731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

WHO 新型コロナの調査チーム 14日に中国入国へ 中国政府発表

「国や医師会に憤りを感じる。このままでは医療崩壊だけでなく“居酒屋崩壊”だ」緊急事態宣言の再発出を前に、厚労省の元医系技官が訴え

 

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―

 
 
「主権免除」も通用しない!!
 
辻本千春さんが児童文学サークル『にじゅうまる』第26号に「父は獣医師だった」を投稿されました。下記からダウンロードできます。。(3月9日までダウンロード可能)
 

 

 

 
 
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731細菌部隊と帝銀事件との真相1

 

犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答

 
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん


安倍は起訴だ!!

 

蓮舫氏、領収書再び提示拒否の安倍前首相に「小さい判断ですね。やましいのですか?」

リニア反対!!

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

 

「人骨問題と731部隊
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
 
 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本

 

 

 
 

終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

 

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

 

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲悪魔の飽食

 

 

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)

 
 

「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー

 
 

 

中国侵略史から学ぶもの

 

『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

 

きちんと事実を認め、謝罪しない??

 

 

黒井秋夫講演会

 

PTSDの日本兵と家族の交流館

 
 

・多様性をどのように日本に取り入れる?

 



 


 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

=福見秀雄=

-------(引用ここまで)--------

 

自分の公表した論文の内容についても、平気で知らぬ存ぜぬとウソをつく、シラを切る。
このやりとりだけでも、彼の人格がよくわかる。

 

 

福見は1980年に予研を定年退官後、長崎大学学長に就任した。
凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の関係者が国立大学学長に就任とは悪夢のような話であるが、事実である。

 

これが日本という国なのだ。

 

公益財団法人・黒住医学研究振興財団は、毎年、優秀な医学研究者に福見秀雄賞を授与している。
受賞者は誇らしげだが、福見秀雄の経歴を知っているのだろうか。

 

 

福見が長崎大学学長に就任した年に、教え子の長瀧重信氏が長崎大医学部教授に、のちに医学部長になっている。長瀧教授の教え子が山下俊一教授、その後輩が高村昇教授である。

 

山下教授が福島原発事故直後に福島県は世界最大の実験場」と発言して大ひんしゅくを買ったが、こういった人脈、歴史的経緯を見れば、どうしてそういう発言をするのか、よく理解できるだろう。私利私欲のため人間を断りもなく平気でモルモットにする人体実験の伝統は、福見が最高責任者として在籍した国立感染研究所(旧予研)や長崎大学において、731部隊からしっかりと受け継がれているのである。

 

極悪非道を行なった人間を責任追及しない、断罪しないから、繰り返し犯罪が行なわれる。
悪が当たり前のようにはびこり、いつまでたっても世の中が良くならない。

 

 

これが日本の慢性的な疾患であり、死に至る病である。
福見秀雄と彼の教え子たちはその典型例と言えるだろう。

 

731部隊に巣食った悪魔は、戦後71年目の現在も、人を変え場所を変え、脈々と生き続けているのだ。

 

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 
 
 

 

 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           
 

 

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 
 
 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 


 

 

 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報

 

雑報

学術集談会

10月20日午後1時より当所内講堂に於いて学術集談会を開催した演題下の如し

1.コレラバクテリオファージに関する研究

        吉積泰君

2.人体に於ける寄生虫の原虫病に於ける

興味ある2.3の近業  宮川米次君

(宮川君の講演の内容は総説蘭に掲出せり)

吉積君のコレラファージに関する実験成績を左の如く総括す

 

6、4株コレラファージは類似弧菌普通大腸菌赤痢菌族(志賀菌駒込A駒込BⅠ駒込BⅢオリジナルフレキシナ―)PB菌PA菌及びチフス菌各ファージはコレラ菌に対し絶対作用せず。

是等の作用範囲を血清学的に観察するにコレラ抗ファージは普通大腸菌赤痢菌族PB菌PA菌及びチフス菌ファージを絶対中和せず。又普通大腸菌赤痢菌族PB菌PA菌及びチフス菌各抗ファージは4株コレラファージを絶対に中和せず。故にコレラファージは其の作用範囲より観るも又血清学的方面より観るも厳密なる種特異性を有するものなり。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

 

1章 中国の弁護士から

8・27判決の意義と限界性

楼献(中国浙江省属弁護士協会副会長、弁護士)

2002年8月26日から9月2日にかけて、中国浙江省弁護士協会陳偉強副会長を顧問とした浙江省弁護士協会支援団一行7人は、731細菌戦国家賠償請求訴訟の一連の活動に参加した。私もメンバーの1人として、3つの事をした。

 まず第1に、8月27日午後1時40分(予定時刻は1時30分だった)、弁護士支援団の代表として、原告と日本の弁護士と共に原告席に座り、東京地方裁判所民事第18部岩田好二裁判長の判決を傍聴した。

 第2に、8月27日午後3時、東京弁護士会館で行われた記者会見の際に、浙江省弁護士協会に所属する4530名の弁護士を代表して支援書を読み上げ、原告弁護団を通じて東京地方裁判所に支援書を渡した。

 第3に、8月28日午後、衆議院第1議員会館第1会議室で行われた、日本の議員、弁護士、医師、教授、マスコミ及び中国浙江省、常徳市支援団等が参加した「731細菌戦の責任を追及し事実調査を求める」国会での集会に参加した。

 

  

 

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

三月三〇日

午前三時半起床 晴 遼陽に行く 騎兵第二〇が内地に帰る為に使役なり。

弐拾八日と同じ様に女給だ又遼陽駅にて 今度は騎兵二〇連隊の内地に帰る兵隊だ 三時半起きて第十三にて行く 内の中隊長が結興委員故に一緒に行く 午前六時半此の喜びをのせた兵隊列車が入ってくる 彼らは二カ年ぶりに帰る満期兵と 此の正月に入った者を乗せて春におどっている。

    

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 そして医学者としての重藤博士が、この夏、直面している課題は、原爆症で死んだ親による子供たちの血液障害の問題である。赤ん坊を残して死んだあの痛ましく勇敢なハイ・ティーンの母親はじめ、この2つ夏の間の47人の死者たちと共に、重藤院長はその問題に向かってなお一歩近づいたのだ。≪次の世代の原爆症の問題≫、この遺伝の問題については医者たちにも被爆者たちにも決してそれに触れたくないという気分がある。しかし法律の援護の窓は開いておきたい、と重藤院長は考える。こうした禁忌の感情を十分を認めた上で、そして調査する者の善き意志を被爆者たちが素直に受け取ってくれるかどうかを深刻に疑いながらも、博士は結局、被爆者の子供たちを洗いざらい調査すべきだという考え方に達しているのである。

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 731部隊に入隊

少年隊としての教育

 

私が配属されたのは、防疫給水部の少年隊です。少年隊には後期の第1期生の先輩がいて、私は2期生として昭和18年4月15年に入学しました。その時の教育部長は園田太郎軍医中佐で、私達の少年隊長は田部邦之助(たなべくにのすけ)軍医少佐です。そこで学科教育を受けることになったのですが、入っていきなり「“軍人勅諭”を覚えろ」と先輩に言われました。私は“軍人勅諭”という言葉すら知りませんでした。京都から来ていた先輩の細川という古年次兵に「入隊式の日はお祭りだが、その翌日からは“軍人勅諭”を言えなかったら半殺しだ」と言われました。“軍隊内務令”“陸軍礼式令”それから“歩兵操典”と言ったものも覚えさせられました。

 軍事学に関するもののほかに、教養科目として英語、ドイツ語、“満州語”つまり中国語、更に数学、物理、化学、生物のちには細菌や防疫給水といった勉強もさせられました。

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

六 第731部隊の各支隊

鑑定書(1956年5月28日)

我々は1956年5月23日、最高人民検察院の要請により、旧日本関東軍731部隊第162支隊少佐支隊長榊原秀夫が所属の部課を指揮して細菌兵器の製造、細菌戦実施準備に関与した犯罪行為の案件資料について鑑定を行った。榊原秀夫案件の尋問記録、榊原秀夫の供述、及びその他の関係資料を詳細に調べ、下記の問題について以下の様な結論を下した。 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第3章

2 国内民間人の防毒訓練

 

市民用ガスマスクの生産

 

これら市民用ガスマスクは内務省防空局の防空研究所で検査を行い、検査証を付したものを販売させるシステムになっていた。日中戦争が始まると、資材の不足により高騰し、定価の約5割以上高くなったという。内務省はより安価な簡易防毒面も設計したが、その分性能は低下した。

 


 

 

 

 

 

 

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

 

 

 

第2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者

 

 

 

 

「毒ガスの王」と「死の露」

 

 イペリットガスは、忠海兵器製造所が最も早くから製造をはじめた毒剤の1つであった。それは、1種の強烈な糜爛性の毒剤で、カラシと同じような臭いを発するので、又の呼び名をマスタードガスという。同時に最も早くこの毒ガスを使用した地点の地名にちなんでイペリットとも呼ばれている。

 この種の毒剤を作っている工室は島の中部よりも南西によった所で、別称A4とA2 の記号で呼ばれる。A4工室はフランス方式でイペリットガス(きい1号乙)を製造しており、一番早く作業を開始した所で、初期においては日産何百キロかの生産量であったが、1937年には日産3トンの大型設備を備えるようになり、この工室は島では最大のものであった。

 

 

 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

強姦

赤ん坊を殺し母親を犯す

 

石田幹雄

兵長

〈略歴〉

1913年 山梨県の中農の家に生まれ、

1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、

1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。

1942年5月末 中国に侵略し、

1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。

 私が服から手を離し、子どもの襟首に手をかけた様子に、我が子の危険を知った母親が両手で我が子をかばおうと気を引き締めるのを、片足で母親の肩を踏みつけ、赤ん坊の背に回された母親の手を捻じ曲げ、生木を引き裂くように力一杯小供の体を上に吊し上げた。ギャーと悲鳴をあげて宙に浮いた赤ん坊が、紅葉のような手を動かしてもがくのをどうして始末してやろうかと思案する私の頭に、昼間見たオンドルの焚き口にかけられて湯気をあげていた中国特有の大きな釜が浮かんできた。

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

2020年12月16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??

 

次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(3)教範から見えるCBRN対応

 

 

  この約10年後、「化学科操典」を置き換える新たな教範が刊行された。それが以下の「陸自教範3-1化学科運用」である。

・「陸自教範3-1化学科運用」(1968年9月)
こちらは「操典」に比べると、内容が整理されている。また除毒という用語に変わって、除染という用語になっている。関係する部隊の種類・編成もシンプルになっており、この間化学関係部隊の整備が進んだことを示している。

 

 

 

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

68年2月の衆議院予算委員会における楢崎代議士(社会党)の質問も、催涙ガスに関連した自衛隊BC兵器装備の実態に鋭く迫っていくわけで、69年8月2日には前述のように「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦についての質問主意書」が出された。

 以下、68年2月の衆議院予算委員会における「自衛隊と毒ガス問題」の質疑を再録してみよう。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

 


昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

その後、GHQは数週間にわたって「封建遺制」や天皇制を攻撃し始めた。1010日には、明治維新より以前からのシンボルだった「日の丸」の掲揚を禁じたが、その一方で、より重要な天皇の治世の栄光を称(たた)える讃歌で、1931年に日々の学校教育の一部となった事実上の国歌(「君が代」)の斉唱についてはとくに制約がなかった。

 1010日と11日、GHQは500人近い共産党政治犯を釈放し、「五大改革」すなわち、女性解放、労働組合の結成奨励、教育・法律・経済制度の民主化を指令した。これらの目標を公表したことで占領政策は新たな局面へと移った。 国民は自分たちの政治や天皇、さらには君主制を批判する自由を獲得したのである。諸政党はほどなく活動を再開した。共産主義者天皇を公然と批判するとともに、10年余りの無益な戦争に関する天皇の法的、道義的な責任問題を追及し始めた。



 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

 

あとがきにかえてー自然エネルギーの展望

 エネルギー問題の解決?

昔の操車場、昔の汽車、皆機械的な道具でありながら、不思議に絵画的な魅力に溢れていたが、現代のものは、どれもメカニックで冷たく、味わいがない。

 自然は、人間が狡猾に利用するためにあるのではない。私達は、自然があることによって始めて、この体と心が生かされているのだ。その恵みは、いかなる言葉をもってしても感謝を尽くせないほど深く、大きい。風景と自然は、それ自体が私たち人間にとって、かけがえのない財産である。胸を満たすこうした美に比べれば、エネルギー問題などは、人生にとって、取るに足らない些細なことである。

 

  2010年7月          広瀬 隆

 

 

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

 

フランス

 

サハラ砂漠での核実験

1960年2月13日 初の原爆実験(ジェルボアーズ・ブルー)。イスラエルの科学者が同席。事実上イスラエルとの共同実験。

1968年8月24日 初の水爆実験。

フレンチポリネシアでの核実験。

1966年から1996年1月までに約200回実施。

詳細は「フランスの大量破壊兵器」を参照

 

 

 

 


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

 
 

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

 
 
 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!