細菌戦の系譜!!

細菌戦の系譜!! 1

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*5月6日~10日ブログお休み!!
 

日本は、戦争の反省をしているのだろうか??

 


 

731部隊全景

 

 
 



 

 
 

No War!!Stop War!!
русские !! Прекратить войну !!
Russians !! Stop the war !!
ロシアの皆さん!!戦争を止めてください!!
 
Why is America not actively moving towards peace ??
 
Почему Америка не движется активно к миру??
 
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??
 
 
 
Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
 
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
 
憲法9条を世界憲法へ!!
 
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
 
 
ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.
 
戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
 
 
I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!
 
Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!

 
国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!
 
 
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
 
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
 
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
 
 
Russian soldiers !!
Immediately from Ukraine
Let's withdraw and return to Russia !!
 
Русские солдаты !!
Сразу из Украины
Отходим и возвращаемся в Россию !!
 
ロシア軍兵士の皆さん!!
直ちにウクライナから
撤退してロシアに戻りましょう!!
 
 
NO WAR!! STOP PUTIN!!
ロシアはウクライナ侵攻をやめろ!!
 
 
 

 
 
 

ウクライナ侵攻反対!!

ロシアに抗議しよう!!
〒106-0041 東京都港区麻布台2-1-1
電話:03-3583-4224
FAX:03-3505-0593
E-mail: tokyo@mid.ru
 
 
 

延期されていた「表現の不自由展・東京」がはじまる 最高裁の決定が後押しに

 




 
 
 

 
森友記録を開示せよ!!
 
 
 
 

ソニアの日記

 

コタバル 伝えられなかった戦争(2011)

 

セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)

 

開戦ー前編ー

 

 

 
 
 

推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない

 
 
原発!!

 

 
 
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
 
重慶無差別爆撃

 
 
 
もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・
 
 
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
 

南京大虐殺の真相

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分

 

マギーフィルム(字幕付き)

 
 
政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

 

 

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 
 

 

 

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

加藤哲郎講演)

バイオハザード、現代の視点に立って、コロナを研究しているのが新鮮です。オウム真理教、コロナ対策、保健所、地域の病院のベッド数を減らす。

(70代、市内)

 


 
 
 

 





原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

 
                


 
 
 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年ノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第9
 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第10
 
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
(番外編)
『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 津田敏秀著
      (2014年5月16日第1刷発行)
 
Ⅲ 必要な制度の見直し
 
1、政策と学者
 
なぜこんな事態になってしまったのだろうか
 
 学者たち自身あるいは学者と行政との関係に大きな問題があることは、これまでに取り上げた様々な事件を通じて実感していただけたと思う。これらは、個々の学者のキャラクターもさることながら、やはり構造的な問題が大きい、1995年から1996年にかけての水俣病事件のいわゆる「政治解決」においては、患者だけでなく当時の首相を含む日本中の人たち全員がだまされていたことが明らかになった。その原動力になったのは、井形氏ら学者や環境省の一部官僚らの些細な上昇志向や自己保身、あるいは研究費や予算ほしさなどの欲望が渾然一体となった分離不可能なものかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!     
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

 

 
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」

 
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラチフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

 

 

戦争犯罪と戦争責任を考える(帝銀事件捜査から)山田朗
(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
 
 
帝銀事件というのは1948(昭和23)年1月26日に起こった銀行強盗殺人事件である。12人が毒殺されるという日本犯罪史上でも特異な事件だ。この事件は、同年8月に容疑者として画家・平沢貞通が逮捕され、裁判の結果、1955年に最高裁で死刑が確定した。
 しかし、平沢犯行説には多くの疑問があったため死刑は執行されず、さりとて釈放もされず、平沢は再審請求をしながら1987年に95歳で獄死した。
 

 
 

黒い太陽731(1)

 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

 

 

実験医学雑報19巻 第6号(1935年)

 

人事異動報告

昭和10年6月1日 伝染病研究所

発令月日  辞令            官職  氏名

5.6  研究生入学許可(病理)              濱口廣成

5.7 満洲国へ出張を命ず          助教授 小島三郎

5.8 研究生入学許可(検査)            笹山有一

〃  死亡                 研究生 三井智嘉子

5.15 依願伝染病研究所に於ける

   治療研究業務嘱託を解く                         高木良信

〃  東京及埼玉の1府1県下へ出張を命ず   技手  柳澤謙

〃  同                     技手  岡本啓

5.16 小島所員満洲国出張不在中検査部

   並びに培養基製造部主任代理を命ず   助教授 矢追秀武

5.24 神奈川県下へ出張を命ず        技手  柳澤謙

〃  同                  同   岡本啓

 

 

 

 

 

翌年の1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??

 

浜一中大福餅事件

                浜松一中の慰霊碑

大牟田の慰霊碑(裏)

 

<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
 
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 
 
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第6被告による細菌戦の隠蔽及び細菌戦被害賠償立法の不作為

3 連合国の占領下(第2期)における被告の隠蔽工作

(4)アメリカ政府・占領軍と免責取引による隠蔽

ウ 窮地に陥った日本側の新たな隠蔽工作

  ソ連による暴露とGHQ法務局の戦犯訴追の追求によって、一挙に被告は窮地に陥った。東京裁判は開始以来半年以上を経過し、検察側立証の最終段階として、日本軍の捕虜虐待や残虐事件の立証が続けられているところであった。ここで日本軍の細菌戦や人体実験があからさまになった場合、東京裁判がどう展開していくかは予断を許さない状況であった。

 そこで被告のとった方策は、人体実験や実戦で得たデータを初め細菌研究の全成果を米軍に提供し、さらに米軍による細菌戦兵器開発プロジェクトに参加し全面的に協力するのと引き換えに、石井四郎を初めとする731部隊等の細菌戦部隊幹部は戦犯訴追を免れ、細菌戦の隠蔽を貫き通すというものであった。そして、これによって天皇の戦犯訴追も封じることができると被告は考えた。一方、米軍も、最初から戦犯免責と引き換えに情報を得るという手段を取った(甲42・昭和58年8月14日朝日新聞

 

*それにとどまらず、731部隊員や、医学界は、ヒロシマナガサキにおける原爆の威力調査(被害者の救済はしなかった)などを積極的に進め、50年代にも、ビキニ環礁における水爆実験の被害者も第5福竜丸だけにして、アメリカの核戦略に協力していった。

 

 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

 

 
 

 

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

 

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

 

 

           
 
2013年5月12日、安倍晋三宮城県東松島市航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

 

           

 

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

一月十四日

中隊からモチを送ってくれたから早速しるこだ 一同賛成 使は八方へ飛ぶ 砂糖。塩。豆。おいしくはないが夜の七時半ようやくできた 夜、立硝中駅の方からご詠歌が流れてきた。日蓮教のタイコも共に寒空を震わせた。矢張り日本で耳にした日本古来のものを聞けば昔が懐かしいね。向こうの工兵隊の兵隊さんが歩兵の真似を一生懸命やっている。気の毒だね。中隊の武田が行軍に行く名前を知らせてくれた。やはり僕は行くんだって おまけに中隊長の当番として 遣り切れないな。

 

 

「ずっと父が嫌いだった」

 

 
 
 
軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
 

 

あとがき
 
今はすべての人が広島で二十万ほどの人間が一発の原子爆弾によって殺されたことを知っている。長崎でもそうだ。然しそれは概括的な事実のみであってその出来事が大きければ大きいだけに、直面すれば何人でも慟哭してもしきれぬであろうこの実感を受けとることは出来ない。当時その渦中にあった私たちでさえこの惨事の全貌を体で知ることは出来なかったし、今ではともすれば回想のかたちでしか思いえぬ時間の距りと社会的環境の変転をもった。



 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

 

水瓶の中に生首が

 

一瓶にホルマリン漬けの生首が3個か4個

 

佐藤治郎(仮名)

防疫研究室

 

〈略歴〉

1909年生まれ

1926年 大阪で就職

1937年 防疫研究室に軍属として勤務

1939年 南支那派遣軍防疫給水部に転属

■この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備した“陳述書”をまとめたもの

 

解説―軍医学校跡地から発見された人骨

                    (鳥居靖・西野留美子)

 1992年3月、新宿区が佐倉朔札幌学院大学教授に依頼していた骨の鑑定結果が出た。鑑定によると、土中経過年数はほぼ10年以上100年以下と見なされた。骨は頭蓋骨が最も多いが四肢骨、軀幹骨などの体骨もあり、かなり全身的な部位に渡り、全個体数は100体以上にのぼると推測されるものであることもわかった。骨は同じ時期に埋められた可能性が強く、さらに人骨の人種的属性については、特定の人種に同定することは不可能であるが、ほとんどが日本人を含む、中国人、朝鮮人などのモンゴロイド人種に属することがほぼ確実となった。

 

 

 

 
 

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 
 
 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

解説

証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

 

体験者の証言

 この周恩来の厳しい指示に、所長、科長ら管理所の責任者として任命された人たちは、全く戸惑った。先述のように、まず第1に責任者の何人かは、日本の支配時代、監獄にぶち込まれた経験はあるが、収容者を扱った経験がなかった。そこで、中央から、収容者を1人でも逃してはならないと指示されていたため、警戒も厳重にしなければと、必要以上に厳しい警戒態勢を敷いた。

 
 
 
 


 

 

                     














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

●毒ガス戦

 
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題

 

 

3 証拠隠滅と戦犯免責

 

毒ガス戦の追及から免責へ

 

 

 しかし、日本軍の毒ガス戦や細菌戦の責任を問わないということを、アメリカはどのようにして中華民国政府を納得させたのかについてはまだわかっていない。この点も含め、日本軍の毒ガス戦や細菌戦の免責をめぐる諸問題のより詳しい実態の解明は今後の課題である。
 
 
 
 
 

 

 

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)



地下壕の上にある畑(この下にも毒ガス弾が埋まってはいないのか?)

 

 
 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市船橋市内)

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 
 

 

 
 

 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

松花江にも毒ガス砲弾

 

 劉振起

 

10月23日、本日薬を交換で、内部に濃液は見られず、新規の水泡が少し発生、水泡内の液は吸収されず。水泡内の滲出液が凝固し、半透明の固体となっている。手、手指の水ぶくれが目立つ。体温はまず良好、色艶は悪い。

 

 毒ガスによる当傷害事件は各方面の注目を集め、協議の結果、患者を軍の病院に移し治療することとなった。10月24日、患者らは飛行機で瀋陽の解放軍部隊202病院に向かった。ここで李臣は「両手両腕前部イペリットガスによるやけど(2度)90%、両手指の間、及び手の甲の損傷が特に激しい」と、劉振起については「両手両腕イペリットガスによるやけど(2度)8%、両手指の間の損傷が特に激しい」と診断された。2人は傷口が癒着した後、退院(軍医・宋立梅による治療が施された)。これと同時に、自宅で経過を見ていた肖慶武、呉建寧の症状も悪化、こちらも瀋陽の202軍病院に移された。2人はここで52日間の治療を受け、症状が基本的におさまった後退院した。

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

●『三光』     中国帰還者連絡会
核時代39年(1984年)5月初版発行
 
細菌戦ー731部隊の蛮行
 
 
田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において
 
本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
 
 奥寺の見幕(けんまく)をなだめるように、「待て奥村雇員、田村は特別班に入っているだけだ、それよりも早く玉井から遠征隊の情況を聞けよ、時間がなくなるぞ」。今日集まった目的が1942年春、部隊長石井四郎の直接指揮の下に華中華南地区に細菌をバラまきに行き、最近帰ってきた遠征隊のことにあったらしく、ほかの3人もそれをせきたてた。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日米安保条約自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
 

 

(2021年2月4日)

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
 
 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
 
 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
 
 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
 
 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

 
日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第2章 日米共同作戦

2、戦時緊急計画

日米作戦調整所

 

三矢研究は、「防衛出動を下令された部隊は日米安全保障条約第5条の適用を受けない事態においても、わが国防衛上必要と認めた場合は、日米共同作戦を実施することができる」としている(用兵の基本に関する事項)。安保第5条は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」にたいして発動される。しかし防衛出動は、「外部からの武力攻撃 (外部からの武力攻撃のおそれのある場合を含む)に際して、わが国を防衛するため必要があると認める場合」に下令される。三矢研究は本来、武力攻撃発生以後に可能なはずの日米共同作戦を、武力攻撃のおそれのある段階から開始するというのである。ブル・ラン作戦の配備・支援・展開・調整の各項にしめされている日米共同作戦計画も、同様に日本が武力攻撃を受ける以前から大部分、実施に移されるのである。

 

 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

 

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

化学戦、細菌戦では気象条件が決定的な作用を及ぼす。瀬戸内海で行われた「公害調査」に名を借りた自衛隊の演習も、実はこのことに中心的課題が置かれたのだが、「(1)化学戦に関連した気象の基礎原理、(2)局地気象予知と化学剤を用いる作戦におけるその効用、(3)化学剤運用計画に利用するための気象班の予報、(4)化学剤の使用及び野外作用に及ぼす影響」等に「関する知識を授ける」ことを目的とした教範、『野外における化学剤の作用』(陸上自衛隊教範14―3--1)は、「化学剤を使用する化学作戦に影響する気象上の基本条件は風、気温、湿度、天気、降水量及び大気の安定度である」と、次のように述べている。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和天皇の戦争責任を問う!!

 

 
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
 
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 


 


 



昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

 

 

昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

 
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

     


 

 

 

第1部 皇太子の教育

1901(明治34)年―1921 (大正10)年

 

第一章少年と家族と明治の遺産

 乃木の辞世の歌には、彼が自分の君主に死をもって従うことを国民に広く知らせる意図があった。殉死という風習は徳川幕府でさえ野蛮と見なし、「1663年は時代遅れだとして」法で禁じている。新渡戸稲造三宅雪嶺など、日本の伝統道徳の崩壊を難じてきた保守的知識人は、乃木の殉死が武士の忠誠の模範であり、国民や軍隊への有意義な教訓に富むと説いた。乃木の禅の師である南天棒は、弟子の行動の尊厳さに打たれ、葬儀に際して「万歳、万歳、万歳」の3語を祝電として送った。一方、『朝日新聞』は、武士道を復活させて新しい道徳を立てようとする人々を批判し、乃木の行動は国民を誤らせかねず、感心できないと主張した。『信濃毎日新聞主筆桐生悠々はさらに一歩進めて、乃木の死を「愚挙」かつ「無意味」と非難したうえ、「死ぬるばかりを忠義と心得る」のは、ひいては「国際上許すべからざる一大罪悪を奨励することになる」と憂慮している。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

 

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

 

 

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

 

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
 
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
 
※私が考える、今の異常気象の要因は

 

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリートアスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

 

 

 

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 

地球を破壊する核爆発・核実験

 

アメリカ合衆国

マーシャル諸島での核実験

1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島ビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。

1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。

その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。

ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。

日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。

240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。

ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。

 
 
 

アインシュタイン「科学者たちの罪と勇気」

メアリーが伝えるヒロシマ

 

 

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】

 

 
 
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
 
核融合もすべきではない!!

 

 

 
 
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

 

       

      

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

 
・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
 
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。


 

 
 
 
 

           













JCOの臨界事故


 
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

 

 

 
 

 

 
 
 

 
 
 
 

 

 

 

 
 
 

 

 
 
 
 

 
 

 

 

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