●処理水放出反対!!
IAEAも原子力規制委員会も原発推進機関だ!!
「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
私の魚はあなたの魚
【声明】処理汚染水の海洋放出決定に抗議する
「十分な理由がある」 中国外務省、日本からの輸入水産物の全量検査を正当化 福島第一原発の処理水放出めぐり
福島原発事故10年、汚染水を海に流さないで! 原発もうやめよう!
「汚染水放出反対」釜山の市民団体が訪日へ 韓国南部の海上では抗議行動
「これ以上、海を汚すな!」 原発汚染水海洋放出に世界各地で「反対」の声
処理水の放出反対 日韓最大野党の議員らが声明 立憲内からは懸念も
日本に渡っていった韓国野党、ついに「IAEAは国連の傘下ではない…新しい機構必要」
香港政府、処理水放出なら「10都県からの水産物輸入禁止」…中国と足並みそろえる
処理水報告書「中立性欠く検証」 韓国野党、IAEA批判
「サンモニ」目加田説子氏、福島原発処理水を「汚染水」と表現 IAEAの行動「政府手助けに見える」
今さら聞けない「汚染水」のホントとウソ、まとめました
社民党議員 処理水放出反対の韓国野党と連携
処理水の海洋放出に反対 宮城県議会が全会一致で可決
「処理水放出に反対」、福島県の漁業団体が4回目の決議…日本国内の世論は
原発推進反対!!
次世代原発、三菱重工が統括へ…高温ガス炉・高速炉開発を主導
ハンセン病 療養所に残されている解剖記録 詳細な分析実施へ
トランスジェンダー “女性用トイレの使用制限”違法 最高裁
50代の海将補 複数部下にパワハラ 停職2か月の懲戒処分 防衛省
旧優生保護法 いきさつなど調べた国会の報告書案まとまる
記録の廃棄「率直に反省」 最高裁長官、全国会議で
陸上自衛隊 “性被害” 裁判 元隊員5人中4人争う姿勢
旧ソ連ブロックにひび ベラルーシ核配備に批判―廃絶訴えるカザフ
東京医大入試 “性別で減点” 一部原告に賠償額増額の2審判決
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
2、関東大震災時の朝鮮人虐殺について、まだまだ知らないことがあることを痛感しました。そして現代の日本社会で、この問題を再認識して深く掘り下げることが必要だと感じました。監督のお話を聞き、自分も勉強をし直してみようと思いました。(60代、横浜市内、友人)
歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第1歩を!
足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
靖国神社参拝反対!!
超党派の議員連盟メンバー87人 そろって靖国神社に参拝
原発の怖さを考えよう!!
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
※多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。
詳細は、追ってご報告致します。
これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。
Union No.6 からのメール
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
英紙報道(共同通信の竹内大志記者による
信濃毎日新聞5月29日
中日新聞5月29日
教育委員会が提案した案
731部隊で行われていたこと
遺棄毒ガス兵器処理事業の文書を公開せよ!!
旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
731・原爆・ビキニ
12且26日(月)
4、この負の遺産を今の政権党に見せたい。同時に世界の指導者供にも(51歳以上、市内、図書館看板にて)
劇映画「伊藤千代子の生涯」
南京大虐殺から86年(1937年12月13日南京陥落!)
ロシア軍の残虐行為に「ジェノサイド条約批准を」の声、日本未批准の背景に何がある?
中国 南京事件から85年 追悼式典に最高指導部のメンバーが出席
中国侵略(南京大虐殺、重慶大爆撃等)
しゃべってから死ぬ!南京大虐殺
第58号 重慶爆撃
【ゆっくり歴史解説】重慶爆撃「百一号作戦」【知られざる激戦110】
医療倫理・研究倫理の深化
原発事故・幻のシナリオ
全国最大 原発訴訟
福島の声を聴いてくださいーー福島県の40以上の市町村議会で汚染水意見書
福島第一原発 処理水放出の開始時期 春から夏ごろ見込む 政府
棄てられた水爆被爆者
「ビキニ事件と俊こつ丸」
核被災と核兵器禁止条約
35円の代償
核なき未来へ
西村経産相が訪米次世代原子炉の開発や建設 日米連携で一致
東芝を沈めた原発事業「大誤算」の責任
東芝買収、JIPが最終提案 銀行団が融資確約
ビキニ被爆訴訟
「核なき未来へ」
学知と骨ー琉球人骨返還訴訟が問うものー
731部隊論文 検証求める有志 申入書提出 総長に懇談を要求(2020.04.01)
京大論文「人体実験と結論付けられない」 今後調査せず
ドイツと日本の謝罪の違い
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 津田敏秀著
Ⅲ 必要な制度の見直し
1、政策と学者
なぜこんな事態になってしまったのだろうか
1995年に至るまでの水俣病事件の約40年の間、国・厚生省・環境庁(環境省)はいつでも引き返そうと思えば引き返すことはできた。しかし、60年近く経った今も引き返していない。引き返せなかった。なぜ法律違反を犯し、ばれると危険な嘘をついてまで、引き返そうとしなかったのかが問題だ。この姿はきちんとした見通しもなく延々と戦線を拡大させてしまった旧日本軍幹部(彼らも官僚であった)と重なる。
“黒い赤ちゃん”その後も・・・カネミ油症、次世代が訴える症状【報道特集】
戦後、宮川東大教授(元731部隊レントゲン班班長)が関与した動物実験
【薬害エイズ事件】安部 英 容疑者逮捕 厚生省に強制捜査 ニュース
新潟水俣病について解説!【四大公害病】
メチル水銀中毒(「水俣病」)
ドキュメンタリー:イタイイタイ病
神岡鉱山とイタイイタイ病 ①
【実話】イタイイタイ病の闇が深過ぎる…(漫画動画)
(日本の歴史)奇病「イタイイタイ病」はまだ終わっていない!忘れてはいけない公害病(アニメでわかる
松本清張と帝銀事件第2部
帝銀事件1審第1回公判(東京地裁)
帝銀事件①
帝銀事件と薬害エイズ事件
冤罪が晴れてもその後の人生に困難を伴う!
社会が許さない 釈放後も「地獄」
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
大牟田爆発赤痢事件(昭12.9.25)は計画された陰惨極まる国家犯罪である!! : 真因は毒ガス・赤痢菌による人体実験
大牟田の慰霊碑(裏)
(碑文)
「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」
わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)
この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)
注)毒ガス弾に含まれている化学物質の区分と毒性
(1)びらん剤
硫黄マスタードとルイサイトが代表的であり、同化学物質は蒸発速度が遅く、細かい霧状又は水滴状で用いられる事が多い。皮膚浸透性を有しており、防毒マスクだけでは防ぐことはできない。マスタードは皮膚に付着すると数時間後に赤い斑点を生じ、痛みを伴うびらん状を呈する。目や呼吸器の粘膜を冒し、水泡、潰瘍を生じる。
ルイサイトはマスタードより効果が現れるのが速く、皮膚に付着したり目に入ると耐え難い痛みを生じる。旧日本軍のきい剤はマスタードとルイサイトが主成分である。
(2)くしゃみ剤(嘔吐剤)
ジフェニルシアノアルシン(DC)、ジフェニルクルロアルシン(DA)やアダムサイトのような有機ヒ素化合物があり、低濃度で鼻、喉、目の粘膜に激しい刺激を与え、くしゃみ、咳、前額部に痛みを感じ、高濃度では呼吸器深部を冒し、嘔吐、呼吸困難、不安感を生じ、死亡する例もある。旧日本軍のあか剤はDC,DAの混合物である。
(3)催涙剤
クロロアセトフェノンやクロロベンジルマロノニトリルのようなハロゲン化合物であり、目や喉を刺激して激しい催涙効果を示す。死に至らしめることはほとんどなく、暴動の鎮圧用に配備されていた。
(4)窒息剤
呼吸器系に作用して喉や気管支を刺激し、肺に障害を起こして死に至らしめる。塩素やホスゲンが代表的な化合物である。
(5)血液剤
青酸ガスが代表的な化合物で、体内に吸収された後、血液成分(ヘモグロビン)、全身の組織に作用して呼吸器障害を起こし、睡眠を伴い死に至らしめる。窒息剤や血液剤は、揮発性が高く呼吸器を通して作用するので、防毒マスクを着用することで防ぐことができる。
(6)発煙剤
空気中で発煙し、刺激性がある。高濃度では、目、皮膚、気道に対して腐食性を示し、この蒸気を直接吸入すると重症では肺水腫を起こす場合がある。
出典:遺棄化学兵器の安全な廃棄技術に向けて(日本学術会議報告平成13年7月)、
International Chemical Safety Cards(ICSC 1989)他
米中の生物兵器開発?
原爆詩集
5
それは残酷
それは苦悩
それは悲痛
いいえそれより
この屈辱をどうしよう!
すでに君は羞恥を感ずることもないが
見たものの眼に灼きついて時と共に鮮やかに
心に沁みる屈辱、
それはもう君をはなれて
日本人ぜんたいに刻みこまれた屈辱だ!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
731部隊を破壊する
1945年8月14日に行った事
溝淵俊美(みぞぶちとしみ)
731部隊・教育部
〈経歴〉
1922年生まれ
1943年 731部隊入隊。教員部配属
1945年8月 帰国
■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。
8月10日
10日の朝、雨は小降りになったが、まだ降り続いていた、作業は昨日と同様に続けられた。
昼頃であったか、部隊の引込線に列車が入って来た、昨日は第1部研究班の班長クラスとその家族が帰国についたが、その日の列車は、第1部、2部の軍属とその家族が乗車し帰国するということであった。煙を吐きながら列車が出て行くと、官舎街の方角から“満人”(“満州”の中国人)と思える集団が部隊の様子を窺っていた。動哨の兵隊が発砲している音が聞こえる。“満人”の数は段々数を増やしてくるようで、異様な感じを受けた。ロ号棟内部の作業は進んでいる様子で、異臭は相当な範囲に広がっていた。
被控訴(附帯控訴)代理人(鈴木)
甲第273号証、692号証を示す
その次の142ページ、2行目、常石さんは「旧日本軍の細菌戦部隊で『人体実験』が行われていたことについて、はっきりした証拠が存在する。それは伝聞とか、あるいは ハバロフスクの裁判での証言や供述ではない。もっと証拠能力の高いものである。」ということで北野さんの論文を引用していますね。これからしますと、やっぱり常石さん自身も証拠能力が高いものと低いものと区別して、伝聞だとかハバロフスク裁判というのは1つ区別すべきだという前提で書いていらっしゃるんじゃないでしょうか。
ですから、ここのところを素直に読めば、しかし残念ながら、もっとはっきりした証拠が存在する、ということをここで言っているわけですね。そういう意味で常石さんはそれ以降、流行性出血熱の研究と凍傷実験の研究の記述をその後述べているわけですけれども、それは確固たる事実に基づいているものであるということが出てくるわけですね。そういうものは逆に言うと、ハバロフスク裁判の中でも凍傷実験については、たくさん記述がありまして、それと照合しますから、ここで述べていることがハバロフスク裁判の記録が信憑性がないということを言っているわけではないですね。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅳ 恒常化する毒ガス戦 1938 ~1941
3 新墻河(しんしようが)渡河作戦
第6師団兵士の毒ガス戦体験記
この記録から、毒ガスが黒煙となって天地を覆い始めた様子がよくわかる。陣地近くにいてガスの被害にあった「土民」とは、地元の民衆のことであろう。次の記録は、歩兵第13連隊第7中隊の桑原信二(階級不明)の書いたものだが、突撃の様子がよくわかるので、少し長いが引用したい。
「9月23日午前8時30分、・・・」(中略)後方にある連隊本部の真上に、白三星〔信号弾〕が打ち上げられたと思うと、中隊長殿の右手がサッと挙げられ、私たちは一斉に渡河し始めました。
野砲は正面の敵陣に集中射を浴びせています。私は装面していますので、敵弾が砂煙を上げるのは分かりますが音は全然聞こえません。目前に迫る敵陣、苦しい呼吸の中に、着剣をして対岸陣地に突入、 血走った眼で、四辺を見回しますが、2、3の遺棄屍体があるだけで、もう潰走しています。野砲が敗走する敵兵の上に、小気味の良い榴散弾を浴びせています。未だ霧の様に瓦斯が残っていますので、脱面の命令が出ません。頭がズキンズキンと痛み出し、次第に感覚が麻れてきました。やがて霧のような瓦斯がはれて、脱面を許されました。正面の第2線陣地は如何したのか、固い沈黙を守っています。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
認定NPO法人化学兵器被害者支援:日中未来平和基金
(3)日本間接防衛作戦
ハ 上記以外の日米相互協力について
日本側・・・それらの行動は実施的には防衛出動となるので、防衛出動を下令せざる限り、権限これに伴わず無意味であろうから同意しがたい旨回答した。
米国側・・・止むを得ざるものとして、これを了承し、米側で適当な措置をとるので、可能な限りの協力を重ねて要望した。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
3,自衛隊における人体実験の疑念
生体実験の事実
この研究の被験者となった勝田部隊とは、論文の末尾に「本研究のご指導を賜った衛生学校長中黒陸将、ご支援を賜った勝田施設学校長吉武陸将補に深謝する」と記されているように、勝田施設学校の生徒を対象としていることである。細菌関係の研究対象のほとんどが、特に自衛隊の学校を選んで行われていることも気がかりである。つまり、学校の生徒であれば、被験者たちを他の一般部隊と異なって、集団で閉鎖的な隔離状態にして置くことが可能であるという状況があるためであろう。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第5章 新しい皇室、新しい国家主義
Ⅱ
田中は、政治に決定的な役割を演ずる強い意志を持った天皇の前には、1政党の党首の政治生命など、まったくあわれな存在でしかないことを思い知らされた最初の総理大臣である。田中が首相になると同時に、天皇とその側近は彼の言動に積極的な関心を払ったが、じきにその政策の多くに違和感を持つようになった。彼らは政友会が露骨な人事政策で勢力を拡大するのを好まなかった。天皇は、儒教的で武士道的な教養から、官吏は政治的な判断や人間関係によってではなく、あくまでその能力に基づいて任命されるべきだと考えていた。
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
02
武器をつくったり売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。
アフリカの私たちは戦う必要も、殺し合う必要もないのです。だから憲法9条は、 アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器をもってこさせないようにすることができます」
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
4,まず知ること、気づくこと、考える事、語ること、出会うこと。黒井さんの熱い熱い思いをいただきました。参加して良かったです。大阪で来年“会”を催されるとか。基調講演は関西の名物アナウンサー桑原征平さん(79才)を推薦します。彼自身が父からのPTSD被害者とラジオ番組で度々語られておりました。
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争、
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。
署名国・批准国
2021年5月18日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
ジャマイカ 2017年12月8日 2020年10月23日
カザフスタン 2018年3月2日 2019年8月29日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!