731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!!

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
この裁判によって日本政府に細菌戦の事実を認めさせ、補償を求めていくということは、21世紀の新しい平和を築いていくということに繋がっていきます。今後、私たちが日本人として、広く事実を広めていくならば、必ず勝利することができると考えています。判決の中でも、細菌を投下することにより、疫病が蔓延し人々の間に疑心暗鬼が生じ、コミュニティが破壊された事が指摘されています。しかし、裁判の過程の中で、そうした村の人々のコミュニティが回復に向かったところもあったと聞きました。グァテマラで起こった虐殺でも民間団体レミーによる調査によって事実が明らかにされ、それを通して犠牲者の関係者が癒された例もあります。
この裁判の中でも中国人同士の結びつきが強くなり、また日本人と中国人の関係も強くなっているのは事実です。これからもそういった繋がり、結びつきを強めていき、裁判に勝利したいと思います。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え


コスタリカはなぜたったの1か月でコロナ患者を半減させられたのか?


中国北東部の瀋陽市、3人が新型ウイルス感染で7500人を隔離」

司法解剖の現場で疑心暗鬼「この遺体、コロナ患者かも…」

WHO、東京オリンピック開催は「団結すれば可能だが簡単ではない

安倍政権「司法人事への介入」は過去にも、最高裁にも残るトラウマ

菊間千乃弁護士、検察庁法改正案で安倍首相の「恣意的な人事はない」発言に疑問…「ここまでの状況を見ているとその発言をにわかに信用できない」

首相の姿勢によぎる「朕は国家」の言葉 検察OB、危機感込めた意見書全文



新型コロナ死者31万人超す 増加ペース衰えず


「公明支持辞めます」検察庁法改正案への投稿に反応殺到

安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い



自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村



大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-15(文化放送)



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

4. 印象に残ったのは、村瀬写真(中国人家族の様子)。現政権がひた隠しにしようとする歴史的事実を示す貴重な記録写真を見て、改めて歴史や加害者としての日本のを考えられる機会。県民センターで日本の歴史を美化するような展示会があり、それらといかに違うかということを知らせより多くの人に来てもらうかに、工夫が必要であると思った。(団体名や企画展名がかなり混同しやすくて)(女、40、市内、偶然(センターに勤務))


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
11、想像以上に多勢の参加者。若い人に観てほしい。
(女性・70代・朝日新聞



日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

8棟には女子「丸太」も少数ながらいた。特別班員の話によれば、かつて、R、Wという2人の中国人とLという17歳のロシア人がいたと言う。なぜか、彼は、女子「丸太」の本名を知っていた。このうち、Lというロシア人の少女は、美人で評判になったそうである。殺伐とした牢獄の中に咲いた一輪の花のようであった。だが、その花は、あくまでも観賞するだけで、触れてはならなかった。みんなが、彼女には、第4性病の実験がなされていることを知っていたからである。女子「丸太」には、このほか梅毒の実験もなされた。


・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

1940年1月、超音波装置と派遣技師の交渉がまとまったので、休暇をもらって家に帰った。1か月後、妻と共にハルピンに戻った。4台の超音波装置もハルピンに届き、2月下旬に設置が完了した。石井部隊長は渡辺博士に、超音波コレラ・ワクチンの人体実験を行なうよう命令した。正式命令は、確か3月中旬に下されたと思う。ワクチン班は隊長命令に従って人体実験班を編成し、渡辺博士と私が超音波によるワクチン製造を、中黒大尉と細井雇員が軍医学校の方法によるワクチン製造を担当した。人体実験班には川名技手、千葉技手、小林嘱託がいた。正式に始まったのは5月中旬である。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

しかし、吉見氏の著作では、日本軍の毒ガス戦と米軍の対日毒ガス戦計画及び戦後の免責などについての詳細な実証研究という強さがある反面、その背景をなす日本軍の諸問題やなぜ中国で毒ガス兵器を多用したのかについての深い考察、兵士を含む日本の人々も毒ガスに傷ついたという問題、民間企業や科学者が果たした役割、戦後の日本軍関係者による歴史の封印の問題などについて、今一つ充分に論じ切れていないという印象を感じる。本書は吉見氏の著作と同じテーマを扱っている上に、吉見氏とは資料の相互交換などを行ない、又数々の教示を受けているので似通った部分も存在するが、紙幅の許す限り、新資料も用いながら筆者独自の新しい論証や見解、時期的な区分などを提示するとともに、吉見氏が触れていない論点についても検討を試みた内容構成とした。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
13,4歳と言えばちょうど好奇心が盛んな年頃である。しかし、缶の中に一体何が入っているのか、軍人や工場の労働者たちは女学生たちに対して固く口を閉ざし、生徒たちは疑問を胸いっぱいに抱えながら働くしかなかった。けれども、仕事を監視する軍人は、その缶にみだりに触ったり動かしたりしないよう再三にわたって警告し、仕事を終えたら中和剤で手を洗うよう命じ、一層女の子たちを不審がらせた。あの鉄の缶の外側の中ほどには赤か黄色のペンキで塗った標識が付いており、少し口が開いている缶もあって、中から黄色や褐色の液体が流れ出していたこと、しかも刺激性の臭いがあった事を岡田さんは今でも覚えている。多くの女学生達は刺激の為に涙や鼻水が出て、身体に水泡や湿疹ができた。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

3人とも、数十日のはげしい拷問と空腹にふらふらしながら鋭い眼を光らせて降りてきたが、ぐるりと4辺を見回した瞬間、6つの眼は、素早くからみ合ったかと思うと、さっと緊張した空気があたりに漂った。18、9歳の青年の肩の呼吸がだんだん大きくなり、押えきれない怒りと一緒に、「我国際運輸的幹(ウオグオジイユインデカン・・・私は国際運輸で働いている)」と、はげしい言葉が吐き出され、彼はもう前に突っ立っている小林少尉に、じりじり近づいていた。
小林少尉は、「ウーッ」と口ごもりながら、1、2歩下がった。すぐそばにいた太田曹長が、「この野郎」と青年を蹴り飛ばした。青年は、グァーンと、あお向けにぶっ倒れたがすぐ起き上がり、胸を張るように小林少尉を、グィッと睨みつけている。

昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
②衛生学校『図書原簿』(手書き、1963年~1977年)の中に『衛生学校記事』の記載があり2005年9月まで図書室に保管されていたことが判明されました。しかし被告国は2005年9月に赤線で消されているため、廃棄されたと主張しています。
しかし、廃棄手続きは規則で定められており廃棄簿に記載しなければならないことが判明しています。他の赤線部分にある「廃棄」や「廃棄文書番号」の記載も無いので「廃棄処分」を意味していません。被告国は「廃棄」していないことを裏付ける廃棄簿は「5年」保管の為廃棄して現在保管していないと主張していますが、むしろ赤線が「廃棄」の証拠にはならないことが明白になったと言えます。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

毒ガスの開発は、ドイツを中心に急速に進められたが、これら化合剤からの防護器材もまた併行する形で進歩を遂げた。例えば連合国が毒ガスマスクの防毒効果を改善すれば、ドイツは改善された防護具に対抗する毒ガスを開発するということが競われた。
催涙ガスも第1世界大戦中に進歩を遂げた。その中では、ブロム・ベンジル・シアナイド(BBC)が最も強力である。BBCは褐色の油状の液体で、華氏約77度で固化する。BBCは恐らく現在も既知の最も強力な催涙ガスではあるが、臭素を含むたいていの化合物のように、、この毒ガスは安定性が低い上に鉄及び鋼鉄を腐食し、ガラス製、磁器製、またはエナメル塗りの容器のほかには保存できないので軍用ガスとして使われていない。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


1942年秋、昭和天皇がソロモンで続いている戦闘について、統帥部と検討し、木戸とも個人的に話をしている間に、日本の戦闘機、軍艦、輸送船の損害や将兵の死傷者数は確実に増大していった。ガダルカナルの部隊は熱帯の風土病、熱病、飢餓にさらされ、死者は続出していた。しかし、天皇は彼らに対していっそうの敢闘を要望し続けた。1942年末にいたり、ようやく、天皇ガダルカナルからアメリカ軍を排除しようとする望みを最終的に断念した。昭和天皇の断固たる攻撃精神は統帥部に影響を与え、そして、おそらくはソロモンで飢えと栄養失調に苛まれながらも最後まで勇敢に戦った将兵の士気にも影響を与えていた。同時に、そしてより重要なことは、ガダルカナル死守に天皇がこだわったことは、海戦での決定的な勝利にこだわる海軍の考え方とあいまって、太平洋戦域での防御体制への移行を大きく遅らせる原因となったのである。

                    "


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

。氷河の氷は、先ほど南極の氷の重さを小学校の算数で示したように、重いために崩れて、大昔から海に向かって流れているのだ、何を騒ぐか。グリーンランドは、陸地の約90%が氷に覆われている。氷床の厚さは、中央部で3200m、平均でも2000mに達して南極並みである。先に紹介した『地球大紀行6 氷河期襲来』には、グリーンランド中央部の陸地がその氷の重さの為、大きくへこんでしまった見事な図が出ている。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
アムチトカ島での核実験
1965年から1971年までにアラスカのアムチトカ島で3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイル「LIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!


細菌戦の系譜!!

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
しかし、細菌戦裁判の判決は、日本のメディアでも大きく報道され、これによって細菌戦の事実がかなり多くの日本人に知られるようになったと思います。
731部隊と細菌戦は、20世紀の中でも残虐さにおいてはトップランクであると言えます。20世紀の大量虐殺の中では、第1次大戦中のトルコのアルメニア人虐殺、ヒットラーによるユダヤ人虐殺、ルワンダカンボジアでの虐殺が挙げられます。中でも、731部隊での大量虐殺は最も悪質であり、組織的であり、残虐でありました。731部隊の残虐性はナチスドイツの比ではありません。平房において731部隊が生体実験で3000人以上を虐殺したことについて、ロバート・ウィマントという人は、731部隊の行なった殺害方法と比べれば、ナチスの虐殺は極めて人間的に見えるとまで言いました。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

<新型コロナ>千葉県内2人死亡、2人感染 感染者ゼロ継続せず

仏、「川崎病」類似症状の9歳男児死亡 新型コロナ陽性判明

感染疑いの救急患者に 大阪府「トリアージ病院」本格運用へ

河井前法相、「公選法違反で立件」の政治的背景

小泉今日子 検察OBの意見書に感動「泣きました。そして背筋が伸びました」

「理由がさっぱり」検察庁法改正、首かしげる現職検事も

ジム封鎖に抗議 裁判所前で“集団腕立て伏せ”(20/05/15)

「公明支持辞めます」検察庁法改正案への投稿に反応殺到

安倍首相らの告発状提出へ「桜見る会」巡り寄付疑い



自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)





●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

3. 印象的なもの、村瀬写真。兵士が写真を残してくれたことに驚いた。歴史の証言者と感じた。(男、60、川崎、チラシ)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
10、実際の物を使って、よりリアリティーのある映画で素晴らしかったです。当時の環境で成り立っていて、現在では再現できなくて、唯一の映画だと思います。戦争を知らない子どもたちこそ、刺激が強いですが見て「平和とは何か」を考えてほしいと思いました。
(女性・10代・市外・朝日新聞



日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私は、2回ほど、着剣した兵隊と憲兵に連行されていく隊員を目撃したことがあった。部隊の秘密を家族に洩らしたため、と聞いた。その隊員が、どう処刑されたかは、知らない。
とは言え、内部の隊員同士では、密かに私語を交わすことがあった。外部に洩らすことはないという安心感があったからであろう。同じ掟で縛られた仲間意識もあった。
7棟・8棟には、特別班員が勤務していた。特別班員は、部隊長の郷里でもある千葉県出身者が多かった。その中には、私の友人もいた。
彼らの話によると、7棟・8棟では、ペストの実験の他に、凍傷やチフスの実験も行なわれたと言う。厳寒の真冬に、土嚢(どのう)を背負わされて、中庭を果てしなく歩かされる「丸太」は、凍傷実験のためだった。おそらく、真冬の行軍と凍傷の関係を調べていたのではないか。また、動けないように縛り付けた「丸太」にシラミをたからせるチフスの実験もなされた。


・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

私が参加した2回とも、部隊付属の特殊地区で非病原性菌を使って行われ、大型の平板培養基を並べ、飛行機から細菌を散布し、一定時間経過した後、培養基の表面を空気にさらし、細菌散布の分布状況を判定した。前から任務に参加していた石井技手、細井雇員の話では、以前チフス菌の実験をしたことがあり、人体実験も行った。使われたのは中国人ということであった。
超音波装置が到着しないので、私は12月、連絡を取りに東京へ出張した。出発前、副官の加藤少佐が私に、国内では日本軍がノモンハン事件で敗れたことを話してはならない、と言った。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

実は、本書の原稿(第1案)が完成した翌月の2004年7月に、吉見氏は研究成果の集大成として『毒ガス戦と日本軍』(岩波書店)を出版されたが(これを受けて私は、既に完成していた本書の原稿に必要なリバイスを加えることとした)、これは膨大な資料を博捜・分析された上での他に類例を見ない詳細な研究になっているので、日本軍の毒ガスに関心のある方は参照されたい。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
岡田黎子さんは、まだはっきりと記憶している。
あれはひどく暑い夏だった。女学生たちは動員された島で、大人が着る仕事服を支給され、倉庫に連れて行かれた。倉庫には大きなドラム缶のようなものがいっぱい置いてあった。生徒たちの仕事は、これらのものを4,5個ずつ手押し車に載せ、波止場へ運んで船積みを待つ事であった。成長過程にある女の子にとっては、鉄の缶は重く、押すのにも力がいる。けれども、軍人が傍に立って監視しているし、手押し車を運んだ回数が記録されるので、少しも気が抜けなかった。一日に少なくとも13回往復しなければならなかった。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

車は人影もまばらな郊外の大通りを土煙を巻き上げて南嵐(なんれい)に向かって突っ走り、間もなく、ギュギュと音を立て、腰まで埋まるほど伸びた草むらの側(そば)に停まった。もどかしそうに、パッと飛び出した小美野に小林少尉は顎(あご)をしゃくった。
小美野は狭い車中に折り重なっている中国人に、「降りろッ」と怒鳴ってから襟首(えりくび)に手をかけ、引きずり出した。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
金原資料2028点の中には『衛生学校記事』89冊が含まれていますが、これは行方不明の中にあると言うのです。しかし、金原資料を破棄した事実もありませんから、防衛研究所から衛生学校に戻って来てからの資料保管の経過を厳密に調査すれば、出てくるはずなのです。
現在、私達は、裁判で1995年から1996年の金原資料の移管事務を担当した複数の担当者の陳述書を要求しており、近く被告から提出される予定ですし、防衛省の説明責任が求められています(なお次回4月23日は新型コロナのため延期されました)。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

塩素ガスに続いて登場したホスゲン(CG)は、1915年12月19日にドイツ軍によって最初に使用され、現在でも軍用ガスとして活躍しているものである。
イペリットマスタードガス)(H)は、ドイツが1917年7月12日、やはりイープルで最初に使用した毒ガスで現在も軍用ガスとして使用されている。クロルピクリン(PS)は1918年2月25日、ドイツがアメリカに対してホスゲンと混合して使った。PSは極めて低濃度でも検知され、容易に防護できるという欠陥を持っているため、現在ではほとんど戦術上の価値がない。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


昭和天皇の強力な支持に力を得て、東条は9月1日の閣議の冒頭に懸案事項を提出し、他方、東郷は辞任を強要された。閣議が休憩の間に、外務省に戻った東郷のもとに、天皇はこの問題の斡旋のため嶋田繁太郎海相を遣わした。東郷は、妥協案を示したが、東条はその検討を高圧的な態度で拒んだ。こうして東郷は辞意を表明し、昭和天皇は直ちにこれを認めた。同日天皇は東条が(一時的に)外務大臣を兼ねることを認めたソロモン諸島アメリカが反攻に転じているとき、内閣の倒壊は何としても避けたいと決意した天皇は東条内閣を強力に支えたのである。こうした天皇の揺るぎない庇護のもと、東条はその「独裁」を強固なものにしていった。

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小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

「氷河の氷塊が海中に落下している!大変だ。温暖化だ」とプラカードをもって叫ぶ人達には、「1912年4月14日に世界一の豪華客船タイタニック号はなぜ沈没したか?」と質問するだけで充分であろう。4月10日にイギリスのサウサンプトン港から処女航海に出たタイタニック号は、氷山に衝突して沈没したのである。その氷山は、グリーンランドの氷河から、毎年、多数の巨大な氷塊が押し出されてきて、海上を浮遊するものであった。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
ニューメキシコ州での核実験
2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!




JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

細菌戦の系譜!!

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
では、なぜ今回敗訴になったのでしょうか。それには2つの大きな原因があります。
第1の敗訴の原因は、日本の裁判所は極めて政府よりである事です。裁判所が、日本の現小泉政権の中で、いい判決を出すのは難しいということです。
第2の敗訴の原因は、そういった状況にも拘わらず、それを打ち破っていくような、細菌戦の事を日本人の間に知らせていくような運動が、日本の中では弱かったことです。幾人もの弁護士の方が非常に尽力されましたが、彼らは弁護士の中では少数です。この裁判を支援する市民も頑張りましたが、それも少数でありました。それがこの裁判をする上で支援組織の混乱、停滞などを生み出し、結果的には日本の中で大きな力とはならなかったと言えます。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

検察定年、与党が午後採決の構え 森法相答弁へ、衆院内閣委

玉川徹氏、安倍首相の「恣意的な人事はない」発言に「安倍内閣の問題じゃない。未来に対して責任が持てるんですか?」

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

アゼベド事務局長、8月退任 2期目1年残し WTO

早期承認を求めてはいけない新型コロナ治療薬 医師が経験した心苦しい教訓とは?〈dot.〉

抗体調査、1万人規模で実施へ 厚労省、地域で感染の広がり把握

新型コロナ死者30万人超す 1カ月で2.5倍

「財務局の意向で都合良く利用」国有地値引きの鑑定書”否定”で再調査必至

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

事故車両公開に遺族賛否 課題は記憶継承 JR福知山線脱線事故15年


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)





●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2. 印象的なものは。731部隊、#18・19の写真。教科書に載らない、一部の書籍でしか着目されない本当の歴史の一部分に触れられてよかったです。(男、20、市内、偶然)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
9、NHKでこの作品を知りました。「原爆の子」のことは知っていましたが、この作品のことは知りませんでした。デジタルリマスターされ、観るkとができたことはとても幸運でした。ありがとうございました。多くの関わってきた方に感謝したいです。たくさんの苦労があったでしょう。一人一人の思いの強さを感じます。生存者・体験者がどんどんいなくなってしまう今だからできることを、次の世代へ伝えなければならないことはたくさんあるはずです。平和への願いをさらに強くしました。



日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私に「丸太」のことを説明してくれた上司は、最後に「余計な詮索はするな。君たちはそのことについては、知らなくてよい」と釘を刺すのを忘れなかった。
「丸太」は、7棟・8棟に厳重に隔離収容されていた。この7棟・8棟に入れる隊員は、きわめて限られた人数であった。そして、この7棟・8棟(主として8棟)で、「丸太」は様々な実験の対象にされた。そのことを知っている隊員は、自分の家族をも含めて、一切他言無用の厳命を受けていた。
いや、なにも7棟・8棟のことに限らず、部隊内で見聞した事を、外部はもちろん、同僚や家族に洩らすことは、許されていなかった。我々が入隊して必ず受ける最初の教育は、主としてこのことを徹底して叩き込むための、防諜教育であった。731部隊の秘密が、戦後も長く明らかにされなかった原因の1つは、この防諜教育が骨の髄まで元隊員の中にしみ込んでいるからである。


・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

10月末、北満孫呉で原因不明の熱性伝染病が発生し、部隊が調査班を編成して調査を行なったが、班長は渡辺博士で、私も参加を命じられた。孫呉陸軍病院に到着して3週間ほど滞在し、各種資料を収集して研究してみたが、何ら成果は上がらなかった。結論は「多分ウィルスだろう」ということだった。翌年(1940年9月)、再び発生を見た時、安東洪次博士、岡本良三博士の率いる調査班が調査を行なった。8月頃、石井は全部隊に雨下実験に参加する様命じた。雨下実験とは細菌戦術の一種で、飛行機から病原菌を散布することであった。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

うち、①と②については敗戦時に湮滅(いんめつ)されたものがかなりある。今日までに確認されているいるものはそのごく僅かにしか過ぎないが、それでも幅広く資料を分析することでかなりの事が分かって来る(本書で用いた①と②の多くは防衛庁防衛研究所図書館が所蔵しているものだが、それは全て一般公開されているものを使用している)。また、③は、執筆者が後世に残したくないと判断した事実が切り捨てられているという問題がある。このような大きな制約を伴う中での議論の為、おのずから限界はあるものの、これらを集成することによって、或いは重ね合わせることによって判明する事実もある。このような目で引用した諸資料を見ていただきたいと思う。そして、④については、特に吉見義明氏の非常に優れた先行研究に学んだ点が多く、氏が発見された資料も本書では活用されて頂いている。吉見氏によって日本軍の毒ガス戦に関する本格的な研究が開始されたと言っても過言ではない。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
軍隊や工場の労働者は、皆張り詰めて最後の努力をしていたため、現地の役所では竹原女学校、忠海女学校や中学校の女学生たちの動員を始めた。あの時代には、戦争の為に力を出すことは日本人の義務だと考えられており、誰も拒否する権利はなかった。政府や軍隊はこうしたことを十分承知していながら配慮もせず、まだ13,4歳の女の子を危険な毒ガスを扱う仕事に従事させた。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

※午後の陽ざしがようやく西に傾いた頃、2台の自動車が大同大街(だいどうだいがい)を矢のように走っている。前の車には今日の指揮官小林少尉と山垣内通訳、それに憲兵隊司令部の小笠原軍医大尉と土倉衛生曹長が乗っており、すぐその後を追っかけるように、太田曹長の運転する車が走っている。車中には、真っ赤な長靴に日本刀を握った小美野伍長と、ささくれ立った竹刀を押っ立てた桐原軍曹が、後ろ手に縛り上げた中国人3人を踏みつけるように体全体を押えていたが、左腕に巻いた白地に赤の憲兵という2字が毒々しく大きく見える。
《もうすぐだ、俺の腕がどんなものか見せてやる》―小美野は出発前に太田や桐原から、「いくら剣道3段でも人間は巧く(うまく)斬れまい」と言って笑われたことに無性に腹が立って仕方がなかった。と、ともに、斬り損じてはという不安も加わって、いらいらして落ち着かない。


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
その金原資料は1995年に全てが防衛研究所に移管されその時点で金原文庫は廃止されました。
しかし翌1996年に防衛研究所は欲しい資料だけを取って残りの金原資料前部を再び衛生学校に戻してきました。
現在、被告国は裁判の中で、当初の金原資料2028点について、防衛研究所が「金原節三業務日誌」17冊の現物など64点を保管し、衛生学校の彰古館がタイトルが一致する資料641点を保管し、合計約3分の1の所在は判明しているが、それら以外の約3分の2は行方不明だと主張しています。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

また、本格的な初期の化学兵器として最も代表的なものは、“ギリシャ火薬”といわれる強力な焼夷剤で、窒息性の煙を生ずる兵器であった。兵器の化学的組成などは分っていないが、硫黄、石油、ロジン、れきせい、生石灰及び多分硝石を含んでいたと思われる。
インディアンは、有毒なつたに魚油をしみ込ませたものを燃やして毒ガスを発生させたことが記録されている。
しかし、何と言っても化学兵器が飛躍的に開発されたのは、第1次世界大戦を契機としてであった。化学兵器の草分けともいうべき塩素ガスは、今では主として訓練用として毒ガスの末席にとどまっているにすぎないが、それは毒性のより強い化学剤が開発されたためであって、塩素ガスそのものが毒ガスの看板を下ろしたわけではない。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


昭和天皇や東条首相にとって、ガダルカナル戦の当初1ヵ月間は、政治危機の時期でもあった。数力月にわたり、陸軍は台湾、朝鮮、樺太を除き、東南アジアならびに中国における全占領地域を管轄する大東亜省を新たに設置しようと画策していた。東郷茂徳外務大臣は、この計画に同意せず、陸軍にさらに政治的な権限を与える決定に妥協することを拒否した。さらにミッドウェーでの海軍の敗北、ガダルカナルの戦いについて知っていた東郷は、十分な戦力増強に失敗したことを理由に、ひそかに内閣改造を望んでいたのかもしれない。1942年8月29日、東条内閣の星野直樹書記官長は、陸軍としては次の閣議で大東亜省を設置する予定であると伝えたが、東郷はこれを固く拒んだ。このため、東条は天皇に状況を説明するために参内した。昭和天皇は、東郷の倒閣の試みを直ちに押さえ込むことを決意した。東条に関していえば、問題は解決したのである。

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小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

本書でたびたびNHKを揶揄してきたのは、CO₂に毒される前のNHK取材班は、このようにしっかりした知性をもって日本人を啓蒙し、今の取材班のように退化していなかったからである。民放も含めて最近の温暖化報道に従事するテレビ取材班は、ニュース工作班にすぎない。私達に数々の知恵と知性を授けてくれた報道界は、一体どこに消えたのか。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
ネバダ州での核実験


1957年8月7日ネバダ核実験場における核実験(プラムボブ作戦)で破壊された米海軍の飛行船。この飛行船は軍事効果実験のため爆心地点から5マイル以上離れた地点を無人で浮遊中だったが、爆発の衝撃波で崩壊した。


南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130kmにあるトノパー近郊で1Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行うことになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。
928回繰り返された核実験の放射能で、多くの人々がガンになって死んでいるというドキュメンタリーがある。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!




JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

細菌戦の系譜!!

1940年と2020年の東京オリンピック
『ウサギと化学兵器』いのうえせつこ著
731部隊と国立感染症研究所の問題!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
判決は法的には敗訴となりましたが、なぜそうなったのでしょうか。97年に家永教科書訴訟で731部隊のことが731部隊の事が最高裁判所で認められ、部隊が人体実験をしたという事が裁判所で認定されました。その判決は東京高裁で敗けましたが、最高裁判所では勝ちました。なぜ97年には勝ち、今回は敗けたのでしょうか。
まず97年の勝因は、93年から日本の中で731部隊の移動パネル展が行なわれて、日本全国で60か所以上で開かれ、20数万人以上がそれを見て、731部隊の事が日本の中に拡がっていった。これが、97年の訴訟で勝因の1つになったと思います。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

緊急事態宣言、39県を午後解除 新型コロナ、諮問委員会を開催へ

トヨタ衝撃「8割減益」 危機再び 予想あえて公表

学校再開1週間前倒し、「歓迎」「唐突すぎる」両方の声

米専門家、性急な経済再開に警鐘 トランプ氏との温度差浮き彫り―新型コロナ

WHO、新型コロナ「消滅しない可能性」 終息に長い道のり

信頼に傷、総長も黒川検事長も「辞職せよ」 堀田力さん

案里氏運動員、広島地検に説明 「現職地盤崩そうとした」

自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

事故車両公開に遺族賛否 課題は記憶継承 JR福知山線脱線事故15年


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)





●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

22. 全て印象に残った。あまりにも無知であること、知りました。国民に広めること大切かと。有識人になるためには。ダメなものはダメと個人がハッキリ言える日本国民に持っていくこと、これは教育しかない、日本人教育として。(男、70、偶然)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
8、観ることが出来、本当に良かったです。どんどん広まる事を願っています。小学生の頃、原爆の写真集を恐ろしくて見られませんでした。70代になりましたが、今9条を変えようとしている現政府を思うと、この映画がどんどん広まる事を心から願っています。
(女性・70代・市内・朝日新聞



日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

ところで、少し「丸太」について記憶にあることを、ここで書いておきたい。
731部隊に入ってすぐ、「『丸太』1本逃走」という話を耳にした。私は、何のことか分からなかった。不思議に思って、上司にきくと、「丸太」とは、全満から集めた、中国人やロシア人の捕虜・スパイで、全員死刑囚である、との説明があった。もはや彼らは、人間ではなく、単なる実験材料に過ぎず、番号で呼ばれ、1本・2本と数えられることになっているという。「『丸太』1本逃走」とは、安達実験場で、1人の「丸太」が逃亡したことをさしていたのである。この「丸太」は、とうとう捕まらなかったようであった。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

この間私は、超音波装置が設置されていなかったので仕事が無かったが、各種のチフス・ワクチン及び軍医学校のチフス・ワクチンの効果について研究したり、伝研【伝染病衛生研究所】、北研【北里衛生研究所】、衛研【大連衛生研究所】のワクチンと軍医学校のワクチンの効力について研究報告を行なったりした。同時に、江島技師と共同で赤痢本型耐久培養法を研究したが、成果が得られず中止した。この時石井は大量の菌体を要求してきたので、生産班は昼も夜もチフス菌体を大量に生産し続けた。私の記憶では、安東洪次が4,5名を引き連れてこの任務に参加協力したが、菌体の生産は結局失敗に終わった。10月初旬、出動した部隊がノモンハンから戻り、班員から関東軍惨敗の状況を知らされた。特にショックだったのは、防疫給水部が大きな打撃を受けたことである。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

本書の基本をなしているのは、筆者が2001年2月に完成させた博士論文「日本陸軍による化学兵器の配備・実戦使用と陸軍中央」である。この論文は、日本軍の毒ガス兵器の研究・開発・製造・教育・使用・配備・遺棄などについて、拙いながらも包括的な検討を試みたものである。本書は、この修士論文を大幅に整理・加筆すると共に、その後の研究成果や新しい発見した資料などを盛り込んだものである。
ここで本書が使用する資料について触れておきたい。本稿で議論の基盤をなす主な資料群を古い順に記すと、次の5つになる。
①これまでに発掘された日本軍資料
②軍人の業務日誌や業務メモ
③軍関係者の戦後の回想録、兵器研究史・部隊史及び学校史など
④これまでの様々な方の研究成果
⑤筆者が入手した毒ガス関係資料


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
大久野島では、張り詰めた空気がより強烈であった。なぜなら、アメリカの飛行機は既に九州への空襲を頻繁に繰り返していたし、最近はまた「軍艦島」と呼ばれる近隣の契島に対する掃射を行なったので、人々は、いつかある日、あの黒い大きな「鉄の鳥」が大久野島に「お出まし」になるのではないかという不安に駆られていたのである。契島とは違って、もしもB29が大久野島に爆弾を投下して毒ガス倉庫を爆破したなら、周辺に及ぼす影響は計り知れない。日本軍はこうした危険について勿論十分に知っていたから、島で大掛かりな防空対策を講じるよう命ずるとともに、一部の毒ガスを近くの大三島に移すことを決めた。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一

日本鬼子(リーベンクイズ)
軍医の野天解剖
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍特別警備隊2大隊本部

この事件は1940年9月の初旬、新京(しんきょう)憲兵隊長近藤新八大佐の命により市内新発露(シンパーロ)憲兵隊将校官舎付近で逮捕した3人の中国人労働者に対し、私が直接行なった罪業(ざいごう)である。
9月と言ってもまだ、ジリジリする暑さにどんより腐ったような眼つきで新聞を眺めていた特高係長・小林少尉は電話に手を伸ばし、ダイアルを回した。「アッ、大佐殿ですか、この前約束しておいた件、今日やります。都合はどうですか・・・・ハッ、じゃ待ってます」
ガチャリ、受話器を投げ出すと腰巾着(こしきんちゃく)の小美野伍長を呼び出した。「今日、やるから準備だ」と命令した。部屋に帰った小美野は桐原軍曹に、「国民党地下組織容疑者の3人は結局、何も出ないので、いよいよ内緒で処分することになったよ」と、ニタニタしながら腕をさすっていた。
「ハハア・・・・手前(てめえ)、斬る気か、アハハ・・・」太田曹長が馬鹿にしたように高笑いした。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。
①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。
この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に。「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで

生物・化学兵器の歴史は古い。中でも毒ガスといえば、第1次世界大戦でドイツ軍がベルギーのイープルで初めて使用したというように信じられているが、実はそうではない。
毒ガスを戦争に使おうとする試みは、古代からあらゆる国で、あらゆる所で行われていたことが歴史の記録に見られる。最も古いと思われるのは紀元前431年~404年のアテネ・スパルタ戦役である。紀元前428年のプラチアの包囲戦で木材を硫黄やピッチに浸して城壁の下で大量に燃やすという戦術を編み出した。この古代化学戦は大成功となり、以後各種戦闘に進んでこの戦法が利用されるのである。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


ガダルカナルの喪失を招いた陸・海・空での戦闘のたびに天皇が示した反応を、 さまざまな記録から知ることができる。天皇は米軍上陸の報に接したとき、「それは米英の反攻の開始ではないか」と、ただちにその潜在的な危機を察知した。
しかし、原油、ゴムなどの資源の備蓄を着実に増やすには、攻勢を維持しなければならないと考えていた。昭和天皇は、ガダルカナル島の戦いに執着することには疑問を抱いていた。それにもかかわらず、天皇は動員できるあらゆる兵器と兵力を用いて強力な攻勢と痛撃を続けるようにと、ソロモンの司冷官たちを督戦した。杉山は、 一木支隊が事実上、壊滅した後の9月15日、「(ガダルカナルを)断じて確保できることを信ず」と奉答していた。天皇は、陸海両軍が本当にこの作戦を
行う意志を持っているのかどうか疑念があるとして、杉山や永野が自らの言葉を守るように要求した。天皇が圧力を加えたため、ふたりはガダルカナル島を奪還し、確保する決意を固めたが、その結果、天皇がまさにもっとも懸念していた消耗戦に陥ることとなったのである。

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小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

同じ年の『NHK地球大紀行4 恐竜の谷の大異変 氷河期襲来』NHK取材班(NHK出版)、105頁にも同様の記述が出ている。意味がお分りだろうか。本の刊行時の130年前は、引き算すると1857年になる。つまりこの氷河は、2010年現在で言えば、150年以上前から後退(消滅)し始めたのである。赤祖父資料と全く同じ結論になる。どこの図書館にもあるNHKの本なので、読者が万一にも本当に地球を愛していると自分で思うなら、私を信用しないで、自ら本を開いて確認し、自分の意見として他の人に話すようにならなければいけない。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島ビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百~千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

細菌戦の系譜!!

731部隊と国立感染症研究所の問題!!
ある女学生の訴え!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
その後、常徳では更に調査が進められ、地元に調査委員会ができ、どんどん真相が明らかになっていきました。これは常徳に限ったことではなく、中国の各地で生じたことです。法廷で何人もの中国人が証言をし、事実が明らかになってきました。
 判決は、こういった原告の方々の供述は事実であり、十分解し得る説得的なものだと認定しました。そして、判決の日には60人を越える中国人が法廷に来ました。何十万という署名も提出されました。



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え

中国が豪州に「報復」連発…コロナ発生源の調査求められ、食肉輸入停止で対抗か



茨城・愛知・岐阜・福岡、月末待たず緊急事態解除検討 政府、計38県で調整

抗議ツイートに「世論のうねり感じない」 政権側は強硬

ありえない手口で首相が"お友達"を検察トップに! 仰天人事に元検察同期も怒り爆発! さよなら、三権分立

河井前法相、買収容疑で立件へ 検察、1千万円前後配布

抗原検査キットを承認 新型コロナ感染を迅速判定 厚労省


墨田区の病院、感染の入院患者さらに3人死亡…計6人に

川崎病症状、14歳以下が80% NY州に百人、最年長21歳

決算を読む 三重交通グループHD 20年3月期 新型コロナで外出自粛響く 改元など前半好調も減収減益 通期業績予想は見送り

東京都 新たに4人の死亡の報告漏れ

神戸中央市民病院の抗体検査で3% PCR検査の600倍



自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

事故車両公開に遺族賛否 課題は記憶継承 JR福知山線脱線事故15年


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!

河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)





●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

21. 印象的なものは、村瀬写真(ありのままの姿)、日本軍の行ってきたことは知ってはいたが、資料としてみたことはありませんでした。。2020年の平和な日々があたりまえのようであるが、決してそうではないことを改めて実感した。過去の延長線上に今があるということを忘れてはならない。過去を知ってこそ、未来へとつなげていけるのだと思いました。見て見ぬ振りはやめなければならないはずです。ぜひ、続けて、伝えていってほしいです。平和な未来のために願います。(女、50、市内、知人・記事)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
7、今回この映画を見るのは4回目になります。今回は、まだ見ていなかった妻と一緒に来ました。最初見たときは、涙が止まりませんでした。4回目の今回は、より深く戦争そのものについて考えながら見ることができました。戦争は絶対にやってはいけません。現在の安倍政治の恐ろしさ、若い人にこの映画を見てもらわねばなりません。今回24才の娘を誘いました。パンフも見せましたが、一緒に来てもらえませんでした。またいつか娘に見てもらうように誘いたいと思いますので、「ひろしま」の上映活動を続けて欲しいと思います。
(男性・60代・平塚市・チラシ)


日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

 私の役目は、心臓であった。頭部とかその他の臓器は、それぞれ腑分けされて、別の担当者が調べた。私は、心臓を摘出すると、20ccの注射器で、この心臓から血を抜いた。
 このペスト菌の充満した心臓中の血液は、すぐさまペスト菌製造班へ回された。細菌製造班へ行くと、他所とは比べものにならないほど大量のペスト菌が培養されていたものである。それはちょうど、岡持ちのような容器に入っていた。まるで、切られる前の一臼の餅のように、あるいは巨大な羊羹(ようかん)のように見える。そして、このペスト菌の塊りは、餅や羊羹を切るように、切ることができた。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

下級雇員は細井、池田ら6,7名、下士官は小林准尉、相馬軍曹、君島軍曹であった。班の任務は、関東軍が必要とするワクチン、即ちチフス、パラチフス、4種混合ワクチン及び赤痢ワクチン、コレラ・ワクチン、流行性脳脊髄膜炎ワクチンなど、それぞれ60万人分を供給し、3か月保管したのちこれを廃棄し、また新たに製造するというものだった。したがってワクチン班は非常に忙しく、特にノモンハン事件が起こって、石井部隊が防疫給水部の名で約半数の部隊員を出動させたとき、ワクチン班からも4,5名の雇員が派遣された。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

このような問題意識に基づいて本書は、毒ガス戦の実態をめぐる議論だけに終わるのではなく、毒ガス兵器という視点から見た日本軍や近現代日本の姿についての検討を試みたいと思う。具体的には、日本軍による毒ガス兵器の開発や製造・教育の実態、毒ガス製造や訓練に関わった日本の人々の被害の問題、日本の民間の毒ガス防護レベルの低さの問題、なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存したのかという問題、そして、今日まで被害が及ぶ遺棄毒ガス兵器の問題と、毒ガスの歴史が封印されるに至った経緯や歴史資料の問題などを前述の問題意識に立脚して検討する。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
毒ガス島最期の日々
 1945年から現在までに既に50年(本書は1995年発行)が過ぎ去ったが、大久野島の毒ガス工場で働いたことのある人たちは半世紀前の恐怖と動揺の時代を永遠に忘れはしない。日本敗戦前後の数か月間には、アメリカのB29爆撃機が日本本土に爆弾を投下し、戦争の緊張した空気が日本列島を覆いつくしていた。日本政府の発した「本土決戦」のスローガンは、国民の闘志を掻き立てるというよりは、国内の緊張と恐怖をさらに激化させるものであった。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一

私たちがかつ体験した加害者としての戦争体験を訴えることによって戦争の実体を暴露し、あのような過ちを次の世代の人達に2度と繰り返させてはならないという悲願を込め、私達をあのような状況に陥れた当時の為政者ーその残党は今なお健在である―を告発し、現在の為政者に警告を与える。これが本書を世に問うゆえんである。〉
 この視点と行動ーまさに「行動」の名に値する行為こそが、真の反省であり、真の謝罪なのだ。
「反省なき民族」としての悲しき「特有性」の中で、このような行動が「稀有」でなくなる暁には、わが日本人も地球上で他民族と遜色なく肩を並べることができるだろう。
真の反省。真の謝罪。真の行動。それが見事に実行されている本書の筆者たちに心底からの敬意を表したい。「反省なき民族」が変る日が来るかどうかは、このような芽が大きくなるか、潰されるかにかかっている。
1982年7月20日(北海道・日高にて)
*この文章は光文社版『三光』第1集の「まえがき」として収録された。〈編集部注)


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点
 裁判当初、被告 国は、防衛省自衛隊には衛生学校を含めて『衛生学校記事』は1冊も保管されていないと主張していました。しかし第1回裁判から8か月後の2014年9月防衛医科大学図書館から『衛生学校記事』28冊が発見されました。それでも被告 国は、発行元の衛生学校には1冊も保管されていないという常識ではありえないことを言い続けています。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定
仮定生物剤風下危険距離
なぜならば、この種の作戦による非戦闘員の死傷者は、戦闘員の死傷者をはるかに上回るものであることは、広島と長崎の例が示してくれている。自衛隊の戦闘による死傷者の見積りは、常に一般の国民の被害は除外されているのが現実であり、それがなぜあるかということを我々は考えなければならないだけでなく、そこには自衛隊のいう「防衛とは何か」という基本的な問題がでてくるのである。



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


杉山参謀総長は、米軍の増強を食い止めるためにガダルカナルに、すみやかに部隊を派遣してほしいとの海軍の要請に同意した。しかし、事態の深刻さを理解しておらず、グアムからわずか一支隊を投入したにすぎなかった。
この一木(いちき)支隊(約1500名)は上陸後、3日間で壊滅した。9月初旬、陸軍は再度、小規模な部隊を投入した。パラオから送られた川口支隊(約3000の兵力)は、9月13日、アメリカの拠点に夜襲をかけ、ほぼ壊滅した。さらに10月初旬、南太平洋に派遣されていた第17軍は約2万人の精鋭歩兵部隊である第2師団をガダルカナルに上陸させることを決断した。最初に投入した部隊で生き残っていた者は飢餓に陥っていた。第2師団はこれと合流し、ジャングルのなかにある米軍基地に自滅的な攻撃を2度行った。そして、結果はまたも失敗に終わった。その後、陸軍は第38師団の一部を含むさらに強力な部隊を投入した。

                    "


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か

赤祖父氏の著書に疑いを持つ読者は、むしろ二酸化炭素温暖化論者の言葉を聞きたいだろう。ならば先に紹介したブライアン・フェイガン著『歴史を変えた気候大変動』219頁を見ればよい。赤祖父氏の著書と同氷河後退の歴史図が出ているので驚くはずだ。
 このような氷河後退が昔から起こっている自然現象であることも、私はこれら最近の本を読む前、20年以上前から知っていた。1987年、つまり23年前に出版されたNHK大型企画『地球大紀行6 氷河期襲来』(NHK・開隆堂)の15頁に【図34】のカラー写真が掲載され、51頁に解説文がある。アラスカのメンデンホール氷河は120~130年前には、現在より400mも前進していた。その後、氷河は少しずつ後退してきた、と書いてある。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国マンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!



細菌戦の系譜!!

731部隊と国立感染症研究所の問題!!
ある女学生の訴え!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
6年前に一瀬弁護士らと、常徳に初めて行きました。その時は被害者の方たちとは数人しか会うことはできませんでした。何故かと言うと、常徳の市民が日本人の顔などを見たくもないと言って、会ってくれなかったからです。常徳という町は日本軍によって完全に焼き払われたので、その心情は当然だろうと思いました。私達は次回来た時には、もっとたくさんの人達と話をしたいと言って、中国を去りました。
その1か月後、再び日本の調査団が訪れた時には、1回目よりも多くの被害者が証言をしてくれました。3回目に行った時は大歓迎を受け、裁判がある時に幾人でも東京の法廷に行きます、と言ってくれました。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大

・・・・・・・
自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

野党が定年延長で修正案 「検事総長3年」削除求める 「政府案では忖度発生」

都の死者数19→171変更に加藤厚労相「知らない」 凍り付く予算委、質問の玉木氏「大丈夫か」

10万円給付、窓口混乱 マイナンバー手続き停止も

「検察掌握」安倍首相に怒りのツイート500万件

安倍政権「姑息の集大成」 検察庁法改正案になぜ多くの人が異議を唱えたのか

新型コロナ、安倍政権と専門家会議の「いびつな関係

ロシアの感染者数、1日1万人ペースで増加…制限緩和でさらに拡大の懸念



自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

事故車両公開に遺族賛否 課題は記憶継承 JR福知山線脱線事故15年


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!
河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)





●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

20. 印象的なのは、留守名簿。731部隊の内容が良くわかりました。軍隊になると恐ろしいですね。兵士はかわいそうですね。(男、70、市内、折込み)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
6、10年ほど前にも見たので2度目になりますが、改めて戦争に対する決意のようなものを持ちました。
「継続は力なり」ということを改めて思います。この上映を計画された方々に心から敬意を表します。
(男性・70代・市内・新社会)


日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

私は、2回だけ、解剖の執刀係をつとめたことがある。1回解剖の手順を見学させられただけで、2度目はもう本番であった。身体に比較的ピッタリした白衣にゴム手袋、それにマスクをしただけで、ペスト患者の死体を解剖するのである。
死体は、やや黒味を帯びたと思われる程度で一般の死体とさして変わらない。見よう見まねで喉の下あたりから下腹にかけて、メスで一直線に切り裂く。皮下脂肪、筋肉、胸、腹膜と順に切開して、内臓を摘出する。
ペストには、腺ペスト、眼ペスト、肺ペスト、皮膚ペスト等の種類があった。「丸太」がどのペストで死亡したかに応じて、解剖の重点の置かれ方が、異なった。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)

1939年3月、私は陸軍技手に任じられたが、超音波装置を購入するため、大型発生装置と設計技師を捜していたので、6月になってやっと渡辺博士と共にハルピンの石井部隊に着いた。
着任してから私は渡辺博士の助手になった。その頃石井部隊は、ハルピン南郊の平房駅北で増築工事を行なっていたので、研究室の設備は十分とは言えなかった。その後、渡辺博士はワクチン製造班を指導し、私は彼の班の一員になった。ワクチン班の班長は、最初は増田少佐(のちに南京防疫給水部部長に転任、大佐)だったが、彼が転出したため渡辺博士があとを引き継いだ。当時の班員には中黒軍医大尉(のちの少佐、衛研総務課長。その後南方戦線に転出)、樋渡軍医中尉(大尉に昇進ののち、転出)の2人の武官がおり、文官は私のほか川名技手、千葉技手、石井技手、小林嘱託がいた。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

次に、現代の課題を考えるためにも過去の検証が不可欠であるということである。日本軍が毒ガスという禁断の兵器に手を染めていった過程をひとつのモデルケースをして検討することによって、毒ガスという大量破壊兵器に関する諸問題が浮かび上がってくる。これは同時に、戦争と科学・科学者といった問題や、戦争と民間企業といった問題を考えることにもつながるだろう。そしてまた、戦後間もないころから今日に至るまで、日本国内や中国などで日本軍の毒ガス兵器の発見・被災事件がしばしば発生し、戦争や軍隊とは全く関係のない一般市民や処理担当者がその犠牲になったという問題も現代の私たちが直面している重い課題である。日本軍の毒ガス兵器は今日に至ってもなお怨念のように生き続け、現代の私たちに災厄をもたらしているわけだが、なぜ今日のこのような問題が発生しているのか考えれば、日本軍の毒ガス兵器をめぐる歴史的経緯に突き当たらざるを得ない。日本軍の毒ガス問題は過ぎ去った遠い昔の話ではなく、まさに現代の問題なのである。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第11章 今も続く毒ガスの被害
苦しみ抜いた20年

付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
ここで爆発があったのだ。幸いにもポンプに10㎝の厚さがあったため、そこで爆発の衝撃がかなり吸収され、ポンプ自身は破壊され、一部の設備が壊れたが、けが人は出なかった。すでに10数年前の事であるが、この「不幸中の幸い」の事故に対する船員たちの記憶は生々しい。
時間が経つのが速く、私たちが作業船に戻る時間となった。船員たちに別れを告げるほかない。船はごうごうと水しぶきをあげ、雄大松花江を走る。流れに沿っての航行だから、一層速度が上がった。市街区に近づくと、林立するビル群が目に飛び込み、岸辺のスピーカーからは軽快な音楽が流れ、そぞろ歩く人の姿さえ見られた。しかし、今もまだ船員たちが危険と背中合わせの環境にあることを思うと、どうも気持ちが晴れないのだった。



日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一


さて、前述の富永正三氏は、本書をいま公刊するゆえんを同じ手紙の中で次のように述べている。・・・
≪・・・私たちが到達した認識は、まず自分の犯した罪行に対しては実行者として自らの責任をとる、その上に立って命令者の、またそのような状況を作り出した為政者の責任を徹底的に追及する、ということであった。ここに発表される手記はこのような認識に基づて1955年頃書かれた手記の一部である。私達が帰国直後(1957年)同じ出版社から出した『三光』は読者に大きな衝撃を与え、かつ共鳴を得たが、一面「何という恥知らずなー」という非難と同時に悪質な妨害を受けた。今再びその続編とも言うべき『新編三光』を世に問うゆえんは何か。全世界的に繰り広げられている「反核軍縮」の大きなうねりの中で、わが国では低成長下に財政再建・緊縮財政を唱える政府が防衛予算だけ特別扱いにして大きく突出させて危機感を煽り、一方、映画「連合艦隊」「大日本帝国」等による「軍国日本」へのノスタルジアの喚起、現職の大臣が「金鵄(きんし)勲章ー武功抜群の軍人だけに与えられる」の復活を公言する等の状況にある。一体日本は中国で何をしたか。・・・


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第1 最近の情報公開裁判の動き
また裁判で私達は、衛生学校、化学学校それぞれの担当責任者、関係者の取り扱い体験の供述を出すように要求しました。これで多数の「陳述書」「聴取報告書」が証拠として提出してきましたが、これで様々な問題点が浮き彫りになってきました。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定
仮定生物剤風下危険距離
対抗部隊を例にとっても、CBRの最初の使用は国防省で統制し、一度使用された後は、CBR戦の統制は軍に委任されるよう定められている。
有機化学剤は、無防護人員に対し、即時効果を収めうるため戦術的用法に多く、また、生物剤は、攻撃時機と効果発現の間の遅延の為、戦略目標に多く使用されるように従来考えられてきたが、妥当な遅延効果は、戦術行動においても、作戦と吻合し得る場合、利用できることはいうまでもない。」
しかし、自衛隊の作戦計画はどの場合でもそうであるが、防衛を唯一とし、国外侵略を行なわないという自衛隊の建前から考えるならば、前にも見て来たように、生物・化学戦争を準備し、陸上自衛隊が総化学部隊となりつつある現状を見る時、この作戦によって甚大な被害を被るであろう国民のBC兵器からの防護措置が全くないということを指摘しなければならない。・・



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第12章大元帥の試練


日本海軍のガダルカナル上陸作戦は当初から杜撰なものであり、天皇はこの点を懸念していた。また陸海軍が新たに獲得したソロモン諸島ニューギニア東部―ポートモレスビーへの地上攻撃を始めるための準備が進行中だった―これらの拠点を固めるために陸海軍がたがいの反目を克服して協力することができるのだろうか。ガダルカナルに対するアメリカ陸海空軍の攻撃に、東京の統帥部は混乱した。両統帥部長や作戦課の将校たちは、アメリカの大規模な反攻が開始されることは1943年以後と誤った想定をしていたのである。7ヵ月前、日本が太平洋を越え真珠湾で見事に成功させたのと同じことを、敵が信じられないほどの速さで行うことができるとは、まったく予想できなかったのである。

                    "


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か
これも、北極圏を最もよく知る赤祖父氏の著書『正しく知る地球温暖化』が、各地の実録を写真と図解で示して、徹底的に実証しているので、その結論だけを書くと、アラスカでも、アルプスでも、ニュージーランドでも、グリーンランドでも、氷河の後退が始まったのは、CO₂が大量に排出されるよりはるか前、実に人類がまだ石炭掘りをしていた18~19世紀からである。アフリカのキリマンジャロ山頂の気温は、1年中マイナス6℃であるので、氷河が融けることは無い。記録がある1960年頃から、何の変化も起こっていなし。にもかかわらず、キリマンジャロの氷河が温暖化の為に後退していると大騒ぎする現状に、あきれている。つまり後退は、既に述べた小氷期から温暖期に向かい始めると同時に起こり始めた、かなり古くから続く自然現象である。



●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt)  実施国 重要性
1998年5月11日 シャクティ II 12  インド インドによる初の原子爆弾実験
1998年5月28日 チャガイ-I 9-12?  パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年) 1.5-15?  北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験
2010年11月18日 ポルックス ?  アメリカ合衆国 アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている
2013年2月12日 北朝鮮の核実験 (2013年) 10-45?  北朝鮮 北朝鮮による初の強化原爆実験?
2016年1月6日 北朝鮮の核実験 (2016年1月) 10?  北朝鮮 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある)
各国の核実験[編集]
「核実験の一覧」も参照

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!

細菌戦の系譜!!

731部隊と国立感染症研究所の問題!!
ある女学生の訴え!!
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ビザ発給拒否裁判 1審不当判決
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
小林開さん 映画「ひろしま」を語る!!
核なき世界へ 映画「ひろしま」
南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊・100部隊展

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)


1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る


米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??




この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、
日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄した生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

今回の新型コロナウイルスは、日本軍が遺棄してきたものが影響しているのか、それともどこかで作られたのか?それとも動物を介して新たに自然発生したのか?
作ったとすれば、アメリカが作ったのか、それとも、日本軍の細菌戦に苦しんだ中国が作ったのか、はたまた、ロシアかそれとも日本(又は日米共同)が作ったのか?よくわからないが、世界各国で生物戦の研究がなされていることは確かであろう。
生物兵器禁止条約の署名を日本は1972年にして、この条約は、1975年に発効されたが、日本がこの条約を批准したのは、1982年。なんでこんなに時間がかかったのか?批准されてからも、細菌(生物)兵器は、極秘裏に各国は研究開発しているのだろう??


●細菌戦裁判
資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
(松村高夫慶応大学教授)
昨日の判決は、細菌戦被害者の補償について、日本の国会が責任をもって対処していかなくてはいけないということを指摘しています。これは判決の中で非常に重要な点だと思います。
一方で、判決は、法的には賠償問題は日中共同声明によって解決済みであり、個人の原告の請求権は認めていないとしました。判決は、この被害者は約1万人であると認定しましたが、実際にはもっと多数の被害者がいるはずです。この事も今後具体的に明らかにしていかなくてはならないでしょう。
この訴訟が起こってから5年間、たくさんの事実が明らかになってきました。判決を通して50年前の事実が明らかになったのです。これは大きな成果です。


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦


東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長
【コロナウイルス・4/17追記】永寿総合病院でメガクラスター発生、160人以上が感染・20人死亡、屋形船から感染拡大


・・・・・・・

自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など
コロナウイルス「PCR検査」を遅らせた“戦犯”は?〈週刊朝日〉

帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」に物申す(下)


それともロシアや中国などが研究しているだろうか?
新型肺炎、米メディアが報じた「研究所が発生源」説

生物兵器禁止条約が1975年に発効されたにもかかわらず、その裏でどんなことが起こっているのだろうか??
免責された731部隊員は、戦後、ABCC(原爆傷害調査委員会)に全面協力し、原爆被爆者を治療するのではなく、放射能の人体に対する影響を追跡した。そして日本は、アメリカの非人道的な原爆投下を問うこと全くなく、原子力の平和利用に突っ走った。

新型コロナは「パンデミック」 WHOが表明




●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)



旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




核兵器生物兵器化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
どこの研究所で新型コロナウィルスが誕生したのだろうか??
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
このウィルスは自然発生なのか?どこの研究所がこんなウィルスを開発したのか??それとも日本軍が遺棄した生物兵器が影響しているのだろうか?
もし人工的につくられたのであれば、どこで製造されたのだろうか?アメリカか?それとも中国?、日本?・・・


731部隊が建物を爆破して日本に逃走した後、その近くの村でペストが流行した。100部隊の逃走した時は、鼻疽菌などに汚染された馬を放ってきた。
中国各地に日本軍の細菌戦研究所が存在したのだから、その施設が遺棄した生物兵器はその後どうなっているのか?
中国の細菌戦被害地では、今でも毎年鼠を捕獲してペストの検疫を行っている。日本軍の遺棄した生物兵器がその後も生きていて、いま中国で広がっている新型コロナウィルスや豚熱に影響はしていないのだろうか?遺棄毒ガス弾が多くの中国人を苦しめているように。
重慶爆撃を考える集会

元特捜敏腕検事が読み解く 「#検察庁法改正案に抗議します」大反響の理由

コロナ病床、想定の半分以下 確保済み12県、東京、石川逼迫 厚労省

ペンス米副大統領が自主隔離、報道官の新型コロナ陽性判明-関係者

<新型コロナ>男性1人死亡 5人感染…越谷など 新座の病院で3人感染 自宅などでの療養終了は259人

新型コロナ死者28万人超す 被害拡大、下火にならず


自殺した近畿財務局職員の遺書公開…そもそも「森友学園問題」はどう始まったのか〈dot.〉

福島原発、見えぬ「トリチウム水処分」のゆくえ

チェルノブイリ原発付近で森林火災が発生 放射線量が上昇したとの報告も

事故車両公開に遺族賛否 課題は記憶継承 JR福知山線脱線事故15年


戦闘機は必要なのだろうか???
河野防衛相、F35A視察 空自三沢基地

イージス艦もいらない!!
河野太郎防衛相が訓示 イージス艦「まや」就役

自衛隊とオウムのサリン製造の関係は??情報が漏れていたのでは??
地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村


大竹まことゴールデンラジオ・金子勝・2020-05-08(文化放送)





●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

19. 印象的なのは、万人坑の写真。「万人坑」はすさまじい。人間をこのように扱うことが一体できるのか?
「ミニ講演」:日本での毒ガス裁判の経過が理解できて興味深かった。判決の意味を考える機会が持てて良かった。(女、70、チラシ)


●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報
5、戦争の残酷さ、虚しさに改めてやりきれない気持ちに襲われた。
(男性・70代・市内・チラシ)


日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

2日目、同じ監房に様子を見に出かける。すでに「丸太」は発病している。我々を見つけると、「タイジン、カンカン、プシンプシン」(先生、ここが調子悪いから診てくれ)と訴えかける。
我々は、用意してあった、アルコールを薄めた「飲み薬」や、炭酸粉末を三角袋に包んだ「服用薬」を彼らに与えて、「これを飲めばじきよくなるよ」と言ってやる。「丸太」たちは、喜んでその「薬」を飲んだ。
3日目、「丸太」はすでに絶命している。我々は、脚に車輪のついた寝台車で「丸太」を8棟から運び出し、解剖室に向かうのである。ペストで「丸太」が全滅した監房は、その後徹底的に消毒された。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

山内豊紀自筆供述書(1951年11月4日)
石井は渡辺博士に、ハルピンの石井部隊(731部隊)に行って仕事をするようにといい、私にも同様の要求を出して、石井部隊でさらに研究を進めたうえ、大量生産させようとした。石井部隊がどういう性格のものか全く知らなかったが、一旦石井部隊に入れば辞職するのは難しい、と人から聞いていたので、渡辺博士も私も気が進まなかった。しかし、石井はあらゆる手段を使って渡辺博士をハルビンに転勤させようとし、最後には「もしどうしても行くのに同意しないのなら、軍部の命令で研究に行かせることになるが、どうかね」と言った。渡辺博士は、大連研究所も石井部隊の管理下にあると聞いて、大連なら行ってもいいと応じた。結局、石井が妥協して大連に行くということに同意したが、まずハルピンに行ってほしいと言った。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
はじめに

本書は次の問題意識に基づいて日本軍の毒ガス兵器をめぐる諸問題を検証することを試みている。まず、歴史的事実にの解明という課題である。戦後、日本軍の毒ガス戦の問題は、極東国際軍事裁判東京裁判)での免責と共にその実態が秘匿され、粟屋憲太郎氏(立教大学教授)と吉見義明氏(中央大学教授)らによる新資料発見の報道がなされる1984年に至るまで歴史の闇に埋もれていた(また、同年には松村高夫氏らによって毒ガス人体実験の報告書が発見されている)。これは、この問題がそれだけ重いテーマであるということをよく示していると言えるが、テーマの如何を問わず、過去にどのようなことがあったのかという事実をきちんと解明し、それを歴史の中に位置付けるよいうことは、今日に生きる私たちの役割でもあると私は考えている。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第11章 今も続く毒ガスの被害
苦しみ抜いた20年

付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
現在の船員は、既にもう1974年の被害者たちとはすっかり入れ替わったが、私たちの訪問の目的を知ると、1982年にこの船で起こったという砲弾の爆発事件のことを話してくれた。その時吸い上げられたのはもともと普通の砲弾であったが、回転羽とぶつかって爆発を起こした。爆発があった泥ポンプが船倉の中央部に位置するため、被害は惨憺たるものであったろう。私たちが口々に、どんな被害が出たのかと聞くと、船員たちは船倉の巨大な鉄製の泥ポンプの場所へ案内してくれた。




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題




●『三光』     中国帰還者連絡会
「反省なき民族」のために          本田勝一

かつて日本軍に虐殺された当時の様子をさめざめと泣きながら語ったその家族たちに、取材のお礼のあいさつを兼ねて私は感想を述べたが、例えば南京でのそれは次のようなものである。

南京大虐殺が行なわれていた当時、私はまだ幼児でした。仰るように、確かに。“一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対しての直接の責任はありません。本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後20数年過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。日本がまた侵略戦争への道を歩んで行く危険がある時、それを私たちがもし何もしないで傍観しているとしたら、今度は私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を“お詫び”したところで、何もなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。今度取材をした日本軍のツメ跡の報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、1つの闘いになるものと信じます。ご協力ありがとうございました」


昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第1 最近の情報公開裁判の動き
そのため私たちは、当然、全部の『図書原簿』の公開を要求しました。この結果、衛生学校と化学学校の『図書原簿』を計4日間に亘って閲覧し、更に『衛生学校記事』28冊が発見された防衛医科大学図書室も2日間に亘って『図書原簿』を閲覧してきました。
勿論衛生学校や化学学校の『学校記事』は隠されていましたが、当然にあるはずの『学校史』関係書類が図書原簿に一切掲載されていないことが分かりました。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1

金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定
仮定生物剤風下危険距離
これまで見て来た、生物・化学兵器による死傷見積りは、『化学学校記事』に掲載された安達論文に負っているのだが、この論文の「結言」は、自衛隊と生物・化学戦争に対する考え方というものを端的に示していると言えるようである。
「以上、記述した化学及び生物兵器は使用上の諸問題は、現代においては、核戦と非核戦とを問わず、如何なる作戦環境にも効果的に適用される事項である。
致死或いは不能化学剤及び生物剤を保有する国家は、化学剤及び生物剤使用の決心を国家政略に関する事項としており、決心がひとたび下されたならば、その統制は指揮系統を通じて付与される。・・・



第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



第12章大元帥の試練


翌8月7日、南西太平洋方面の司令官、ニミッツ提督とマッカーサー元帥指揮下のアメリカ軍は、防衛が手薄となっている日本軍の南方の拠点に最初の限定的な反攻を開始した。1万9000名のアメリ海兵隊は2つに分かれて、ツラギ島と隣にあるガダルカナル島に上陸した。赤道からさらに10度南下したソロモン諸島南端にあるガダルカナル島近くのサボ島沖で、海戦が起きた。日本海軍は砲撃、雷撃によりアメリカ艦隊の重巡洋艦4隻に沈没させた。ガダルカナルをめぐる陸上、海上の戦いは6ヶ月にわたって繰り広げられ、海軍航空隊に回復不能な損害を与え、太平洋戦争の最初の重大な転換点となった。

                    "


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争

憲法9条を生かそう!!



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書
第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

南極の氷と氷河は大丈夫か
それで、北極も大丈夫だと分かってくると、今度はどこかに問題がないかと、ようやく捜し当てたのが氷河で、ここ数年、報道番組のキャスターたちが氷河は大丈夫かと騒ぎ始めたのである。自分の過ちを正さず、話題のネタ探しに忙しい人間達だ。

『Nスペ』より『モーニングショー』が信頼できる?岡田晴恵教授と玉川徹が国の専門家会議に注文した件


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt)  実施国 重要性
1960年2月13日 ジェルボアーズ・ブルー    70  フランス フランスによる初の原子爆弾
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ  50,000  ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596            22  中国 中国による初の原子爆弾実験
1967年6月17日 実験 No. 6       3,300  中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600  フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ 12  インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43  インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt~45 ktの間で議論されている)

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)


「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】


●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future



核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!~土岐市核融合科学研究所 重水素実験について


原発化石燃料発電→再生可能エネルギー発電の増加
【金子勝の言いたい放題】NO5 世界は電力タダの時代に エネ転が拓く経済転換(飯田哲也さんと) 20191230


日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??
国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)


●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!



JCOの臨界事故


福島第1原発事故


核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病



731部隊(unit731)


昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!