●核実験・原発事故・戦争で世界の環境は壊れかけている!!
国連のグテーレス事務総長「地球沸騰化」発言の全文
11月なのに…福岡市27.6℃ 県内3日連続「夏日」 葉物野菜は育たず、夏野菜が育つ“異常気象”
「今年の夏の暑さは本当に“異常”だった」...国内外の機関が「観測史上最も暑かった夏」と発表、「いま世界で起きている『地球沸騰化』の予兆」がヤバすぎる
日本の防衛白書に中国「強烈な不満と断固とした反対」
防衛費「5年で43兆円」、岸田首相指示 23年度から
慎重な公明に配慮で結論持ち越し 防衛装備移転
「沖縄」の今の映像上映と講演のつどい
安保3文書改訂の正体~中国は、日本の敵なのか?~
米 バイデン大統領 “保有する化学兵器 すべて廃棄完了” 発表
大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか
7.8 怒りの市民パレード 第2弾 わが町・府中に「統一教会」カルト集団はいらない!
韓鶴子総裁「岸田を呼びつけて教育を受けさせなさい」
安倍晋三 演説 | 統一教会
高浜原発1号機 7月28日にも再稼働へ 運転開始40年超で2例目
次世代原発、三菱重工が統括へ…高温ガス炉・高速炉開発を主導
軍拡反対!!
広島市民のG7反対デモ5.20
広島市民のG7反対デモ5.21
広島市民のG7反対デモ5.21続
被爆者インタビュー
高校生「原爆の絵」
【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁
リニア新幹線建設反対
リニア論考:私たちはなぜリニア新幹線に反対しているのか?
リニアモーターカーの稼働には原発3~5基分の電力が必要
映画『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』予告編
【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット
秋葉前広島市長へのインタビュー
核なき世界へ
上田紘治さん
帝銀事件
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」
帝銀事件の現場を歩く
松本清張と帝銀事件第2部
関東大震災時の朝鮮人虐殺について
関東大震災後、殺害の朝鮮人慰霊 鐘楼補修費募る 千葉県八千代の寺
関東大震災から100年
下本節子さんのメッセージ
太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言
ビキニ被災者より聞き取り
足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)
宗田節工場見学(高知県土佐清水市)
震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)
幡多ゼミOB・顧問と対談
特別交流会
全体集会第1部
全体集会第2部
ビキニ被ばく船員訴訟報告
核兵器禁止条約発効の時代に生きる世代へ
広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
地震が相次ぐ5月 ここ1週間で震度5弱が2回 地震発生時の行動確認を
日仏が原子炉開発など原子力連携で合意 高速炉に3年で460億円
超党派の議員連盟メンバー87人 そろって靖国神社に参拝
日本の核開発
原発の怖さを考えよう!!
原発大回帰に抗して コリン・コバヤシさん
原発大回帰に抗して: 崎山比早子さん
原発大回帰に抗して コメント・質疑応答
戦争と医の倫理 プレ企画 『731部隊員の証言』
歴史修正主義から「ポスト真実」の時代へ
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
2023 4 1狭山事件:石川一雄さんを訪ねて
狭山事件フィールドワーク
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
英紙報道(共同通信の竹内大志記者による
信濃毎日新聞5月29日
中日新聞5月29日
教育委員会が提案した案第2弾!!(細菌戦の解説欠如、証言パネルを展示せよ!!)
資料
一市民と行政が創る「飯 田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
一市民と行政が創る「飯 田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」
731部隊で行われていたこと
大分地裁 “永久保存”裁判記録「保存期間の満了」理由に廃
「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
福島 雅典京都大学名誉教授
コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”
コロナワクチン8.8億回分、国の確保量「根拠不十分」 会計検査院
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
燃やしつづけた炎
劇映画「伊藤千代子の生涯」
フィールドワーク「多喜二と築地」
多喜二文学の世界への広がり
小林多喜二没後90年 東京大集会
平頂山で何が起きたの?
未だ癒えぬ傷(平頂山事件 生存者の今)2005年
平頂山事件訴訟とは何だったのか
合唱朗読構成 「再生の大地」ー撫順戦犯管理所(短縮版)
重慶爆撃
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第6号(1938年)
伝染病研究所創立40周年記念日式辞
宮川米次
悪性腫瘍発生に関する新知見
申す迄もなく、腫瘍の発育に対しては、生体にはこれを阻止せんとする様に作用する性質の発来、喚起があり、両作用間に大いに拮抗しておるのであるが、終に腫瘍の発育力が打ち勝つ場合には宿主の生命すら奪うに至るのであるのが、人工的に、腫瘍の一部を切除すると、ここに発育阻止作用の方が打ち勝つことが屡々あるものであって、終に遺残の腫瘍組織は発育停止するのみならず、完全に死滅し尽くすに至ることがあるのである。問題はこの発育阻止作用を為すものは、何であるのであろうかが、残された研究点であって、各個人の既存の素質なりや病的状態によって喚起せられたものなりや、等々で今日は全く不明である。これを発癌素質と照合して見る時、丁度対象的であって、興味ある事柄と申してよいと信ずる。
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第5章 新しい皇室、新しい国家主義
V
かくして天皇信仰の公式化とその加速が始まった。それは、肉体的には立派といえず、訓練しても生き神らしくふるまえない統治者の外見を高める方法であり、また、天皇を介して個人と集団を国家に結びつけ、国民の統合と従属を強める方法でもあった。そして、もし天皇は神であるとの教義が君主制に関する合理的な理解と議論に制限を課すとすれば、その制限は「不逞思想」(すなわち政治的異議)の抑圧政策、軍人精神の高唱の観点から設けられるべきものだった。
1928年12月末、1年に及んだ即位の祭典は終了した。新聞の国家主義的熱狂も下火になった。しかし京都御所の公開は続けられ、即位記念の出版物の刊行も絶えなかった。官僚は天皇と国民は一体であり、上下心を一にするものと言い続けた。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)
【第2部 質疑応答】PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会