731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!!

 

 

 

 

 

 

 



 



 
 

 

 

 

 



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それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
 
 

ウイグルで何が起こっているのか?

 
ウイグル抑圧継続と中国非難 年次報告「AIで市民監視」―米長官

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた

 


 

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。


731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か

 
日本の情報公開の現状!!

 

 

 

 


 
原発!!
北海道 泊原発「運転差し止め」判決 争点は? 原告は判決に「安心」 北電は速やかに「控訴を」
核なき世界へ!!

国連・中満次長「核不使用死守を」 ウクライナ侵攻、脅威が「現実」 時事トップセミナーで講演

「長崎の被爆者です 質問はありますか?」初の核兵器禁止条約 締約国会議 伝えたい”被爆の実相”

NATO2カ国、核禁会議に参加 ドイツとノルウェー

 
「オブザーバー参加を」 被爆者らが「核なき世界」訴え 広島
 

ロシア 地方議会で議員が反戦訴え

「プーチン大統領は謝罪すべき」 ロシアの大物退役軍人がウクライナ侵攻で異例の批判

 

アメリカも銃規制をしてもらいたい!!
米テキサス州の小学校で乱射 生徒19人と教師2人が死亡
 

戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!
 
На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ
 
「戦争の加害展」プレ企画


 


 
*7月18日(月)の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。


関連パネル展



731部隊全景

731部隊の真実

東京ブラックホールー戦後0年

 

戦争を停止する道を探れないのか??
 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
Why is America not actively moving towards peace ??
 
Почему Америка не движется активно к миру??
 
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??
 
 
 
Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
 
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
 
憲法9条を世界憲法へ!!
 
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
 
 
ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.
 
戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
 
 
I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!
 
Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!

 
国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 


 
 

 
 
 

ソニアの日記

 

コタバル 伝えられなかった戦争(2011)

 

セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)

 

開戦ー前編ー

 

 

 
 
 

推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない

 
 
原発!!

 

 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

 

 
 
 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分

 

マギーフィルム(字幕付き)

 
 
政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

 

 

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
浅川地下壕を歩く(2021年2月7日)

 
 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月17日(水)

(森川聖詩講演)

・反原発を知ることは大切ですね。なぜ必要だと思うのかを知った上で、話をするのは本当に大事だと強く思いました。(60代、市外)

 


 
 
 

 





原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 
                


 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 

 

 
==== 長崎大学医学部(旧長崎医大) ====
山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。
少なくとも次の4人が関係者だと言われている。
林一郎(病理) 長崎大学名誉教授・日本先天異常学会会長
斎藤幸一郎 (生理) 長崎医科大学教授・金沢医科大学第1生理学教室教授
青木義勇 (細菌) 長崎医科大学教授
福見秀雄 (細菌・防疫) 長崎大学学長・長崎大学教授・ 国立予防衛生研究所(予研)第6代所長
福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。
長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。
そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。
 

 
 
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 



 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 

 
 
戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 
帝銀事件捜査が行われていた1948年1月から9月当時、まだ東京裁判BC級戦犯裁判が行われている最中であり、一方で残虐行為のために死刑判決を受ける人がいた反面、他方では極めて組織的な残虐行為を行なったにもかかわらず、米軍に保護され、完全に免責されるという人(のちに米軍に雇われる人もいた)が存在したのである。
 つまり、帝銀事件の捜査の段階で、日本の民主化・非軍事化政策の一環として行われた戦犯追及は、大きくねじ曲げられ、戦争犯罪・戦争責任が隠蔽されたということである。その意味で、帝銀事件の捜査は、占領政策の大きな転換をもたらす分岐点なったと言えるのである。(明治大学平和教育登戸研究所資料館長)
 
 
 

 
 
 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

 

 

実験医学雑報19巻 第7号(1935年)

 

宮川米次

 

結語

 

以上の様に観察しますと、吾が大和民族の血液内にはb文武芸術の方面に亙って独創的に事を為す能力のある分子を多分に有しておることが明らかになったと思う。

独り模倣だけしかできないという様な謬見は捨てなければなりませぬ。

 
 
 

 

 

 

 

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田

で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑

大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

大牟田「爆発赤痢」事件

北宏一郎

 


 
 
 
*陸・海軍の次官協定
 
1922(大正11)年陸・海軍「化学兵器」(協同研究に関する協定)
日本軍の毒ガス原料・中間薬、完成品は軍需化学企業の存在なくして、あり得なかった。
国際法違反を承知の上で、猛毒の毒ガス製造で死の商人と化した日本化学工業界、未だ戦争責任(毒ガス戦)を取ろうとしていない。協力した大学教授も、研究者も・・・・
 
 
 
 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 
 
第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第8 細菌戦による原告らの名誉侵害

 細菌戦は、既に述べたように、生命身体等への直接的な侵害にとどまらず、現在に至るまで細菌の恐怖は収まらず、また、被告が細菌戦の事実を速やかに認めて適切な立法等による被疑者救済を怠ってきたことにより、現在まで継続して、非常な精神的苦痛、人格権への侵害を受けてきたのであり、この人格権への侵害の重大性は、名誉権への侵害の場合と比肩し得る。

 
 

 

 
 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 
 

 

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二月五日

午前六時半起床 晴 風強く 非常に寒し 零下二十三度

「胸に秘め 風間に立てる白塔の 謎の姿ぞ 月の大空」

今日は雑役だ しかしおかしくてやれない。夕方乗馬巡察の白木班長が鶏を持ってくる故 これにて鳥飯を作るといふ しかし僕はこんな残酷なことはできない 杉浦が平気で鳥を殺すには驚いた 中々味なことをやる 見たのみで寝るまで上にあがってしまった然し食べる時は中々おいしい 僕がご飯を炊いている姿を一枚写真に撮りたいものです。

 彼女の所にお礼の手紙を出す 相変わらず走り回る 午後八時半寝付いて午後十一時十分起こされ、午前一時寝に着き 午前五時半起こされた いかに寒いことか 構内巡察から走って帰る 耳がこって立ったまま黄色い風になった 蒙古風だ 満州が嫌になった つくづくね。あと二九七日だバックに 四拾五秒だ

 

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
 

 

倉庫の記録


 その日

 

 壁ぎわや太い柱の陰に(おけ)馬穴(ばけつ)が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便をながし、骨を刺す異臭のなか
「助けて おとうちゃん たすけて
「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ
「五十銭! これが五十銭よ!
「のけて 足のとこの 死んだの のけて
 声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ばはもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だち

 

 


 

 

 

 


 

 



 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

 

海南島で見た生体解剖
「アイゴー、アイゴー」という叫び声が聞こえてきて・・・・
渡辺はつ
同仁会・看護婦
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 新郷・開封の同仁会診療所に看護婦として勤務
1942年 海南島同仁会診療所に勤務
1943年 現地解除。帰国
■この証言は1993年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
 
 同仁会は診療所と防疫所を開いていました。診療所は、中国の人々も診療を受けられるようになっていました。防疫所は主にコレラチフスなどを防疫する仕事を行なっており、奥地の方まで消毒に出かけることもあったようです。私は診療所の皮膚・泌尿科に勤務し、看護婦として働くことになりました。診療所には内科もあり、各科は医者1人、看護婦1人が担当しました。金沢医大の本田先生や橋爪先生、竹内婦長らがいました。 
 
 

戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)

 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 
 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

解説

証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

 侵略行為の実態を把握

 報告書の提出が終わった段階で、収容者たちは3班に分かれて、まず5日間、東北地方、さらに1か月かけて大陸本土の旅行に出かけた。彼らの心を打ったのは、この旅行は既に戦犯扱いでなく、「友好人士」としての待遇を受けたことであった。

 しかし、全てが心楽しい旅、と言うわけにはいかなかった。国友たちにとって、胸の締め付けられる思いをしたのが、かつての日本軍の支配していた農村地域の訪問であった。

 



 

 

                     














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

●毒ガス戦

 
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題

 

 

4 毒ガス戦をめぐる歴史資料と国会論戦

 

 

史実に基づいて議論を深める為に
 
 
こうして、毒ガスの場合だと、新資料の発見が報道される1984年に至るまでは、闇に葬られた歴史の封印は解かれなかった。関連資料を所管していたにもかかわらず、資料が断片的で確認できないという姿勢は国際的に理解されるとは思わないし、日本は未だに歴史ときちんと向き合っていないということを象徴しているのではないだろうか。
 
 

 

 

 

 

 

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
 
 

 

 

 

 

 

日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
 
 

碑文
 
ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。
 
建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春

 

 
略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市船橋市内)

 
 
 

 

 
 

 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

 

 

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

 

付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
 
 ジャムス市で毒ガス弾障害事件が発生して20年の後、1994年9月24日、筆者らは調査の為、この地を訪れた。
 ジャムスは黒龍江の中下流の南岸に位置し、ハルピン市から505㎞離れた、非常に新しい都市である。資料によると、今世紀初頭の1910年、ジャムスの町の原形が出来上がり、新たにできた樺川県の役所が置かれた。住民は331戸、3534人、商店50軒余。1930年ようやくジャムスという正式な町名が付いた。日本が東北を占領して後、1934年12月1日、三江省が制定され、ジャムスがその省の中心とされた。
 
 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

 

 
 
●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎

分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

「こら、佐藤」大きな声を張り上げ、周りの者を脅かすように怒鳴った。「ハイ」佐藤は虎に狙われたウサギのようにおどおどし、立ち止まった。

「貴様何年兵だ」「ハイ、2年兵であります」しまった、見つかったと思った。高本は食台を立った。

「なに、2年兵は黙って入ることになっているのか!馬鹿者」高本は食台を離れるや、佐藤に近寄ると顔面を殴りつけた。

 
 
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

 

 

 

 

 

(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
 
 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
 
 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
 
 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
 
 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

 
日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第3章 防衛力整備

1 中期5ヵ年計画

極秘の2次防計画

 新安保条約の締結を受けて急速な軍備拡充をはかるために61年7月18日、第2次防衛力整備計画(62~66年)が決定された。この2次防を例に、中期計画に秘められたカラクリを解明しておこう。同日、国防会議を経て閣議決定を得たのは、「第2次防衛力整備計画について」と題した全文わずか1000字ばかりの文書にすぎなかった。同月31日、国会に提出された防衛庁資料には、右のほか「第2次防衛力整備計画の概要」、「第2次防衛力整備計画の主要目標及び経費」と題する2つの資料が付されている。だが、これさえも合わせて2000字程度のものである。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

 

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

 

自衛隊員が語る旧軍技術研究

「-日本は1931(昭和6)年満洲に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935(昭和10)年には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。

1938年  華中戦線     細菌大量使用

1939年  ノモンハン    細菌大量使用

1940年  重慶爆撃     ペスト菌コレラ菌使用

1941年  湖南省      細菌作戦

1943年  華中、華北    細菌作戦

その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与に見られる」

 陸上自衛隊『化学学校記事』(第12号)に掲載された杉田論文にはこのように述べている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!

 

 
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
 
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

 
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

     


 

 

 

第1部 皇太子の教育

1901(明治34)年―1921 (大正10)年

 

 

第2章  天皇に育てる

皇太子をして、この支配体制を運営するにふさわしい君主に仕立てようとしたのは、ほとんどが東京帝大と学習院に関係する中庸の学者たちだった。彼らは、古く変わらない日本と、至るところで近代化の道を驀進する新しい改革日本との雑種である。教師たちは明治天皇を崇拝し、理想の君主はいかにあるべきか、いかになすべきかの基準を打ち立てた。彼らは、皇太子が儒教的な有徳・平和な君主像と、武士道の言う理想の武人像という相反する倫理観・道徳基準の板ばさみにならないよう、つねに注意を払った。彼はふたつの基準をともに受け入れ、双方にふさわしく行動するようになってゆく

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

 

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

 

 

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

 

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
 
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
 
※私が考える、今の異常気象の要因は

 

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

 

 

 

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

核被災に苦しむウイグルの人々

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。

 

 

地球を破壊する核爆発・核実験

 

署名国・批准国

2021年5月18日現在の署名国と批准国。

 

署名国          署名日      批准日 (締約日)

パラオ          2017年9月20日   2018年5月3日

パレスチナ      2017年9月20日        2018年3月22日

パナマ                           2017年9月20日        2019年4月11日

パラグアイ                   2017年9月20日        2020年1月23日

ペルー                           2017年9月20日        2021年12月24日

 
 

 

 

アインシュタイン「科学者たちの罪と勇気」

メアリーが伝えるヒロシマ

 

 

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

 

 
 
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
 
核融合もすべきではない!!

 

 

 
 
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!

 

       

      

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

 
・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
 
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。

 

 

 
 


 
 


           












JCOの臨界事故


 
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!