関する申し立てを引用しよう。

「わが国を侵略する日本陸軍の某大隊は1945年「8・15」以後、すぐに投降しないばかりか、汾陽県城の不法占拠を続け、頑強に抵抗、その解放を妨害し、わが抗日分子を惨殺した。当時、賀竜元帥指揮下の部隊は、汾陽城を早急に解放させるため、城内の汾陽中学の地下工作者・趙俊同志と連絡し、秘密裏に同校学生を組織、解放軍の城内進攻を助けるため、城内西北の角から城外に向け地下道を掘った。8月23日夜、わが軍は城内の西北角に向けての攻撃を開始した。17連隊第3中隊隊長・薛村雲同志が率いる66人の武装人員が城外の地下道口より隊を見て地下道に入り、内外呼応して一気に勝利をおさめる時機を待つ態勢に入った。だが不幸なことに、25日、敵の歩哨兵がこれを発見すると、日本軍大隊は直ちに人倫にもとる残虐行為を行った。即ち、地下道の両端を閉鎖し、内部に向けて毒ガス弾を放射、中に潜伏していたわが軍の同志、67名は全員中毒死した。わが県の各界人士は、この時殉死した薛春雲ら67人の烈士を記念するため、1945年5月20日、地下道の入口に(即ち城壁の西北角の外)に塔を建てた。我々は特にこの記念塔と地下道入口をそれぞれ撮影し、これを報告するものである」(『細菌戦と毒ガス戦』544ページ)

 

 

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

懐柔

捕虜を密偵に仕立てようと画策

大井憲太郎

特捜班長 警佐兼地方保安局属官

〈略歴〉

本籍地 長崎県西彼杵郡

出身階級 雑貨小売商

学歴 私立長崎貿易商業学校4年中途退学

職業 市役所事務員

所属部隊名 旧満州興安総省警務庁特務科

被捕年月日場所 1945年11月25日

長春市祝町朝日ビル3階

年齢46歳

 

眼を見張って聞いていた曲は、

「俺はそんなことを言った覚えはない。証拠があるなら見せてくれ。前にはそう言って俺を責めたのは搏克図の警察官だ。『宣伝したろう、サア言え』と散々打ち、蹴り、殴りつけた挙句、水迄飲ませて、何も知らない俺を責めた」と言った。

「なにを、へ理屈言うのか、お前が本当のことを言わないから、苦しめられるのは当たり前だ」と私が言った。

眉を逆立ててきた曲は、「俺は伐採労働者だ。生きるために働いているのだ。虐められる理由はない」と答える。

「なにッ、労働者だと、嘘もいい加減にしろ、労働者は絵なんか描けるもんか」と机を叩いてがなり立てた。 

 
 
 
 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


 

 

 

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
 
 
 
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第3章 秘密保全の機構と体制

3  産軍複合の秘密

政治資金の黒い霧

 もっとも、伊藤忠に同情するわけにはいかない。こんな話もある。「海原派とコネの深かった伊藤忠が故河野一郎以来の・・・・縁をこの辺で切り、ウシをウマに乗りかえて佐藤主流と縁結びのため海原派攻撃に自ら手を出した?とのカンぐりも行なわれている。川崎の上司為我井忠敬元2等空佐(伊藤忠航空機電子部部長代理)のロッカーから、為我井自身は焼却したバッジ関係の秘資料が見つかった―というミステリーが、この伊藤忠換馬説を裏付けるとの見方もある」(小和田次郎『デスク日記5』64~5ページ)。

 ともかく、こうして佐藤派のパイプが太くなる一方、軍需産業界では独占体の支配的地位が確立し、受注は大手に集中することになった。競争も一定の限度でコントロールされ、独占体の協定で分担生産する傾向がつよまっている。したがって、政界の体制内再編成が行なわれたとしても、かつてのような乱戦は生じないであろう。つまり産軍政の癒着は、そこまで深まったのである。

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

ダクウェイ事件とその背景

 

フォート・デトリックの研究所の研究室へは特別な出入り口があって、作業員はそこで殺菌された作業着に着替えて、空気の遮断と紫外線照射を経て研究室に入っていく。研究室は気密になっており、両側にゴム手袋が付いた穴が並んでいる。作業員は物体に直接触れないように、このゴム手袋に手を入れて作業を進めるわけである。

 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

池田はまた、占領中に停止された叙勲を復活させた。本来これは明治憲法の規定により、国家に重要な貢献をしたすぐれた人物に、天皇が勲章を授ける制度である。皇居で行われる叙勲の式典は、優秀さと政治的穏当性を基礎に価値序列をつけ、同時に天皇を頂点とする社会の階統を強化するものであった。63年から軍人を含む生存者叙勲が翌年には戦没者叙勲が復活した。63年以後、自民党の首脳は年に2回叙勲者の名簿を作成して天皇に提出するようになった。通例は選挙をにらんで行われるこの叙勲は、功績ある人物を顕彰するだけでなく、国民の自民党支持をうながす役割を持ち、まさにそれこそが彼らの狙いだった。与党の支持基盤を広げるための叙勲の拡大は、外国にも似た例がなくはないが、天皇制の新しい利用法であった。

 

 

  

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

放射能の影響
核実験により多量の放射性物質が、放射性降下物(いわゆる「死の灰」・「黒い雨」)として、広範囲に拡散をする事で大気汚染・土壌汚染・海洋汚染・生物汚染を引き起こす。このため短期・長期の様々な影響がある。
 核実験が行われるようになって以降、北部大西洋の中層でも放射性同位体比が上昇している。これは海洋表層に散布された放射性元素が海洋大循環によって沈み込んだためである。
 核実験で放射性同位元素の炭素14が大気中に散布されたため、放射性炭素年代測定法による年代測定は、1950年頃以降を特定するための年代測定としては、従来の手順では使えなくなった。
 
 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!