731からフクシマまで

731部隊の免責→アメリカの核政策に追随!!

細菌戦の系譜!! 


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『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 
 
 
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

 


第6回 戦争の加害パネル展

(感想)

5月6日(木)

28、このパネル展には過去何回か来ていますが、毎回、知らないことがあり、自分の無学さ、そして戦争の非道さがつくづく感じられます。始まってからもパネルの修正や訂正をされているまじめなところにも、すごく感心しました。こんな時勢なので、人を誘ってということはむつかしいですが、もっとたくさんの人に知ってもらえるよう、友人に宣伝します!

今の政府ではなかなか…でしょうけど、大変な思いをした人たち、その子孫の人たちが少しでも良い方にいけるよう出来ることをやっていこうと思います。

(女性、50代、市内、ウエブ)

 
 


 
 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 
 
 

 

 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
 
田宮猛雄(たみやたけお)
 
 
 
田宮は731部隊で多くの人間を犠牲にしたことを反省するどころか、戦後も人体実験を続けて得た功績で着々と出世を続け、ついに医学者として最高のポスト、日本医師会の会長まで登りつめる。
田宮委員会は御用医学者として最後の大仕事であり、大勢の犠牲者を出した。
さすがにこれだけ悪事を重ねると天罰が下るようで、数年後、田宮は末期の胃がんで亡くなった。
手の施しようのない状態だったという。
トップレベルのがん専門医を結集させた国立がんセンターの総長でもあった彼にしては、無様な死に方であった。731部隊水俣病の犠牲者の呪いかもしれない。
数々の凄惨な人体実験に関わってきた悪魔のような人間が、最高のポストである日本医師会会長の席におさまる。悪夢のような話だが、これが日本の現実なのである。
残念なことに彼の死後も医学の倫理に反する人体実験の伝統は脈々と受け継がれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?

 

実験医学雑誌第16巻雑報

雑報16巻2号【1932(昭和7)年】

学友会へ寄付

金9円80銭也    山内光雄君

金44円44銭也   小島三郎君

           平山輝夫君

 

1月中職員異動

昭和7年2月1日調伝染病研究所

1.11 昭和7年1月10日付願研究生継続の件許可す       土本重

1.19 昭和7年1月16日付願研究生継続の件許可す       池井新彌

 

 
 
 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

2002(平成14)年8月27日判決言渡 同日判決原本領収 裁判所書記官 伊藤富雄

第1事件・1997(平成9)年第16684号 損害賠償事件

第2事件・1999(平成11)年第27579号 損害賠償事件

口頭弁論終結日 2001(平成13)年12月26日

 

判決

当時者の表示 別紙1の「当事者目録」記載の通り

主文

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

 

 

 

 

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月一九日

署長さんらしき人は言う。ある支那人が読んでいた 大間違いだから没収するんですかと僕は聞いた。この本が出版される前に 日本の手で取り締まるわけにはいかないでしょうか。 

 署長さんらしき人は黙っていた。表紙を1枚めくれば写真がある。四六版の1枚の姿の 驚くなかれ田中義一男のその上には首カイとか首謀とかしてあった。写真は現場のところがたくさんあった。日本の取りたる処置。日支共同調査。満州における日本の現在将来。日本議員の言。軍隊の駐屯。日本の世論。日支条約。満州を属国にしする日本の態度等など上げれば数えきれないくらいあるが 内容は単に排日味を多分に含んだ以外には何物もないことと思う。 

 

 

軍都広島での物語

大江健三郎

ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


0年来、広島に固着している状況は、たとえ100人の正統的な人間群が、それに対抗するにしても十分とは言えない苛酷な状況であった。しかし、それでもなお、全く勝算のない、最悪の状況に立ち向かい得る存在とは、やはり、このように正統的な人間よりほかにはない。僕は、重藤文夫博士に、その正統的な人間の一典型をみるものである。

 

 

 

原爆初動調査 隠された真実

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

解説ー大連事件(西野留美子)

平房の731部隊跡には、「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」があり、731部隊の記録を展示している。1995年に新館建築が完了し展示品はそこに移されたが、それまでは731部隊本部2階の、かつて石井や北野部隊長が執務していた部屋と、その真下の1階スペースが、陳列館事務室と展示室になっていた。1995年迄この陳列館の館長をされていた韓暁氏は、長年にわたって731部隊に関する調査を続けられてきた、以下は、韓暁氏がまとめられた大連事件の概要部分の抜粋である。

 

 ●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

2 吉林

小美野義利供述書(1954年9月8日)

問:どのよう暗重大な危害を与えたか詳細に述べよ。

答:1940年9月中旬、私は新京憲兵隊本部特高課情報班員伍長として新京憲兵憲兵大佐近藤新八の命令により、新京憲兵分隊の逮捕したいわゆる違法窃盗犯の中国人労働者3名(男)を、特高主任・憲兵少尉小林藤平治の指揮で同僚の太田・桐原軍曹、山恒内通訳、憲兵隊司令部軍医大尉小笠原武、衛生曹長戸上と協力して、分隊拘留所から新京郊外南嶺の日本軍演習場付近の既に穴の掘ってあった場所に連行した。小笠原はその内の1名の被害者に対して静脈空気注射及び毒薬実験を行なったが、数分後にも効果が現れず、異常反応も見られなかった、そこで小笠原の暗示を受けた小林は、私に「斬れ」と命令した。その時私と他の同僚は近くに立って被害者を監視していたが、命令を受けて、直ちに持っていた日本刀で前述の3人の首を続けざまに切り落とした。その後、小笠原は準備していた器具を使って被害者1名の死体を吊るし、胸部と腹部を切開し、約1時間ほどの検査をし、肝臓を取り出した。

(1)119-2、417、1、第4号

 

訳注:小美野義利氏の前記証言に関しては、同氏の「日本鬼子―軍医の野天解剖」(中国帰還者連絡会編「新編三光』第1集、光文社1982年)を参照されたい。

 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 

Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用

華中での使用

 6月30日の沢田軍司令官の日誌には、毒ガス戦将校が、大洲鎮付近での使用は顕著な効果があったとしたうえで、「あか筒」だけでなく、「殺傷効果」があるものを使いたいと報告していたことが記されているが、これに対して沢田将軍は「之は中央が大決心して定べきものなり。即ち、全戦界に亘り瓦斯戦の惹起を覚悟して定べきなり」との意見が記されている(沢田茂「陣中記録」第3巻)。つまり、それは大本営が判断すべきことであり、しかも世界大戦の最中なので、日本軍による致死性ガスの大々的な使用が波及して全世界的な毒ガス戦をもららす事になるのではないかと憂慮している。

 尚、中国軍がくしゃみ性・嘔吐性ガスを使用したとも日記に記されているので(同前)、これが事実であれば中国軍も若干の毒ガスを使用していたことになる。

 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

 

共同の人体実験

 

 

この両部隊の連携は撤退前の1度だけではなかった。これより数年前、既に彼らは共同で人体実験を行っていた。なぜならば、日本軍は化学兵器を研究製造した後、一方では戦争中の実際の効果を点検する必要があり、他方では自己の軍隊の防護方法を研究する必要があったからである。この2つの目的を実現するには、人間を実験対象にすることが必要だった。これらの実験対象をどこへ探しに行けばよいのか。勿論、実戦を利用するのが1つの方法である。



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討

上級将校の罪行

 

野間栄作

少佐

 

第3日は張坊鎮から来た300名の人夫を使って、前日集積した糧秣を袋詰めにさせた。

「コラ、称公(エイこう・・・中国人の蔑称)快々(早く)でやれ」

と鞭を持った下士官が怒鳴って回る。搬出に狩り出されてきた農民は、気の進まない顔つきで粟の穂を少しずつ袋の中へ詰めている。横で見ていた兵隊が、農民の所に近寄り、ゴツンとげんこを食わせて、

「ヤイ、この野郎、早く詰めないと日が暮れるぞ、こうやるんだ」

と怒鳴ると、農民に袋の口を持たせ、両手を抱えた粟の穂を袋の中に押し込み、泥靴で上からぐんぐん踏みつけた。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●第31回『衛生学校記事』情報公開裁判
10月21日(木)15:00~103号法廷
 
●第20回『化学学校記事』情報公開裁判
11月10日(水)11:00~703号法廷
 
 
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 

日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

3 外交機密の生態

戦争を誘う秘密外交

外務省が年間作成する文書は、70年を例にとると電信を含め約35万件、そのうちほぼ20%が「極秘」で、20%が「秘」であるという。これらの秘密が国家公務員法、外務公務員法あるいは刑特法によって守らているのである。71年2月25日の衆院内閣委員会で山中貞則総理府総務長官は、次のようなエピソードを語っている。沖縄で住民の陳情を米側に取りついだところ、話がついて村長から感謝電報がきた。そのあと外務省から回ってきた文書には「どうやら許可になる模様である」とあり、「極秘」となっていた。村長さんの電報と同じものが「外務省を通ったら極秘になるのかいなと思って首をひねったこともあります」というのである。外務官僚は官僚のなかでももっとも特権的・貴族的体質をもっている。それが秘密主義の土壌となっていることも確かだが、外交機密の核心は国の進路、国民の運命を決定するものであることを見失ってはならない。あらゆる帝国主義戦争は秘密外交から生まれたのである。

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

1 自衛隊の基本戦略

生物・化学兵器自衛隊における位置

アーカンソー州にあるパイン・ブラフの陸軍化学兵器基地では、毒ガスのの研究が進められており、最近では放射能剤を使用した兵器(核融合反応によるエネルギーの応用でない)や、人間の生殖機能を完全に破壊したり、生きながらの廃人にしたりといった兵器の研究もすでに実用テストの段階に達しているとさえ言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

これより先、GHQは国の内外、そしてGHQ内部でも起きていた批判に対応して、天皇の巡幸について再検討を始めていた。民政局のポール・J・ケントが中国地方の巡幸に同行を命ぜられた。12月16日付のその最初の報告は、100人にもおよぶ役人や随行者と「列車に、田舎ではバスや自動車に席を提供されて・・・・ 天皇のどの旅程にも付き従う無数の新聞・雑誌記者、カメラマン」からなる大規模な巡幸団について述べている。彼は「この支持者の大群、腰巾着、当番兵、執事」を、地方自治体と私企業による巨額の経費負担の観点から非難した。彼は次のように続ける。

 天皇の一行が通過する通りはほとんど新しく改修されている。・・・・ (そして)彼が立って水田や畑を見る場所には床が張られ、天蓋でおおわれている。花と木の枝で飾られた柱、門、アーチが、広場や街角の入り口、橋のたもとなどに立っている。彼が手を触れる手すりには布が巻かれ、歩く道には例外なく敷物が敷かれている。これらすべてを考えれば、財政危機の瀬戸際に立つ国としては到底正当化できない・・・役に立たない目的に供される企てのために巨額の金額を費していると結論せぎるを得ない。

 

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 

核実験の種別


 

 

核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

4.水中核実験 水面下で行われる核実験であり、実施には船舶やはしけ(これらは実験時の爆発で破壊されてしまう)が用いられる。この実験の目的は、水中核爆発の艦船への効果(クロスロード作戦等)と、艦船用兵器(爆雷や魚雷)への核兵器の転用可能性を検証することである。しかし海面近くの核爆発では、放射性の水及び蒸気を大量に拡散させ、近くの艦船や建物を汚染してしまう。

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!