731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会


隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

 

 



 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)

 

           被服支廠キャンペナーズと喋ろう
 
 
                 【日航機墜落事故の真相】
 
今の日本の実態!!
 

 

 

9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
 
パワーポイント資料

 

 
 

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)


 

 

 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報

 

新年式

1929(昭和4)年1月4日(金)午前10時より所長室に於いて

新年式を挙行す、所長代理二木教授より年頭所感

を述べられ次いで一同食堂に移り盃を挙げて

研究所の将来と所員の健康とを祝福す、11時散会。

 

1928(昭和3)年12月中職員異動報告

 

昭和4年1月7日

11月30日 依願伝染病研究所血清製造研究業務嘱託を解く

      井口幾二郎

同    伝染病研究所血清製造研究業務を嘱託す

      島崎正雄

 

12月1日  陞敍(しょうじょ)高等官三等

        教授  佐藤秀

同     陞敍高等官五等

        助教授 小島三郎

 

11月11日  医学博士の学位を授与せらる

        嘱託  岸野茂樹

 

12月26日  医学部兼勤を命ず病理学の研究に従事すべし

 

         教授  宮川米次

 

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第2部

第1審判決に対する原告団弁護団の怒りの声と控訴審の決意

 

第1章 原告団から

正義を求め勝利までたたかう

 

            張曙(原告、浙江省義烏市)

 

私は、浙江省義烏市から来た原告代表の張曙と申します。

今回の判決について本当に怒りで胸がいっぱいです。私は今まで生きてきて中で、これほど怒ったことはありません。今まで嫌なことはたくさんありました。刑務所に入れられたこともありました。それでもこれほどの怒りではありませんでした。判決を聞いて、人生の中で一番怒りました。全く条理がない。こんな酷いことは日本政府にしかできません。

 裁判所は細菌戦の事実を認めたのに原告敗訴の判決をしました。これは日本政府の責任をとらないという態度の表れではないでしょうか。このような考え方は、日本政府がアメリカ政府に9・11のテロ事件の犯人を全面的に許してやれと言っている様なものです。

 

 

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

 

二月二十三日

午前六時半起床 七時五十分射撃の為に射撃場にゆく 四日の大隊射撃競技会の予行なり 第六十三列車にて遼陽分遣上番す 巡察 第二八一列車にて張台子煙台間第十八列車帰隊

ハルピンの情景を聞く 零下十度 晴 風あり 非常に冷たし

今日は射撃があるんだ 久しぶりに照間から照星を見た。守備隊の軍人だから仕方ないさ。

遼陽分遣に上番する前に行ってくるんだ。昨日に引き換え今日はまたなんという冷たさだ。

 

 

    

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅

 

 

 

 

 

  僕は広島日赤病院を訪ね、日赤院長を兼務する重藤文夫原爆病院長と向かい合っている。院長はあの日の一週間前に広島へ赴任したのだった。そして院長は電車を待つ行列の最後尾で被爆し、傷を負った。それは軽い怪我だった、ともかく院長は自ら病者であるわけにはゆかなかった。病院前の広場には何千人もの死体が積み上げられ、毎日、病院の庭でそれが焼かれた。瀕死の人々の治療には、やはり傷を負っている医師と看護婦たちを指揮して働き続けねばならない。しかも病院そのものが徹底的な被害を受けているのである。重藤院長は大柄で朴訥な農民的な風貌と太く率直な声を持った、おおらかな行動家タイプの人間だ。院長は凄まじい働きぶりを示したに違いない。しかも、彼は着実な直観力を持って、この不可解な爆弾を追求してもいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

解説ー細菌戦(森正孝)

防疫と細菌戦

 戦争医学(軍陣医学)は、こうした戦時病からいかに味方兵を兵力として維持するか、戦疫患者をいかにして回復させ再び戦場へ送り込むかを目的としている。まさに“防疫”が戦争医学の中心課題であり、それ故、その活動も戦場の後方に限定されたものでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」

 

長島玉次郎自筆供述書(1954年6月10日)

 

1944年11月下旬、東安憲兵隊本部において、憲兵隊長上坪鉄一中佐は 平陽分遣隊長曽場中尉、鶏寧分隊長宮崎大尉、憲兵隊本部戦務課長長島中尉を招集し、 平陽、鶏寧における、以前から偵察していた「鵜飼工作」という名の「ソ連赤軍諜報部組織工作」の中国抗日地下組織鎮圧を画策した。

 私は憲兵中尉、東安憲兵隊本部戦務課長の資格で此の陰謀活動に関与し、隊長上坪鉄一中佐の命令の要点を記録すると共に、陰謀実施計画を起草、さらにそれを印刷し各分隊長に配った。その結果、

1、1944年11月下旬、 平陽、鶏寧地区において、 平陽分隊長曽場中尉が中国抗日組織の中国女性工作員張玉環及び住民男子5名を逮捕した。鶏寧分隊長宮崎大尉は鶏寧地区において中国抗日地下組織の中国人(男)5名を逮捕し、1か月余り監禁した。尋問の後、隊長上坪鉄一中佐は中国抗日組織の責任者張玉環(女、25,6歳前後)及び中国人男子5名を、ハルピンの石井部隊に送って細菌実験に供するよう命じた。残りの者は釈放された。

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

2 日本陸軍の毒ガス兵器製造工場

 

アメリカ軍資料からの製造量の分析

 一方、曽根兵器製造での各種ガス弾の総生産量は、各種「あか弾」112万Ⅰ9Ⅳ0発、各種「きい弾」47万5966発、投下「あか弾」8035発、投下「きい弾」6685発であり、以上計161万2626発になる。ここに曽根兵器製造所設置以前に忠海兵器製造所で製造された3万3700発の投下みどり弾を足すと、総生産量は164万6326発となる。敗戦時に忠海・曽根兵器製造所周辺の貯蔵所に残存していたガス弾は約9万発なので、これを差し引くと、約155万発が国内外に配備されたことになる。

 以上が吉見氏の研究で明らかになった生産量である。しかし、アメリカ軍資料には、「ちや弾」「あを弾」「あをしろ弾」「みどり弾」「みどり棒」「代用あか筒」(内容は催涙性ガス)などの生産量が記載されていないので、完全な集計とは言えない。実際には更に多くなるはずである。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

 

訳者あとがき(山邉悠喜子)

 

 当時の理屈から言えば、東北はつまり偽「満洲国」のこと、全中国を日本が手に入れるための補給基地だ。いくら侵略でも毒ガスを撒く訳がない。つまり私の「侵略」に対する認識がこんなものだった。そして、私の気持ちの中に「信じたくない」が、あったのだ。

 調査でハルピンに滞在していた時、『減災報』を見た。敦化にある遺棄毒ガス弾の現状を訴えたものだ。私達は是非記者に会いたいと思い、北京に帰り着いて、早速歩平先生と金雷記者に面会を求め、敦化への道案内を頼んだ。思ったよりずっと若いこの記者は快く私達の申し出を引き受けてくれた。

 敦化庁は、地面の凍る1月の末日を待って実現した。

 

 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

 今まで多くの中国の農民を逮捕して拷問する時、いつも決まって聞くのはこの言葉であった。私はこの言葉を聞くたびに無性に腹が立った。

「中国に好農民が1人でもいるもんか、この馬鹿野郎ッ」私は男の鳩尾(みぞおち)のあたりを棍棒で突き飛ばした。「ウウン・・・」男は低いうめき声をあげ、グルリと半回転して大地にパッタリ倒れた。この時、高橋伍長が息を切らして駆けてきた。

「原田兵長、どうしたんだ」「なあに、この野郎が急に逃げ出したもんだから、ひょっとすると大した代物かもしれんよ・・・ハハハ・・・」2人の無気味な笑いが夜の静けさを突き破って、あたりの山にこだました。

「原田兵長、もう部隊も来るだろう。とにかく次の村まで連れて行って、ゆっくり荒治療しようじゃないか」私はうなずいて男の両手を後ろ手に縛りあげ、引きずり起こした。「歩けッ」私が後ろから男の背中を棍棒で強く突き飛ばした瞬間、男はよろよろと前にのめりそうになったが、両足でぐいと大地を踏みしめ、体を支えながら、ぐるっと後ろを振り向き、憤怒のこもった瞳を持って、ぐっと私を睨み返すと、そのまま大地をしっかり踏みしめ、大股に歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

 こうしたは背景の下で、既に1960年代の自衛隊の中では、「CBRChemicai,Biological,Radioactive 化学・生物・放射能)戦」を準備することの重要性が公然と強調されていました(この点は、冒頭に紹介した奈須さんの「衛生学校における生物戦隊の創設とその挫折?」に詳しいので是非ご参照ください)。

 最近の自衛隊の生物戦に関する動きを見ると、2000年5月より、自衛隊は部外有識者からなる「生物兵器への対処に関する懇談会」を開始し、翌2001年4月には防衛庁長官に「生物兵器への対処に関する懇談報告書」が提出されました。

 これらを踏まえ、同年5月防衛庁は庁内に「生物兵器対処に係る連絡会議」を設置し、運用面の観点から生物兵器対処に係る基本的考え方を整理し施策の全体像を示す検討を開始しました。

 

 

 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」

 


 

 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

1、生物・化学兵器を告発する

 

禁止への努力

国連の告発

ウ・タント報告書

 だが、英国案は、「化学兵器の一部は暴動鎮圧など合法的、平和的な目的に使われているので、全てを禁止するのは非常に困難」であるとして、生物兵器を主に取り上げるにとどまり、化学兵器については「制限措置強化のため善意を持って交渉する」としているように、そこには日本政府が催涙ガスを「毒ガスではない」とする見方と基本的には通じるものがあり、この種の条約のもつ基本的脆弱性が早くも見えている。

 

 

昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 日本の指導者たちは、トルーマン政権が、原爆投下とソ連参戦という恐るべきふたつの衝撃よりも先に、天皇の地位の保全を「明示」していれば、もっと早く降伏したのであろうか。おそらく、降伏はしなかったであろう。一方で、彼らは国体が内側から破壊されることを防ぐために降伏していた可能性がある。最初の原爆投下とソ連参戦により昭和天皇、木戸および他の宮中グループは、戦争継続はまさに国体の破壊をもたらすと感じていたことを示す証拠がある。彼らは、民衆が厭戦気分にみち、戦意も沈滞していることを、そして軍と政府に対する民衆の反感が増大するにつれて天皇自身に対する民衆の批判も急速に高まりつつあることを知っていた。詳しく述べるならば、木戸と昭和天皇内務省の治安報告に目を通していた。同報告は、全国都道府県の知事、各都道府県の警察部長からの情報に基づいており、民衆が戦況の悪化に責任がある無能な指導者として、天皇に言及し始めていることが明らかにされていた。

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

原発がなければ停電するか?

 更に2007年7月16日に新潟県越中地震が起こると、わずかマグニチュード6.8という中地震で無様にも内部が大崩壊し、土台が揺らいで巨大な変圧器が火災を起こすと、大事故寸前まで突っ走り、「世界最大の原子力発電所」柏崎苅羽原発7基の原発がすべてストップしてしまった。その後、東京電力は、全く停電を起していない。

 

 中部電力浜岡原発は、最新鋭の5号機が2008年度まで4年平均のフル稼働率がわずか61%のところへ、2009年8月11日にマグニチュード6.5のごく小さな駿河湾地震が起こると、お盆の帰省時に東名高速道路の崩壊と共に、原子炉が想定を超える大揺れに見舞われ、真っ青になって停止したまま動かなくなった。名古屋を中心とする中部経済圏では、その後、全く停電を起していない。日本全土が送電線の電力網で結ばれている現在、落雷のような突発事故がない限り、停電など起こるはずがないのである。

  

 

 

 

 

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 

 

 

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。

 

 

 

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

 

 
 

 

 
 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!