細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

78.詳しく勉強になる内容でした。今のネット社会にまんえんするデマ、偽りの情報を信じて歴史を知っているつもりになっている人の多さを憂慮しています。次回もお邪魔します。お疲れ様でした!

(女性、40代、市内、FB)

 
 
 
 


 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために
 
太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿 
 
第5福竜丸以外のビキニ被災船があると思っていた国民は皆無であった 
 
1985 年、原爆被爆40周年の年、「幡多高校生ゼミナール」が地域の被爆者調査に取り組み、初めて第5福竜丸以外のビキニ水爆被災漁船員の存在に突き当たる。事件から30年を 経過していたが、先入観を持たない高校生や教師たちの被災船員への聞き取りによって、漁船員たちの健康異常を実感した。ビキニ事件についての国の対応は、1986年3月衆議院予算委員会での山原健二郎議員の質問に対して「資料はない」「対策を講ずることはできない」と答弁し、その後も「解決済み」「窓口はなく、資料もない」という姿勢であった。教科書にも、第5福竜丸事件としか記入されず、第5福竜丸以外のビキニ被災船があると思っていた国民は皆無であった。政府がらみの組織的で継続的な情報コントロールなしにはあり得ないことである。ビキニ事件の調査は継続され、星正治・広島大名誉教授らの科学者チームが、被災船員の歯や血液分析により放射線被災を立証し、アメリ国務省から被災船員の人体影響記録が発見された。事件から60年後にようやく外務省・厚労省水産庁の一部の資料が開示され、船員保険申請から「公開審理」へ、そして「ビキニ国賠訴訟」高知地裁から高松高裁への取り組みを通じて、この事件の巨大な背景に光が当てられた。
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
 

実験医学雑誌第14巻雑報

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

実験医学雑誌第15巻雑報

雑報15巻2号、昭和6(1931)年

◎学友会へ寄付金

金5円36銭也       吉積泰君

 

2月中職員異動調

月日    異動事項          官職          氏名

1.31 昭和6年1月30日付願

   研究生退学の件許可す                    水沼正尚

〃  昭和6年1月31日付願

   研究生退学の件許可す                  名越猛熊

2.2 昭和6年1月1日付願

   研究生継続の件許可す                  柏崎晃

2.3 昭和6年2月2日付願

  研究生入学の件許可す                   三田泰三

2.7 京都府兵庫県下へ出張を命ず

                     技師          山田信一郎

2.7 長野県下へ出張を命ず

                     助教授       小島三郎

2.9 叙勲5等授瑞宝章           教授        三田村篤志

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

731不当判決について

 

増田文雄(フォトジャーナリスト)

 

731について多少なりとも関心を持っていた私が、731裁判に微力ながら支援行動を取るのは当然の帰結であった。

 戦争の反省と謝罪をし、今もって追及しているドイツと違い、なかなか反省したがらない日本国。首相がA級戦犯になるくらいの国だから戦争責任を回避しなおかつ正義の戦争だったと主張する国会議員が輩出される。それと共に共同している日本国民会議なる組織も、「大東亜戦争は解放戦争だった」との宣伝をし、学校教育にも力を入れてきている。この様な中での731判決である。

  

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月八日

陸軍初め午前十時小学校前にて分別式 晴、非常に寒し零下二拾九度 手は切られるが如し

正月も愈々これにて終わるかと思うと心細い 目の回るような寒さだ 分別式をやる時分は手足が寒いんだか痛いんだかわからない。やっとの思いで式も終わり帰れば楽しい休みだ。

お昼は心ばかりの御馳走あり 午前も相変らずばか騒ぎをする 書くにも書かれないような冗談を飛ばしては・・・口から口へ平然と五厘玉の受け取りをするのはまだしもの事 蓄音機のまねから林檎の取り合い酒保の騒ぎ・・・酒保で金のないのを自慢の様に 来る者来る者を捕まえて旨い物にありつく軍隊もこの位の動作が毎日出来るなら極楽である。

 


軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


 原爆病院の医師たちは、人間の肉体に巣くう原爆という、かつて人類が出くわしたことのない怪物との闘いにおいて、現実の患者を治療しながら一歩ずつ具体的に、恐怖の核心に迫ってゆくという戦術を取ったのであった。それは同時に、そのように具体的なやり方しか、彼らに可能でなかったということでもある。そして、この医師たちの、放射能障害への具体的なアプローチの歴史は、まさに人間的な感動をさそうものだ。

 
 
 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

 

731部隊の状況

 1934年9月、20名の愛国者(中国人)が逃亡し、その4年後の秋にも30名が逃亡しました。このような大きなトラブルに遭い、石井は1938年には隣の駅にある平房にさらに巨大な殺人工廠を構築しました。平房の殺人工廠ができるまで、実験材料である生きた人間を何処に収容していたか。資料によると、ハルビン市の元日本領事館の地下留置場を利用したとあり、この度、現在の中国の方の旅館になっている花園旅館を見てきました。客室が30部屋あって1部屋に10人は収容できる筈ですから、300人はゆうに留置していたと思います。ここは元領事館警察の留置場ですが、1938年以降は、731部隊代用監獄としてハルビン憲兵隊が“マルタ”を管理したと思われます。

 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

序言

 第2は、本書の大部分を占める証言が戦犯としての日本人の供述であるという点である。彼らが如何なる葛藤のもとに自らの行為を供述し記述したかについては、古川による解説の「三」を参照して頂きたい。勿論、記憶違いや事実とは相違する証言内容がある可能性は否定できない。我々は証言を他の諸々の資料と可能な限り照合し、必要と考えた場合には証言者からの聞き取りを行い、それらを訳注に記述することによって、証言と事実との誤差をできるだけ小さくすることに努めた。今日では中国側を含めて全ての個々の証言者に事実確認を求めることは、ほとんど不可能である。

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

 

糜爛性ガスの使用実験の指示
4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
華中での糜爛性ガスの大規模使用
 
こうして毒ガスが激烈な威力を発揮して第13師団は全滅の危機を免れたが、アジア太平洋戦争開戦の2か月前にこのような大規模な毒バス戦を行った事は、後述するように、アメリカが毒ガス戦の準備を行なうきっかけを与えることになった。
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

 

(注)

荒木貞夫(1877~1966)

 日本陸軍大学卒、陸軍連隊長、旅団長、憲兵司令官、参謀本部部長、陸軍大学校長、師団長等を歴任、1931年以後、犬養毅内閣、斎藤実内閣の陸相を務め、中国東北侵略を主張、日本陸軍中の少壮派軍人を放任、陸軍皇道派を代表する1人、軍部ファシズム運動青年将校の支持と崇拝を得る。1936年皇道派青年将校が発動した「2.26事件」失敗後退職。第1次近衛内閣の文部大臣を勤む。戦後A級戦犯に指定され終身禁固の判決を受けたが、1954年病気のため仮釈放、1966年11月20日病死。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く

 

新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。

 

≪うまく殺せなかったら、初年兵の手前どうする。いやそれよりも、中隊長の顔が・・・・もしも逃げられたら・・・いやそんなことがあるもんか、あんな体で逃げられるものか≫4回も初年兵を教育してきて兵長になり、来月はもう下士官になろうとしている私だけに・・・≪畜生!!初年兵に度胸の良い所を見せてやるためにも≫私はグッと銃を握り直した。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

2安保体制の機密

手厚く保護される米軍機密

 だが、たとえば「ホークには数十の防衛秘密がある『何と何が防衛秘密であるかも、また秘密』だそうだ」(毎日新聞社編『安保と自衛隊』131ページ)といわれている。MSA秘密保護法適用第1号となった青木日出雄元三等空佐は、『航空情報』誌66年10月号の解説記事中に、F104Jジェット戦闘機の火器管制装置ナサール15Jの能力が出力220キロワット、探知距離40カイリである事実を記載したため取調べを受けたのであった。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

神経ガス

神経ガスの代表的なものは、Gガスである。これは第2次世界大戦中、ドイツが有機燐化合物の農薬研究中に発見したもので戦用ガスとしては最も重要視されている。

a Gガスの種類

(1)GA(タブン)(Lct.50  400㎎-min/㎥)

(2)GB(サリン)(Lct.50  100mg-min/㎥)

(3)GD(ソマン)(Lct.50  400㎎-min/㎥)

(4)GE

(5)GF

 

 

b ガスの特性 ①純粋なものは無色、無臭で、五感によって感知し難い。②経口、経皮吸収され、自律神経系統の交感神経と副交感神経との均衡を失し始める。③常温(20℃)において液体であり、また沸点が高いので砲、爆弾などに充填して使用できる。④金属とその他の腐食作用が僅少のため長期保存が可能である。⑤体内に吸収された場合の作用速度が極めて速く、致死量の場合は約15分以内に死亡する。⑥ガス探知器材によらなければ検知不能であり、また低濃度のGガスに対しては検知困難である。⑦Gガスは、糜爛ガスよりも揮発性が大であるから、持久性は劣る。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 1946年1月13日、学習院の教員でGHQ民間情報教育局〔CIE〕の非公式顧間を務めるレジナルド・プライスという人物が、侍従長〔藤田尚徳〕に書簡を送った。食料配給制度が間もなく機能しなくなるとの認識のもとに、彼は天皇にこの深刻な問題に対処することを求めた。 

 

 闇を通さずに食料を適切に分配するため、・・・・人々の感情に訴える力は天皇だけにある。天皇は日本中をまわり、炭鉱や農村を訪ねて人々の声を聞き、彼らと話し、彼らに質問するべきである。そして帰京後に声明を発し、そこで例えば食料の退蔵にふれ、今こそ戦時中のような犠牲的精神が必要だというべきである。真心をこめて考えを述べ、食料を分かち合うよう日本人に呼びかけるべきである。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

 

内容

 

当条約の原文は、国連公用語である英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。

なお日本は不参加のため外務省の公式な翻訳はないが、外務省は英文、暫定的な仮訳、日本国政府の考えを掲載中。

当条約は前文と20の条文から構成される。

前文では核兵器の非人道性、全廃の必要性、安全保障上の利益、「核兵器のない世界」の達成、国際人道法、過去決議との関連、法的禁止、平和利用、教育の重要性などを締結国の認識と記載した。

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 

 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 

 

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

77、「日本の戦争の加害の歴史・概要」が全体像を把握するのに大変役立った!!隅々までしっかり考えながら読み、まとめのパンフは貴重な資料としていただいた。大変ありがたい!!

5月9日(日)18:00~19:00に来たので、忙しいので、一時間では見切れなかった。また次回みたい!!

(男性、60代、市外、5/1半田滋さんの講演会の後、このセンターで立ち寄り、今日また来た)

【要望】また展示をしてほしい。展示内容をコンパクトにまとめた図録、パンフレットがあると良い。例えば平塚市の博物館では、特別展のまとめパンフレットを製本で作成し、500円~1000円で売っている。

 

 
 
 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
ビキニ水爆被災事件に光を当て、被災者救済と核兵器禁止条約推進のために
 
太平洋核被災支援センター事務局長 山下正寿 
 
ビキニ核実験による被災漁船(延べ1000隻)の元船員・遺族救済を求め「ビキニ国賠 訴訟」を高知地裁に提訴した。訴訟では、証拠書類、証言、傍聴ともに被告の政府側を圧倒したが、2018 年 7 月 20 日の判決は、20 年の時効により原告の請求を棄却する不当判決だった。しかし、裁判長は判決文で、「個々の漁船員が被ばくしたこと、被曝と健康状態の悪化との因果関係を立証することが困難を伴うことが否定できない。そうすると、長年にわたって顧みられることが少なかった漁船員の救済の必要性については改めて検討されるべきとも考えられる」と漁船員の被災を認めた上で、救済の必要性について立法府と行政府に検討を求めた。6 月 11日、高松高裁で 3 名の意見書が提出され、政府の継続的不作為行為が立証された。 裁判に至る背景・動機(今号)、裁判・労災認定をめぐる現状と課題(次号)について述べたい。
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 

 

 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
 

実験医学雑誌第14巻雑報

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

実験医学雑誌第15巻雑報

雑報15巻2号、昭和6(1931)年

予め進捗中であった改築工事も遂に厩舎から研究室に及んで愈々研究所本館の新築に着手さるることになった。

   それで在来の第2号本館は南方の塀添いに移転して新築の落成を待つことになった。

 2号本館の各室はその移転工事の間講堂に、後ろのバラックに、果ては諸室に暫時の宿を借りたのであるが、

その為の講堂も目下完全に塞がれてしまったので遂に2月の学術集談会も中止することになった。

しかし3月終りまでには2号本館の移転も完了する筈であるから、移転の暁は一時の混雑も回復する筈である.

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

正義の判決こそアジアの平和の基礎をつくる

 

西森茂夫(平和資料館・草の家 館長)

 なお、判決は1972年の日中共同声明と1978年の日中平和友好条約に於いて中国政府が戦争賠償席級を放棄したことを挙げ、国際法上はこれをもって日本の国家責任は決着済みであるとの独自の判断を下した。しかし、福岡地裁の判決(2002年4月26日)が示す通り、サンフランシスコ平和条約締結当時中国は、中国国民が日本政府に対して日中戦争において被った被害の賠償を請求し得るとの立場をとり、1995年3月全人代の席で当時の副首相兼外相の銭其琛日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって個人の補償請求は含まれず。これは国民の権利であり、、政府は干渉すべきでないという見解を示している。したがって決着済みとの判断も誤りである。裁判は原告が早速控訴したが、控訴審裁判官の良心と勇気に期待したい。正義の判決こそアジアの平和の基礎を作るのであり、また日本の民主主義のレベルを世界に示す事になるからである。(参考文献『世界』2002年11月号土屋公献論文)

(「草の家だより」№76、2002年11月1日より)

  

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月七日

生まれて初めて汽車の夢を負ひながら営口につく  三拾分ばかり街中をふらつく  中々大きな街にして居心地のよさそうな街である  今日なんと愉快な公用であろう  一人旅にして見る街は又格別だ三拾分の営口よさらば

一生行きし事もないのだろう  武田のあんぼんたん



 
 


軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


 即ち、重藤博士と原爆病院は、常に研究機関ではなくて、日々の治療機関であり、現場の医師であった。したがって、重藤博士を巡る原爆病院の医師たちの研究は常に、現実の患者の治療と綯(な)い合わされてのみ存在したのであった。それは、ABCCが本来、治療とは無関係な、純粋な研究機関であったことと比較されながら、記憶されるべきであろう。

 
 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

 

731部隊の状況

 地元の古老は、中馬城は大きな城の様な兵営だったと言い、元陸軍中将遠藤三郎氏(日中友好元軍人の会創始者)の日記によれば背蔭河実験場は600m平方の一大要塞の様だと記し、古老の話と一致します。 

 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

序言

 軍医たちの功名心による研究欲求と人種差別思想が分かちがたく結び付いて為された人体実験は、旧日本軍の侵略性全体の中に、特殊的ではなくむしろ普遍的な根源を持っていた、ということができよう。訳書『人体実験』以下で示される、731部隊などの細菌・化学戦準備とその実施がもつ意味を日本の読者により的確に理解していただくためには、日本軍によるより一般的な事例を先ず提示する必要があると思われた。原著第3部の翻訳・刊行を優先したゆえんである。

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

 

糜爛性ガスの使用実験の指示
4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
華中での糜爛性ガスの大規模使用
 
 また、中国国民政府が1942(昭和17)年7月14日に太平洋戦争協議会(ロンドン)へ提出した文書によれば、宜昌攻防戦で日本軍はガス弾を使い、日本軍機は300発以上のガス弾を投下したが、この時使用されたガスは催涙性、くしゃみ性及びマスタードガス(イペリット)であり、中国軍は1600人が影響を受け、うち600人余名が死亡したとしたうえで、更に、次のように記している。
 
 この毒ガスに見舞われた兵及び民間人は即座に失神し、ある者は数分ないし30分以内に死亡し、他は火ぶくれになり数時間後に死亡した、また目がふくれ上がり、くしゃみを発し、鼻血を出すものもいた。死者の皮膚は黒と青色に変じた。最も軽いものでもある程度回復するには10ないし11時間かかり、完全に元通りになる為には更に10時間以上を必要とした。ある中国軍師団のガス弾による死傷者は総兵力の3分の1にも達した。(竹前栄治「やはり毒ガス・細菌兵器は使われていた―中国側からの告発」)
 
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

 

そしてまた、かつて大久野島毒ガス工場で働き、現在も病と痛みに耐えている日本人のことを思い浮かべた。もし、これを建てた人たちが動物に対して本当に善良な動機を持っていたならば、何で彼らの毒ガスによる被害者のために、もっと大きな記念塔を建てなかったのだろうか。村山内閣が最近行った決議によると、戦争中死んだアジア各国の人民を追悼する記念塔を1995年に建立することを準備するそうだ。勿論、これは1つの進歩である。ただ、いささか遅かったのではないか。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く

 

新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。

 

3日間も寝ずに、拷問を受けている者とは、全く考えられないくらい、2人の足取りはサッサッと大地を踏みしめている。

「エイ、もっと早く歩け!!」

私は彼女たちがゆっくり歩けば歩くほど、中国人に馬鹿にされている様でやきもきした。

「エイ、早く歩くんだ!!」

田原がキンキン声でがなり立てた。私が焦れば焦る程、女は前よりも、もっともっとゆっくり歩きだした。それは無言の抵抗のように思えた。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

2安保体制の機密

手厚く保護される米軍機密

 安保条約とならんでMSA協定もまた、安保体制下の軍事機密を大量に生産している。同協定第3条は「各政府は、この協定によって他方の政府が供与する秘密の物件、役務又は情報についてその秘密の漏せつ又はその危険を防止するため、両政府の間で合意する秘密保持の措置を執るものとする」と定めている。これに関して同協定付属書BおよびMSA秘密保護法、ならびに防衛庁の「防衛秘密の保護に関する訓令」が、一連の秘密保護体制を構築していることについては、すでに述べた。また、MSA防衛秘密のうち文書については、70年末現在で「極秘」が27件217点、「秘」が3118件9万0142点あることが、前掲第2表の防衛庁資料で明らかにされている。物件は7~8万点といわれているが、公表されていない。というのは、MSA秘密保護法が、「品目及び数量」を防衛秘密としていることとの関連からであろう。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

神経ガス

神経ガスの代表的なものは、Gガスである。これは第2次世界大戦中、ドイツが有機燐化合物の農薬研究中に発見したもので戦用ガスとしては最も重要視されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 

 占領の開始から5ヵ月、1946年の新年を迎えたとき、日本国民はふたつに分裂していた。一方では、復員した兵士と職を失った市民が続々とアジア大陸から引き揚げてきた。数百万の国民が住む家を失い、食料の配給制度は崩壊し、いたるところに闇市が栄えていた。農民は市町村の民主化を求めて政治闘争に立ち上がった。農地改革はまだ始まっていなかったが、小作農や小規模自作農は、明治以来、戦前天皇制の社会的支柱になってきた地主への不満をつのらせていた。他方では、早くも顕在化した混乱と退廃が精神的動揺を引き起こしていた。左翼にかぎらず多くの国民が、敗戦と占領はただちに根本的で徹底した改革をもたらすと考えていた。大規模な制度の変革が明日にでも起こりそうな気配だった。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

 

歴史

2020年7月、フィジーが39か国目の、ボツワナが40か国目の批准国となった。フィジーの批准日は条約採択3周年の日でもある。

2020年8月6日、アイルランド、ナイジェリア、ニウエが批准した。

2020年8月9日、セントクリストファー・ネイビスが批准し44か国となった。

2020年9月21日、マルタが批准し45か国となった。

2020年10月1日現在、84か国が条約に署名している。また、2020年9月30日、マレーシアが批准し46か国となる。

2020年10月12日にツバルが、10月23日にジャマイカナウルが、10月24日にホンジュラスが批准して、批准国が50か国に達した。この結果、2020年10月24日から90日後(条約15条1項)の2021年1月22日以降、核兵器禁止条約は世界的な法規範として正当な効力を持つことになる。

2020年12月11日、ベナンが批准した。

2021年1月22日、条約発効。またカンボジアが批准した。

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 

 

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月30日(金)~8月1日(日)は、ブログをお休みします!!
 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

76、本日は日本軍「慰安婦」のコーナーを特に見たいと思い、来ました。
「沈黙」映画を以前見ましたが、それ以上に胸がふさがれる思いです。同性として、その後の人生はどんなに厳しく、寂しく、悲しかっただろうと感じます。今回、この「戦争の加害」パネル展に来訪しました。」色々な情報(歴史事実)を知ることができました。今後より深く、真実の歴史を知りたいと思います。ありがとうございました。

(女性、60代、市外、チラシ・友人)」

 

 
 
 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

 

 


 

 
 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
ある退官記念講演にて
退官記念講義は敬意と感謝に包まれて暖かい雰囲気で行なわれるものだが、左翼系学生のつるし上げにあい散々なものになったようだ。
悪いことはできないものだ。自業自得である。
当時の左翼学生の活動すべてを肯定するつもりはないが、ここでの追及は正義に基づいたものであり、まともである。(この人たちは今どうしているのか。そして今の学生は何をやっているのか)
彼が731部隊で行なった人体実験の詳細はよくわかっていないが、肝臓にレントゲンを照射して致死量を確認する実験を行なったという証言がある。
退官記念講義の場で追及されても、実験内容を明らかにできないほど凄惨なものだったのだろう。
ナチスは、強制収用所のユダヤ人の生殖器に大量のX線を照射して不妊にさせるといった悪魔のような冷酷な実験を繰り返していた。
同じようなことを731部隊でやっていたことは間違いない。
亀井文夫監督の有名なドキュメンタリー「世界は恐怖する 死の灰の正体」の製作に宮川教授は協力している。
映画の冒頭でコバルト60のガンマ線を小鳥が死ぬまで浴びせる衝撃的な実験が紹介されているが、恐らく731部隊では中国人を使って同じことをしていたのだろう。示唆に富んだ実験である。
宮川教授は、「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」と言ったが、自分が中国人に対して行なった凄惨な人体実験は残酷でなかったとでも言うのだろうか。
こんな人物に名誉教授を授与するのが東京大学なのである。
戦後、731部隊の他の隊員と同じく、彼は米国に人体実験データを渡すことを条件に免責となった。
弱みを握られているから、当然、米国原子力産業の言いなりであり、以後、彼も放射能被ばくの過小評価に協力することになる。
1954年に起きた第5福竜丸事件では、被ばく船は800隻もあったと言われているが、第5福竜丸一隻だけとしたのも宮川教授である。
宮川教授は放射線医学研究所(現・放射線医学総合研究所)の設立に尽力したが、本来は独立して研究を行なうべき放射線医学もまた原子力産業に取り込まれていく。米国・原子力産業の意向には一切逆らえないのである。
現在、放医研はIAEA協力センターに指定されているが、実質的にIAEAの傘下組織と言ってよいだろう。
前稿でも述べたが、宮川教授の弟子の弟子、たった2代下るとあの中川恵一准教授である。
マスコミに頻繁に登場して安全デマを流布している中川氏もまた731直系の御用学者なのだ。
自分の出世や金儲けのために人間をモルモットのように使う731部隊の悪魔のような伝統は、現在もしっかり受け継がれている。
731直系の御用学者が安全デマを流布して、福島の人たちを危険な放射能汚染地域にとどまらせようとしていることがその動かぬ証拠である。
731部隊関連の情報は、安倍政権・日本会議が最も闇に葬りたい事実であり、ネット上からどんどん情報が削除されている。
東大のウェブサイトに載っていた宮川教授の訃報も、私が731との関与を指摘した後、あっという間に削除された。
不都合な歴史事実を隠ぺいしようとするのは全体主義国家の典型的な特徴である。
まさに現代の焚書と言ってよい。
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 

 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
 

実験医学雑誌第14巻雑報

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

実験医学雑誌第15巻雑報

雑報15巻2号、昭和6(1931)年

◎学友会へ寄付金

金百五十円也    林敏雄君

 

◎一月中職員異動

月日      異動事項          官職    氏名

5年12.27  敍従三位              教授   林春雄

〃       敍従四位        同    長與又郎

12.31    昭和5年12月31日付願

      研究生退学の件許可す              小澤 眞

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

正義の判決こそアジアの平和の基礎をつくる

 

西森茂夫(平和資料館・草の家 館長)

 国家無答責は明治憲法下で生きてきた解釈論であり、国際法における個人の法主体性と個人請求権の問題についても、判決は「国際法はあくまで国家間の法」であるという伝統的な考え方を強調し、1907年のハーグ陸戦条約以後の人権思想の高まりを無視している。国際慣習法もその実行例から、現在の法感覚で裁くべきである。訴訟は現在行われているのである。原爆被害者医療法、戦没戦傷病遺族等援護法。台湾住民戦没者遺族弔意法、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストリア等による補償が条理に基づいて実現したとの原告側主張に対し、これらは何れも諸々の配慮が加わって立法された例に過ぎないという。

 これは「司法不作為」と言わざるを得ない態度であり、権力側の庇い合いと億歳社会から非難されるであろう。

  

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月七日

第十六列車満州の縮図を乗せて第二回目の大石橋行き 鞍山の駅で大学生と○○の娘らしい文金高島田の翠な姿が妙に気になり 話を耳にせんと内藤と共にそばへ行けゼ中々聞こえない。大石橋の用事も二拾分 帰る時間迄二時間半 武田の方へ行うと思へども寒くてつまらない―考えに考えた末 腹を据えて営口に行くことにする。内密をつくろいながら時間つぶしにもってこいだ



 
 


軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


 重藤博士は、原爆の炸裂の瞬間から、この戦後の20年、即ち原爆後の20年、終始、広島の被爆者の日々の治療についての責任者であった。それは原爆病院が作り上げられるより以前からそうであったのだし、そして原爆病院長に就任した後も、博士は広島日赤病院の仕事をも、合わせて行わねばならなかったのである。

 
 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

 

731部隊の状況

 石井がこの平房に細菌戦の本拠を設けるのは、①対ソ作戦上最適の地、②5つの支部の指揮、③実験材料の入手、④防諜上適地、⑤生産細菌の輸送等々にあったと思います。石井は1933年に、ハルビンから約70㎞離れた背蔭河に、中国人の酒造工場を奪取して最初の殺人工場を作りました。地元の人達はこの工場を中馬城といいました。中馬城というのは、背蔭河駅前に蟠踞する関東軍独立守備隊長中馬大尉の名を冠したもので、本来の役割を隠蔽するための呼称です。

 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

序言

 なお、翻訳の刊行について2点を付言しておきたい。
 第1は、原著の第3部から翻訳・刊行を始めた事についてである。今日の日本における研究・出版状況ではなお、生体解剖や人体実験などの旧日本陸軍の残虐行為を731部隊など限られた機関によるものとし、地域的にも中国東北地方に限定する傾向が見られる。それらの機関が日本のファシズムの非人間性を最も象徴的に表現している限り、その実態の一層の究明が必要であるのはいうまでもないが、同時に、それ以外の機関や地域にも眼を向ける必要がある。原著の第3部は、一般の日本軍部隊における生体解剖やそれに類する人体実験についての証言を収録しているが、これは、旧日本軍の「科学」や「医学」の名のもとにおこなわれた行為が決して731部隊などの特殊な事例ではなく、日本軍が侵略した先々で見られた一般的な事例であったことを示している。

 

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

 

糜爛性ガスの使用実験の指示
4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
華中での糜爛性ガスの大規模使用
 
 また、中国国民政府が1942(昭和17)年7月14日に太平洋戦争協議会(ロンドン)へ提出した文書によれば、宜昌攻防戦で日本軍はガス弾を使い、日本軍機は300発以上のガス弾を投下したが、この時使用されたガスは催涙性、くしゃみ性及びマスタードガス(イペリット)であり、中国軍は1600人が影響を受け、うち600人余名が死亡したとしたうえで、更に、次のように記している。
 
 1941年10月の中国軍スポークスマンの報ずる所によれば、宜昌地区の戦闘に使用されたガス弾は20から50ポンドの重量があった。爆発力は通常の爆弾より弱かった。爆発後10分もすると黒っぽい液体が流れ出し、そこから灰白色の煙が立ち上り、それは黄色そしてオレンジ色に変化した。この蒸気は皮膚と粘膜を侵し、赤唐辛子のようにしてしまい、花の様な芳香を放ち、あるものは腐敗した果実の臭いを放った。日本軍のガス攻撃の時の風速は秒速1ないし3mで、気温は摂氏20℃程度であった。
 
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

 

大きな花崗岩の彫刻でできていて、すごく堂々としていた。塔身の真ん中には真っ白に光った大理石がはめ込まれ、その表面には「動物慰霊碑」の6つの大きな字が刻まれていた。これは実験で命を奪われた動物たちのために、習志野学校が建てたものだった。動物、とくに野生動物の保護は、現在人類文明の向上の1つの指標となりつつあるが、私が今見ているこの動物のために建てられた「慰霊塔」は、動物保護の責任感を掻き立てるものでは全くなく、大きな風刺的意味を考えさせずにはおかない。私は、戦争中に日本の侵略者の手で殺された数千万人に上る中国人民を思い、侵略者に抗して戦い犠牲となった数百万の軍人のことを思い、毒ガスによる数十万の被害者のことを思った。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く

 

新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。

 

≪もう弾薬の補給がつかないから、各部隊は極力弾丸の使用を禁止して肉弾、白兵戦をもって敵に当たるべし≫師団から何回となく通達されてきている事を、彼女はみんな知り尽くしている。大西はもう刀を抜くことができなくなったのか、地団太を踏んで「銃!!銃殺だ!!吉村!!吉村!!」とわめき散らした。

こうして、その口から一言も聞き出すことの出来ない事を知った大西は、畑の中に引き出して殺すように命じた。女の7,8m前を35歳くらいの男が足を引きずるようにゆっくりと歩いて行く。女はその後を何事もないようにいつもと同じ足取りで、1歩1歩強く歩いている。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

2安保体制の機密

手厚く保護される米軍機密

 以上のように、アメリカ軍の機密は協定、合意事項、法令その他の措置によって、それ自体厳重に保護されている。そればかりか、これに関連する日米間の軍事・外交機密までが、その保護対象とされているのである。なお、防衛庁の庁秘訓令は、第10条第6項で「外国政府から得た秘密については、その外国政府の秘密区分に相当する秘密区分に指定するものとする」と定め、また、第29条第2項で「外国政府に秘密の知識又は文書、図画若しくは物件を伝達又は送達するときは、事務次官の定めるところによる」としている。事務次官の定めは秘密文書とされている。これにより日米間(日韓、日台間その他も含まれるであろう)の秘密情報資料の交換がなされているわけである。庁秘訓令に刑特法上の機密について特段の規定がないのは、それを知得するメンバーが極めて限定されているからであるともいわれている。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

戦用ガス

戦用ガスの分類は、通常生理学的作用による分類方法がとられる。以下、陸上自衛隊幹部候補生学校教科書『特殊武器学』(第1版)から要約してみることにする。

窒息ガス これは主として経口吸入により肺を傷害し、酸素欠乏により致死させる。

a CG(ホスゲン)・・・・・COCl₂

b DP(ジホスゲン)・・・・Cl・COCO.CCl₃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 天皇を守り、彼のイメージを創り直すことは、日本国内での社会的激変の脅威をひどく誇張し、証言を粉鰤し、証拠を隠滅し、歴史をねじ曲げることではじめて達成できる複雑な政治的事業であった。裕仁がこうした正義の歪曲に対して不快に感じていたかどうか、あるいは皇祖皇宗の御霊への奉告のなかでこの点に触れたかどうかはわからない。しかし、東条の処刑に至る裁判全体を通じて、天皇が、退位を迫る国内外の圧力を食い止め、君主制を保持し、さらには日本人の政治世界のなかに安定した領域と正統性の原理を維持するという、より大きな目標を見失うことがなかったことはたしかだろう。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

 

歴史

MNNA諸国の多く、東南アジア諸国連合(棄権のシンガポール以外)、ヨーロッパではNATO非加盟のスウェーデン・スイス・オーストリアアイルランドなどは賛成した。

2017年09月20日より各国で批准が行われ、2020年10月24日に発効に必要な50か国に達した。

2017年9月20日ガイアナタイ王国バチカン市国が批准。

2018年1月16日にはメキシコが、2018年9月28日までにキューバパレスチナ国、ベネズエラパラオオーストリアベトナムコスタリカニカラグアウルグアイニュージーランドクック諸島ガンビアサモアサンマリノ、バヌアツを含む合計19か国が、この条約に批准した。

2020年6月、レソトが38か国目の批准国になった。

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 

 

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

75、パンデミックで、今まで世界でスルーされてきた全分野諸問題がはっきりした形で見えてきました。しっかりとした事実を学び、次世代に引き継いでいくことが大切です。

(不明、40代、市外)

 

 
 
 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

 

 

 


 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
ある退官記念講演にて
ところで、最近、全日本医学生連合中央書記局で出している「全日本医学生新聞」(1973年4月1日号)がつぎのような記事を発表している。以下はその全文である。
(中略)
東大宮川教授に対する追及は、3月2日最終講義の場において大衆的に貫徹された。
医学者の"名誉"とは?
 それに対し教授はいかなる対応をしたか。
 彼はまず何より戦後20数年たった今日、"隠しおおせた"と思っていた自らの戦争犯罪が「最終講義」というまさに土壇場で曝露されたことに対し驚きと狼狽を示した。
 「最終講義は授業の場だから答えられない」といったり、
「最終講義はセレモニーでしかないから追及されるくらいならやめてしまってもよい」などと矛盾したことをいいつつ、公開質問状に回答することを拒否した。
 はては「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」となどと泣き事ともつかぬ事をいいだす始末だった。
 戦後「医学者としての戦争責任」を何ら追及されなかったばかりか逆に医局講座制の頂点に君臨してきたこの教授が土壇場で演じたのは、自らの戦争責任を大衆の場で明らかにすることではなく、自己の"名誉"を必死で守り抜こうとする醜態でしかなかったのだ。
 細菌兵器と生体実験によって中国人民を虐殺した731部隊の犯罪性を捨象し、「最終講義で追及されることを残酷だ」としか感じとることのできない人間に「医学者」を名乗る資格はない。
 3月2日、われわれの闘いによって講演後2時間余りにわたって宮川教授に対する大衆的な追及が展開された。
 われわれの追及に対して、宮川は昭和19年4月から20年8月まで731部隊に所属していたこと、又放射線によるワクチンの研究を行なっていたことを明らかにしたが、「自分が第何部に属していたかは知らない」「人体実験はやっていない」などとうそぶき、"核心"にふれる事については「知らない。忘れた」など一切"黙秘"を押し通すことによって居直り続けた。
 そして「医学者の戦争責任」についても、すべて「戦争が悪い」「天皇の命令だからやった、反抗すれば殺されていたかも知れない」などということによって自己を免罪し、あげくの果ては「日本国民全体の中の一人としてなら反省してもよい」などと"反省"にならぬいいわけを並べたて、彼の本質を大衆の面前で曝露した。
 防衛大に対しても、「よく知らない」「自衛隊の中にも医者は必要だ」といいのがれをし"軍医養成と軍事医学研究"という指摘をつきつけられるや、「軍医の役割は大きい。軍医は必要だ」とヌケヌケといってのけた。
 このように居直る宮川教授に対する追及は、席を立つ学生がほとんどいないという熱気の中で続けられ、731部隊戦争犯罪を大衆的に確認し貫徹された。
(以下略)
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

 

 
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
 

実験医学雑誌第14巻雑報

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

実験医学雑誌第15巻雑報

雑報15巻2号、昭和6(1931)年

◎新年式挙行

1月6日午前11時より所長室に於て新年式挙行、宮川所長代理の年頭に際しての訓示ありたる後、簡素なる 冷酒の宴が催された。

 

◎学術集談会開催

1月22日午後1時より所内講堂に於いて学術集談会開催。演題は次の3題であった。

1、雑凝集性チフス菌についての研究

   吉田徹君

2、バンコックに就いて

   山田信一郎君

3、メニンゴコッケン及びゴノコッケン感染に因する23の業績(総説)

   西沢行蔵君

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声

 

2章 日本の支援者から

正義の判決こそアジアの平和の基礎をつくる

 

西森茂夫(平和資料館・草の家 館長)

  判決は細菌戦の事実を認めたが、国家の謝罪と賠償責任は退けた。裁判所が初めて細菌戦の事実、被害の存在を明確に認めた事の意義は大きいが、なぜ賠償責任を退けたか。主要な論点は、(1)国家無答責の法理の採用(国家賠償法の施行は昭和22年10月)、(2)国際法上の個人請求権の否定、(3)国際慣習法と条理の3点である。

 いずれも裁判所が正義の場であることを忘れ、戦前の法理をこじつけて判決を下した点で諸外国から非難の的とされかねない代物である。

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月七日

午前八時半 公用 大石橋行き 晴風少し 零下二拾三度午前十一時大石橋着 時間の都合上営口に行く 午前(?)四時半帰隊 愉快な一日よ 楽しそうな所を駅及び車中にて二組・・・否二度 二度目は俺だよあのね   ハハハ

今日一日遊べるんだと思ふと嬉しかった。所が午前八時曹長殿の使役にて大石橋へ行く事になる。用向きは極かんたん 銃剣術のタンホの皮を持って行くのみ



 
 


軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


即ち、この統計で広島の被爆者における白血病の数の明瞭な増大を認めながらも、統計だけでは、なぜ原爆が、白血病を引き起こすか原理的にわからない。、ということで、この論文を医学的に弱いとみなす、有力な人々がいたのである。固定観念に縛られた権威者というものは、このように往々にして有害だ。

 

731部隊員の医学者はアメリカから免責されたが、その免責の条件に、アメリカの核戦略に協力することもあったという。放射能の過小評価などもそうだろう。現に、戦後、国立予防衛生研究所やABCCに元731部隊員は就職した。

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

 

731部隊の状況

 そしてそこには、陸軍病院が建設されておりました。陸軍病院では、憲兵が逮捕した“反満抗日者”を送って、若い軍医の手術演習を実施しておりました。軍医の手術演習は至る所で行なわれていました。陸軍病院で生体解剖したのは直接731部隊とは関係ありません。石井はそのような条件の下で背蔭河で実験を開始したの訳です。

 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

序言

 原著の出版意図については「前言」(199頁以下)を参照していただきたいが、我々がこれを翻訳・刊行したのは、日本の中国侵略の過程で細菌・化学戦が研究・実施され、その中で遂行された旧日本軍の残虐行為と戦争犯罪の実態を日本の読者にも明らかにすることが、そのようなことの再発を防ぐという意味で優れて今日的意味を持っている、と考えたからに他ならない。したがって、戦前の軍事に関連した「科学」研究ないし「医学」研究が著しく倫理性を欠落させたものであり、日本の侵略の中で多くのアジアの近隣諸国の人々に対し筆舌を尽くしがたい惨苦を与えた事が明らかになり、戦後になっても、こうした問題についての歴史教育を十分に行ない得ないような政治的状況が作られていることについて、論議を喚起することに多少とも資するならば本訳書の刊行の目的は半ば達せられたと言えよう。

 

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

 

糜爛性ガスの使用実験の指示
4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
華中での糜爛性ガスの大規模使用
 
 また、アメリカ軍の調査では、宜昌攻防戦で日本軍は航空機からも毒ガス爆弾を使用し、現地で行なった爆弾の破片調査から、この内容物はイペリットとルイサイトの混合ガスであることを確認している(吉見義明「日本軍は毒ガスを使っていた!」・同『毒ガス戦と日本軍』)。
 また、中国国民政府が1942(昭和17)年7月14日に太平洋戦争協議会(ロンドン)へ提出した文書によれば、宜昌攻防戦で日本軍はガス弾を使い、日本軍機は300発以上のガス弾を投下したが、この時使用されたガスは催涙性、くしゃみ性及びマスタードガス(イペリット)であり、中国軍は1600人が影響を受け、うち600人余名が死亡したとしたうえで、更に、次のように記している。
 
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

 

工事現場の後方の、高さ20m近い不思議な形をした建築物が私の注意を引いた、四角い建物で、東側と南側にそれぞれ同じような穴があり、西側には6個の鉄製の窓が分布している。上部にはさらに10m近い高さの煙突があった。地図では、この塔の周りにさらに、消毒所、危険薬品倉庫があり、そして塔の傍らには、ガラス実験器や皿のおびただしい破片が発見された。

 私たちはさらに塔の内外で簡単な測量を続けたが、塔の構造を点検し終わったらもう12時になっていた。帰路の途中で鶴岡さんは私たちを記念塔のような建築物の前に案内した。それは大きなコンクリートの台座の上にある3m近い高さの「山」字形の塔だった。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く

 

新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。

 

「ざま見やがれ!!」

「白状するんだったら、今のうちだ」

「コレッ、言わんか!!」

遠巻きになっていた兵隊が横からがなり立てた。静かに眼を開いた女は、「鬼子(クイズ)!!」と大西を睨むと曹通訳を振り返り、落ち着いた口調で何か言った。

顔色を変えた大西は、どきまぎし、慌てて刀を鞘に納めると、「おい曹!!曹通訳、何を言った」と曹を急き立てた。

大西は揚国夫のありかが、拳銃の山でも頭に画いていたのだろう、慌てた中にもげすっぽい笑いさえ浮かべていた。

「おい早く言え!!」大西は曹の言葉を待ちわびるように詰め寄った。

「ハアー、ハイ」曹は大西のあとの言葉が恐ろしいのか、おどおどしながら言った。

「実は、≪鬼子!!貴様らは、首を斬ることができても銃殺することはできないだろう≫と言っているんで」

「なんだって畜生!!銃殺ができないだろうって、この八路が・・・」大西はカンカンになり、肩なの鞘をガチャガチャ鳴らして悔しがった。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

2安保体制の機密

手厚く保護される米軍機密

 行政協定第17条改正にともない、53年10月22日あらたにそれについての合意が刑事部会でなされたが、その第19項 (機密事項の照会)、第32項(機密符号の告知)も同様の定めをしている。また、同年11月27日の合意では、「急使等に関する特例」(第47項)として、「権限を与えられたすべての急使その他機密文書若しくは機密資料を運搬又は送達する任務に従事するすべての軍務要員は、その任務の性質により、その氏名と所属部隊を確めるという必要以上に他の目的のためにその身柄を拘束されず、且つ、その所持する文書又は資料はその所持を奪われ、開披され又は検査さない旨相互に合意される」となっている(法務省刑事局『外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資料』305、311,323ページ)。

 

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

戦用ガス

 戦用ガスの分類方法に持久度による分類が行われることがあるが、これは濃度、散布度によって持久時間に大きな差があるため、厳密な意味では持久度による分類というのは困難であるが、概念的には次のような分け方がされている。

(1)一時ガス 野外における持久度が約10分以下のものを言う。

(2)持久ガス 野外における持久度が約10分以上のものを言う。一般に「糜爛(びらん)ガス」がこれに属する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

日本の国民は、戦争に対する罪の意識ときわめて真剣に向き合い始めていた。ところが、木戸と東条に天皇の責任を肩代わりさせるなど、責任を不公平に認定したマッカーサートルーマンのいち早い決定が、国民のこの取り組みをさえぎってしまった。1947年から48年にかけてのトーマンの劇的な政策転換もまたこれに追い打ちをかけた。同じことは分割されたドイツでも見られた。アメリ高等弁務官ジョン・マックロイによって実行されたトルーマンの政策により、非ナチ化計画の範囲は、ごくわずかのドイツ人犯罪人にのみ適用されるよう見直され、限定されたものになったのである。東京裁判、それと同時進行していた公職追放は、日本が抱える戦争責任の多面的な問題を解決できなかった。いくつかの点では、これらの政策は問題をいっそう難しいものにしたのである。

 

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

 

歴史

2016年10月28日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案“Taking forward multilateral nuclear disarmament negotiations”(document A/C.1/71/L.41)が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中国は棄権した。


 

2017年7月7日核兵器禁止条約採択時の各国の態度)

     青・賛成     赤・反対     黒・棄権     灰色・不参加

2017年07月07日に国連本部で開催中の核兵器禁止条約交渉会議にて賛成122票、反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)の賛成多数により採択された。

核兵器保有国(NTP上のアメリカ合衆国・中国・イギリス・フランス・ロシア、およびインド・パキスタン朝鮮民主主義人民共和国)は不参加。なお北朝鮮は前年の決議からこの条約の採択の間に不参加に転換した。

 

アメリカ軍の核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国(オランダのみ参加し反対票)や、アメリカ合衆国との軍事同盟を結ぶ日本・オーストラリア・大韓民国なども不参加。

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 


 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 

 

細菌戦の系譜!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
 

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

74、見るに耐え難い。日本がすべてを無かったことにする流れは止めなければならないと思った。

(女性、40代、市外、ウェブ)

 

 
 
 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

 

 



 

 

 
 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
ある退官記念講演にて
ところで、最近、全日本医学生連合中央書記局で出している「全日本医学生新聞」(1973年4月1日号)がつぎのような記事を発表している。以下はその全文である。
(中略)
東大宮川教授に対する追及は、3月2日最終講義の場において大衆的に貫徹された。
公開質問状
放射線科 宮川 正教授殿
(中略)
その中で、日中戦争時における細菌兵器と生体実験を行なった731部隊の犯罪性が明らかにされ、学術会議南極特別委員会に"返り咲い"ていた元731部隊員吉村寿人、北野政次について、その生体実験を中心に検討小委員会が設けられることになりました。これは新聞にも大きく報道されたのでご存知のことと思います。
 ところがこの学術会議の場で、宮川教授が731部隊出身であることが明らかにされました。
われわれは防衛医大の問題を考える時「医学者の戦争責任」を決してさけて通ることはできないと思います。教授は自らの戦争責任とりわけ731部隊に加わっていたことをどのように考えておられるのか、以下の点について公開の場で見解を明らかにしていただきたく思います。
1、731部隊に加わったのはいつからか、又どのような経緯でそうなったのか。
2、731部隊における教授の任務は何だったのか、そしてどのような活動を行なったか。
3、以上をふまえて教授自身、戦争責任とりわけ医学者としての戦争責任をどのように考えておられるか。
4、防衛医大設置に対してどのように考えどのような態度をとられるか。
昭和48年2月23日                 医学部共闘会議
われわれは以上の公開質問状に対し最終講義の場で回答するよう要求した。