細菌戦の系譜!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 


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飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



2022/10/22 清水さん宅にて


 

 

 

 

731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村

 

731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。

 「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。

 清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・

 




 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

ビキニ被爆訴訟

 日中友好協会八王子支部

アジア諸国との歴史認識をどう共有するか?

 

北海道・笹の墓標展示館

 



 

 

 

 
 
今年は、平頂山事件から90年!!

平頂山事件から90年

平頂山事件90周年(中国では)

 



 

 

 






↑9月18日の「赤旗」より

犠牲者の方々に心より哀悼の意を捧げます。

平頂山事件の悲劇を二度と繰り返してはならない。

政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。 

『撫順』から未来を語る実行委員会と平頂山訴訟弁護団

 

我们向受害者表示衷心的慰问。

平顶山惨案的悲剧决不能重演。

我们绝不允许因为政府的行为,让战争的悲剧再次发生。

                   抚顺告知未来实行委员会与平顶山惨案诉讼律师团

 



 

 

 

 

 

 




































 



平頂山事件90周年を迎えて
2022年9月16日
平頂山事件訴訟弁護団、「撫順」から未来を語る実行委員会を代表して 井上久士
 
 本日私たちは、平頂山事件90周年を迎えました。1932年9月16日、関東軍撫順守備隊は、約三千名の無辜の平頂山全住民を暴力的に家から追い出し、付近の窪地に集合させ、機関銃を掃射したうえ銃剣で刺突し虐殺しました。翌日、遺体にガソリンをかけて焼却し、その後崖を爆破して遺体を覆い隠しました。これは、日本軍の軍規や国際人道法に反するだけでなく、人間として許されない行為です。
 私たちは、平和を愛し、正義と人道を尊重する日本人の立場から、犠牲となられた平頂山住民とご遺族のかたがたに、深甚なる哀悼の意を表します。二度とこのような悲劇を繰り返してはいけません。そのために重要なのは、この事件を決して忘れず、日中両国で史実を次の世代に伝えていくことです。
 1996年、虐殺現場から奇跡的に生還した莫徳勝・楊宝山・方素栄の三氏は、日本政府の謝罪と賠償を求め日本の裁判所に提訴しました。裁判の過程で、原告の三人はそれぞれ日本を訪問し、平頂山事件の体験と正義の実現を日本で訴えました。環直彌弁護士を団長とする平頂山事件弁護団は、原告とともに十年間奮闘しました。日本でも原告の話しを聞き、共感し支援する人びとの輪が生まれました。
 日本の裁判所は国家無答責の法理をもって原告の要求を認めませんでした。しかし、日本軍による住民虐殺事件があったことは認定されました。日本の裁判所も、歴史的事実を否定することはできなかったのです。
 2006年に裁判が終わった後も、原告と訴訟に加わらなかった被害者の楊玉芬・王質梅氏らは「日本政府に対する3つの要求事項」を掲げて、事件の解決を求め活動を続けました。それは、歴史の事実を多くの人に知ってもらいたい、惨劇の責任を明確にしてもらいたい、そして二度と再びこのような悲劇を起こさないでもらいたいという強い願いにもとづくものでした。弁護団も日本の支援者も、その実現のための歩みを止めませんでした。また平頂山惨案紀念館をはじめ撫順の関係者も支援を続けてきました。
 しかし、日本政府は今に到るまで歴史から学び、過去の中国侵略を率直に反省するに到っていません。中国の古いことばに、「過而不改、是謂過矣」(過ちて改めざる、これを過ちと謂う)とあります。歴史から学ばず改めない者は、いずれ歴史によって裁かれるに違いありません。
 時の経過とともに、莫徳勝さん、楊宝山さん、方素栄さん、楊玉芬さん、王質梅さんらは、みな他界されました。弁護団団長であった環直彌弁護士も逝去されました。しかし、裁判の十年、その後の十五年を通じて、培われてきた日中両国関係者の信頼関係は生き続けています。
 90周年に当たり、私たちは、理由もわからぬまま殺された平頂山住民の無念に思いをはせ、元原告のかたがたと環団長の遺志を引き継ぎ、平頂山事件の政治的解決、歴史の究明と普及のため今後も努力を続けていく決意です。新型コロナウイルス感染症がまだつづき、世界では戦火が絶えない不穏な情勢ですが、日中両国の信頼と平和がとこしえに続くことを心から祈念します。
 
 




 
 

戦犯たちの告白
 

 

 



























 

 

 

 
 
 

























日本民衆は10日、平頂山大虐殺90周年を記念し、歴史を忘れないように呼びかけた

 

 

 

 

日本民衆は10日、日本軍による中国民間人虐殺事件である平頂山大虐殺事件90周年を記念する集会を東京で開いた。中国と外国を揺るがしたこの悲劇は、日本社会ではほとんど知られておらず、日本政府は謝罪と補償を未だに拒否している。

 

 日本の市民団体は土曜日、東京で平頂山大虐殺90周年を記念する集会を開いた。日本の学者が悲劇の経緯や最新の研究成果について講演した。中国ではよく知られている平頂山大虐殺は日本では認知度が低い。 学者は、日本が中国侵略の歴史を避け歴史を修正する傾向を非常に心配している。

 駿河台大学名誉教授の井上久士氏:「日本の高校の教科書ではほとんど触れられていませんし、普通の日本人もほとんど知りません。日本は過去を心に留めておくことによってのみ、真の友好と相互信頼の基盤を築くことができるのです。」

 東京市民合唱団の、平頂山大虐殺を再現した合唱劇「再生の大地」も上演された。

 「再生の地」合唱団団長の姫田光義氏:「中国人に謝罪することは、我々が直面している最も重要な問題です。」

 日本で20年間にわたる請求訴訟を起こし、平頂山大虐殺生存者の正義を訴えた日本の弁護士は、訴訟の経過と困難について語った。 2016年、日本の最高裁判所は、最終審として生存者の請求を却下したが、平頂山大虐殺の事実は司法判断した。 しかし、日本政府はこれまで、無差別殺人の事実を認めず、謝罪もしていない。

 平頂山事件訴訟弁護団の弁護士 大江京子氏:「平頂山事件の歴史から学んだ教訓を踏まえ、日中共同宣言の精神を再確認し、武力による問題解決をしてはなりません」。

 今日会場に来た人たちの間では、日本社会が歴史的事実に目を瞑ってしまえば、歴史を反省したり歴史の教訓に学ぶことはまったくできないというコンセンサスがあります。 しかし、私たちはまた、会場に来た主に高齢者たちが次の世代に歴史の真実を伝える方法について、まだ大きな課題であることを観察しました。

 



 

「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」


 
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた

731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。

 

第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会

第1分科会

 

大久野島戦争遺跡保存活動の歩みと今後の課題

『鹿島海軍航空隊跡地』の未来について

四国西南部の特攻基地ー第132震洋隊・土佐清水越基地跡を中心に

22日のフィールドワーク

平和記念公園と周辺の被爆遺跡を巡るコース

番外編

 

大久野島遺跡巡り

 

 
 
関連動画
 
 
 
 
 
 

日本は、なぜ、核兵器禁止条約締約国会議に参加しない??

戦前・戦後直後と同じ、トップは無責任!!
国が原発推進していて、事故があったら責任ないなんて全くおかしい??
責任を全部下に押し付けるのは、BC級戦犯裁判、226事件と酷似だ!!
「こんな判決出るとは」無念の原告 疲労と失望

 


それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
 



 
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!

被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える
 
 
 
戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
 
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
 
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
 
 
 

 

ウクライナに平和を!!
 
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ

731部隊全景

 

戦争を停止する道を探れないのか??
 

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
 
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 
 

 
 
 
 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

 

 

 

 

 


 
 
 

京都大学出版会(2022年4月10日発行)
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 
 

 
 
 

 
 
昨年のパネル展

 

 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月16日(火)
加藤哲郎講演)
・ワクチン村、アベノマスクとの関わり、永寿総合、731部隊脱出の3ルート、獣医の関わりなど、特に興味深く思いました。ありがとうございます。
(50代、市内)
 
 



原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 
                


 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
 医学と人権を考える―


世界で公式に認められた“イタイイタイ病”のカドミウム原因説を覆そうという
日本の政官財学のミステリアスな“鉄の絆”の動きを追い続けたサスペンスタッチの渾身のドキュメンタリー
第7回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品
『30年目のグレーゾーン ~環境汚染とこの国のかたち~』 (制作 富山テレビ

<1999年1月31日(日)午後4時放送>
「“イタイイタイ病”というひとつの公害病を通して露呈したこの国の形というものをぜひ出したかった…」(富山テレビ青柳良明プロデューサー兼ディレクター)


FNSドキュメンタリー大賞第7回大賞受賞作品「30年目のグレーゾーン環境汚染この国のかたち」
2006年09月10日 | 読書日記など



FNSドキュメンタリー大賞
第7回大賞受賞作品
イタイイタイ病原因追求に陰謀がつきまとう。
「30年目のグレーゾーン 環境汚染この国のかたち」

このドキュメンタリーには、
日本の病巣がよく表現されています。

☆緊急動議 L・フリバーグ教授
「みんなに伺います
イタイイタイ病の原因はカドミウムであることに
反対する人はいないですか--
WHOのカドミ安全基準に書いてある
反対する人はいますか--
反対はないと認めます。」
 
重松は沈黙し続けた。
 
シンポジウムは全英訳され世界に出版。


 

 
 




 
 
 
 
 

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 
     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コ
レラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が この事件は、冤罪の可能性が高いことが長らく多くの識者によって指摘されてきたが、現在でも再審請求を続けている平沢弁護団が所蔵する捜査資料『甲斐捜査手記』の分析から、非常に重要なことが浮かび上がってきた。
 それは、帝銀事件捜査陣は、旧日本陸軍の秘密戦部隊(731部隊登戸研究所、毒ガス研究をしていた六研、中野学校など)の実態を詳細に明らかにしていたが、米軍はそれらの部隊が行なった人体実験データを入手するために、731部隊をはじめとする部隊関係者の多くを免責・保護し、さらには関係者に捜査当局にも旧軍の秘密を話さないように約束させたということである。開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


 
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
   捜査資料には、捜査の途中(7月頃)から、米軍と約束したから話せない、と言った関係者の言葉が記録されている。
 この口止め工作には、米軍と結びついた有末清三(元中将)などの旧軍関係者も深く関与していたことも分かる。有末は、捜査官に、旧軍関係を探るのはGHQとの関係でやめた方が良い、といったことを忠告している。また、捜査当局に、秘密を話させないということだけでなく、証言を変えさせるということまで行われた。
 それは、操作初期の4月の段階で、使用された毒物は旧軍が開発した「青酸ニトリール」という特殊なものだと捜査官に断言していた人物が、毒物に関する知識がない平沢が逮捕されたのち(9月)に、「誰でも入手できる青酸カリだ」と証言を変え、毒物の専門家として鑑定書まで捜査本部に提出し、裁判でも同様の証言をしていることからも分かる。
 

 
 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

 

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

             伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。

 

実験医学雑報20巻 第7号(1936年)

 

本所職制改正

この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。

*特別研究室とは何だ??

 

 
実験医学雑報20巻 第11号(1936年)
 
佐藤所員帰朝
去る9月中旬より朝鮮・満洲国及び中華民国へ出張中であった所員佐藤教授は去る11月2日無事帰朝された。
 
人事異動報告
昭和11年11月2日 伝染病研究所
発令月日   辞令             官職    氏名
10.19   衛生技師に任ず(愛知県)                              大久保関
    高等官7等を以て待遇せらる
10.21  京都及び愛知県の1府1県下へ出張を命ず
    (京都市名古屋市及び守山町へ)     嘱託 菊池常雄
10.21  依願免兼官 防疫官兼特許局技師          勝俣稔
〃   昭和11年10月19日付願
    研究生入学の件許可す              藤森正雄
10.22  依願伝染病研究所業務嘱託を解く          大久保関
10.31  昭和11年10月30日付願
    研究生退学の件許可す              戸田又生
 
11.1  昭和11年8月25日付願
    研究生入学の件許可す              木口三郎
 
 
 




 
1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田
で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??
 

浜一中大福餅事件

                
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浜松一中の慰霊碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大牟田の慰霊碑(裏)

 

(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

 

北宏一郎

(資料)


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)
 
 

   





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?
 
 

 

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 
 
第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)

第5 条理に基づく謝罪及び損害賠償請求

2 条理の法源

(1)制定法や慣習法のない場合にも、裁判官は裁判を拒むことはできない(憲法32条参照)。その様な場合、裁判官は「条理を推考して裁判」すべきものとされる。条理は、それ自体としては命題の形をとるものではない。また、裁判官が具体的事件の解決に際して具体化した条理も、直ちに法規範になるとは言えない。しかし、条理は、裁判官が裁判に際して拠るべき基準の源泉であり、その意味で法源である(四宮和夫・民法総則7頁参照)、制定法や慣習法が当該事件のための判断基準を提供しない場合には、裁判官は条理に従って裁判することを要請されており、したがってまた条理を根拠として裁判の正当性の論証をすることが許されている。

 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 
 
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

日本の中国東北侵略から91年

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三月二十五日

 

勤務なし 一日使役 晴 風あり。

経理検査の準備の為に一日使役だ 但し非常に呑気な使役なり 夏衣袴の整理やら襦袢の整理だ 風は冷たく何とか口実を設けては床に逃げ帰る 又は角力(すもう)を取っては平気たる特に宗中君と力一杯にやる 中々面白い 子供然たるものだ 罪のない悪戯が次から次へと 丁度風が木にある原に水が不断に流れるがごとくに。

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

 

原爆詩集
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
 

その日はいつか

 

 

そして近づく八月六日、

君は知ってはいなかった、

日本の軍隊は武器もなく南の島や密林に

飢えと病気でちりぢりとなり

石油を失った艦船は島蔭にかくれて動けず

国民全部は炎の雨を浴びほうだい

ファシストたちは戦争をやめる(すべ)さえ知らぬ、

 

 

 
 
 
封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。


 
 
 
1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

 Ⅰ 731部隊

ノミの大量生産

細菌の毒力試験の生体実験を行った

篠塚良雄

731部隊・少年隊

(略歴)

1923年生まれ

1939年 少年隊に入隊(~43年)

1944年 徴兵により関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊

1945年 関東軍125師団軍医部兵長

1946年9月 東北人民解放軍独立師衛生部に混入

1952年6月 河北省永年県において逮捕される

1956年   帰国

 

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』よりまとめたもの。

解説ー細菌戦(森正孝)

防疫と細菌戦

しかし、石井四郎と、彼を創設者とする731部隊と5つの支部は従前からのこの常識を逆転させた。つまり、疫病の原因が細菌ならば、その細菌を大量に生産し、それをばら撒けば敵を大量に殺傷させることができるため、細菌を兵器として活用できると考えたわけである。そして、実際に戦時6大病は言うまでもなく実に20数種類の病原体(細菌の他、ウィルス、リケッチャなども)を研究し、攻撃用兵器として研究開発を行い、“有効な細菌(ペスト、チフスコレラ炭疽など)を実戦に使用したのである。ここに至って、医学は“防疫”を任務とする後方から、“殺人”を任務とする攻撃部隊=前線へと“進撃”したのである。

 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

●『論争731部隊
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
 
 
第2 731部隊に関する研究状況
 
二 1983(昭和58)年以前の731部隊に関する研究状況
 
3 アメリカによる731部隊調査
 

(3)ヒル・レポート

 以上、731部隊に関するアメリカ側の調査について今日解明されている地点からみても、83年時点には既に森村、吉永、パウエル等により、同部隊の人体実験についてのアメリカ側の諸報告書の核心的部分が的確に紹介され、その人体実験の実態が正確に示されていたことが明白である。

 
 
 













 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)


Ⅰ 第1次世界大戦の衝撃 1915―1930



3 毒ガス開発の再開


海軍の開発

 海軍の研究の主眼は、報復用兵器として、中口径法弾丸の一部に催涙ガス・嘔吐性ガスを充填し、艦船を攻撃して応急排水修理などを妨害するというものであった。また、金子元少将によれば、第1次海軍軍縮により1923年除籍となった巡洋戦艦生駒に、軍艦からイペリット砲弾を撃込み、除毒する試験が、広島県呉で行われた。相模海軍工廠第1火工部長兼実験部長だった鶴尾定雄大佐の証言によれば、後には、台湾と海南島イペリットが送られ、熱帯での効果を検証する実験が行なわれる。

 

      海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)




 

 

 

 

 

 

 
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
 
 
略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市船橋市内)

 
 
 

 

 
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳
明石書店 1995年発行)

第13章  毒ガスは消えず

隠れた災難はなお消えず

1994年8月25日、朝日新聞は、中国紙の報道に基づいて、中国広東省広州市珠江口で日本軍の毒ガス砲弾が発見されたというニュースを報道した。日本軍が第2次世界大戦中化学兵器を使用したという問題にずっと関心を持っていた日本の友人粕川良谷さんはこれを知るや、同年11月2日、広東省番禺(バンユー)市を訪れた。ここで彼は市人民武装部の副部長李東玉さんに会い、毒ガス砲弾に関する情況を知った。

 
 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

 

 
 
●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

それから約3時間後、男は死んだようにして土間に顔を伏せ、横になっていた。体中紫色に腫れ上がり、幾十条ものどす黒い太い線が走り、頭から肩、腰から両脚にかけて真っ赤な血が流れ出、その血がべっとりと黒く固まりついていいた。時々軽いうめき声をあげ、ピクピクと痙攣を起こしている。

雪は、午後になりますます強く、風さえ加わってきた。粉雪は戸の隙間より吹き込み、血と泥にまみれた男の体に冷酷に降りかかった。私はますますイライラしてきた。

 

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
 

 

 

●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

 

第3編 主要極秘文書

1 三矢研究

昭和38年度統合防衛図上研究
三矢研究

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イ 米国

(イ)次の如き兵力の展開を行なった。

c 空軍

(a)13AFに対して本国からF/B* 2コSqwo増援、その主力をタイ国に進出

(b)TAC* 2コWg*が本国において出動準備を完成

(c)PACAF*は全面的に防空準備の強化を行ない5AFは目下第4態勢を維持している。

*AF=空軍 F/B=戦闘爆撃機 TAC=戦術空軍 Wg=スコードロン(飛行隊) PACA=太平洋空軍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

第4代衛生学校長

 

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

 

 

 

金原節三と細菌戦

 

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

 

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

 

金原節三と武見太郎

 

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

 

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

 

軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人

 

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

 

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

2 生物・化学兵器と階級的視点

戦略兵器の変化

 

即ち、第2次世界大戦後、資本主義諸国の生産能力の60%を占め、投資額の80%近くを支配したアメリカは、核兵器体系の独占と優越を恫喝の背景として、1916年にレーニンがその『帝国主義論』の中で指摘したように、帝国主義の最終目的である世界市場の支配を目指したが、現代の帝国主義国家が、革命運動・民族解放運動の抑圧に向かうことによって、核兵器がいわゆる象徴的存在となって、使用不可能な政治的道徳的兵器となり、生物・化学兵器が冷戦体制における戦略兵器に転身していくことになるのである。

 

 

 

第5代衛生学校長

 

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

 

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

  井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)

 

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 

 
昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
 
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 

 

 




 

 

 

昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

 
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

     


 

 

 

第1部 皇太子の教育

1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第3章  現実世界に向きあう

合衆国で教育を受けたキリスト教徒珍田捨巳も、1920年末に高級宮内官の輪に加わった。彼はドイツ、アメリカ、イギリスの大使を歴任し、牧野のもとでパリ講和会議の代表団の一員になった。彼が1921年東宮大夫(とうぐうだいぶ)に1925年に皇后宮大夫に任命されたのは、 西洋経験のある練達の外交官や軍人を宮中に送りこむという宮内省の改革の一環であった。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

 

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

 

 

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

 

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
 
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
 
※私が考える、今の異常気象の要因は

 

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

 

 

 

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

核被災に苦しむウイグルの人々

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。

 
●核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

地球を破壊する核実験

 

 

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

内容

 

当条約の原文は、国連公用語である英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。

なお日本は不参加のため外務省の公式な翻訳はないが、外務省は英文、暫定的な仮訳、日本国政府の考えを掲載中。

当条約は前文と20の条文から構成される。

前文では核兵器の非人道性、全廃の必要性、安全保障上の利益、「核兵器のない世界」の達成、国際人道法、過去決議との関連、法的禁止、平和利用、教育の重要性などを締結国の認識と記載した。

 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ) 
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

 

 

 

 

 

メアリーが伝えるヒロシマ
核実験の人体実験
核被災と核兵器禁止条約



 

 

 
 
 
 
核融合もすべきではない!!

 

 

 
 
 
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
 

 

       

      


 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

 
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
 
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 
 



 

 

 

 

 



           











 

 


 
 
 
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!