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日本は過去を反省すべし!!
NO WAR!!
あらゆる紛争を、武力ではなく話し合いで解決できないものか??
地球は、戦争と核実験によって壊れかかっている!!
11月17日、ジュネーブの国連本部におけるパレスチナ国連大使のスピーチ
VIDEO
地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発 。
これからの世界が真っ先に取り組まなければならないこと(SDGs)は、
1、核廃絶 (核実験後の除染、核弾頭の処理、原発 全廃、廃炉 作業、核のゴミの処理)
3、武器の廃棄(基地撤去、軍備全廃、環境整備)
※これらを実施するためには、国連改革が必要だ!!【紛争は話し合いで解決する!!、
五大国廃止(拒否権行使撤廃)等】
世界は、放射能 の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT 換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ (TNT 換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリ カだけではない!!世界は核実験・原爆・原発 事故により放射能 で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
世界に拡がる放射能 汚染は、核抑止論 ・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!
第9回「戦争の加害展」(横浜)
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発 をやるつもりなのだ!! 核兵器 廃絶!!脱原発 !!医学者も声を上げよ!! いつ大地震 が起きるかわかりゃしない!!
3月20日 に飯田市 の飯田市 平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊 のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊 の証言が必要です。
昭和天皇 が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇 ・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
市教委が展示したパネル
VIDEO
・山田先生の講演を聞いた人の感想
昭和天皇 が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営 からの命令(大陸指)の発令や、731部隊 の関係者と接触 した三笠宮 からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作 が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
三笠宮 は
回顧録 の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで
満州 の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて
満州 事変を調査するために
国際連盟 から派遣されたリットン卿の一行に、
コレラ菌 を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著
柏書房 p227)
1950年代後半から「紀元節 」(神武天皇即位紀元 (皇紀 )に基づき、三笠宮 自身の父系祖先と伝承される初代天皇 ・神武天皇 が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者 としての立場から「神武天皇 の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節 復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮 は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍 司令部によって設置された、731部隊 と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部 施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍 に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮 ・宮田(竹田宮 は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍 司令官もしくはその直属の部下が731部隊 を訪れる時は、竹田宮 自身が彼らの一行に混じって彼らをエス コートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
入学式の日の丸
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
「香川の子どもと教科書ネット」通信
第68回会議報告より
さらに第二次
安倍内閣 で、もり・かけ・さくら・かわい・の犯罪行為のオンパレードに、日本中の国民が躍らされた。その時、多くの日本国民は知らされていなかったが、可愛がってくれた爺ちゃんの
岸信介 元首相時代から、韓国のいかさま宗教団体、旧
統一教会 に騙されて協力体制を続けていたが故に、日本の多くの子ども達が苦しめられ、その中の一人の青年の自家製ピストルで安倍元首相は殺された。
長周新聞
米軍の下請として武力参戦を可能にする安保法制に対する国民的な憤激の高まりは、第2次大戦 から70年続いてきた対米従属構造に対する歴史的な怒りを伴って発展した。本紙はこの間、東京に原爆展キャラバン隊を派遣し、都民の中に渦巻く東京大空襲 の経験とその怒りをつかむことに力を入れてきた。そこから見えてきた東京大空襲 の真実はあまり知られていないむごたらしさに加え、今日の対米従属構造に繋がる徹底したものであった。安保法制まできた戦後政治の根源としての東京大空襲 の全貌を、キャラバン隊メンバーと本紙記者による座談会で描いた。
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
授与への批判
ルメイが東京大空襲 や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党 ・原水爆 禁止団体・被爆 者などから国民感情 として納得できないという声が上がった。
日中戦争 の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市 にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議 四川省 重慶市 委員会文史資料研究会編『重慶 抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218 回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕 で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日 初版発行:アテネ 出版(3000円+税)
第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!
この映画では、元731部隊 員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
東京裁判 では、日本 軍の上層部で活躍した皇族や 極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊 員、毒ガス部隊員、登戸研究所 員等も戦犯免責にし、アメリ カはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
そして、アメリ カの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判 では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊 関係者はアメリ カの核戦略 に全面的に協力し、被爆 の被害の矮小化を図った。 その流れが、ビキニ、福島、原発 政策へと続き、依然として原子力 村、安保村が日本の原発 ・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇 によって、見捨てられ、戦後、アメリ カの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題 で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人 を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯 となり、厳しく裁かれた。
靖国神社 は、A級戦犯 であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇 が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金 を投じた追悼施設さえない(東京大空襲 等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島 で毒ガスの製造に関わった 被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、 全く補償がない。 アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのが
アメリ カの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は
天皇 の意志によるものだった、ということになる。
731部隊 罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン )
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊 を災害救助隊にすべし!!
VIDEO
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井 の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
珠洲 原発 があったら大惨事であった!!原発 をなくそう!!
未知の断層はまだまだあるのではないか??
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能 汚染!!
反原発 !! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
「第五福竜丸 」の元乗組員、大石又七さん(享年87歳)は、1954年にアメリ カが太平洋のマーシャル諸島 ビキニ環礁 で行った水爆実験で被曝(ひばく)しました。
大石さんが乗っていた「第五福竜丸 」のマグロなどの一部が築地市場 に届くと、検査で放射能 が検出され大騒ぎになりました。
「原爆マグロ」と言われたマグロの値段は半分から3分の1にまでなり、ほかの魚の価格も影響を受け、廃棄したマグロは3千本に。当時の様子は「パニックだった」と伝えられています。
築地市場 跡地にあるプレートは、「原爆マグロ」の歴史を伝えるため、正門の脇に取り付けられたものでした。
大石さんが亡くなった直後の4月、大きなニュースが全国を駆け巡りました。
アンケートから
12月18日(月)
4、戦争の残した傷あとのむごさを改めて知らされました。「はだしのゲン 」の原本は初めて見ました。中沢啓治 さんは漫画家として立派な遺産を残してくれて改めて感謝します。全体に見ごたえのあるものばかりで、やはり終戦記念日 や原爆投下された原爆忌 あたりに市民の目の触れる会場でやってほしいと思いました。沢山の貴重な資料の数々、次回は見られなかった所も見たいと思います。
VIDEO
12、PFAS杉井先生さすが医師です。難しい医学的言葉は避けて、分かりやすく、お話しいただけて理解を深めることが出来ました。ありがとうございます。是非、今日のパワポ を頂きたく思います。
第5章 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み
2006年5月16日の最高裁判所 の決定で裁判は終わった。しかし、日中の市民は、2006年6月5日の共同声明の精神に基づき、平頂山事件の被害者及び遺族が掲げる平頂山事件の解決のために、現在まで地道で粘り強い活動を続けている。以下、その活動のいくつかを紹介する。
2 平頂山事件国際学術シンポジウム
(2)2018年学術シンポジウム
川上詩朗弁護士から、この一年間に日本国内でおこなわれた実行委員会 の連続講座のとりくみが紹介された。中央大学 名誉教授の姫田光義 さんから「撫順を世界記憶遺産に」という提案がおこなわれた。また、井上久士さんから「平頂山事件の実行者はだれか」という実証的な検証をした報告があった。虐殺を実行したのは撫順独立守備隊だと言われているが、200 人の守備隊のうち、100 人は他の場所にでかけていて、留守だった。守備隊の守りも必要なので、平頂山に出動したのは、40 名だけだった。この人数で 3000 人は殺せない。他の動員もあった。撫順の憲兵 隊の動員があった。これは少人数だ。撫順市内の警察署から100 人が出動している。さらに撫順炭坑を守るための炭坑防護隊が組織されていて、ここにも動員がかかった。これは民間人だ。機関銃の引き金をひいたのは、これらの人々であった。これらは組織的・計画的におこなわれたものである、と井上さんは結んだ。中国側からの発表は、撫順の党史研究所の若い研究者・寇嘉慧さんが、満州国 の時期、遼寧省 で平頂山事件以外にも住民虐殺があったことを指摘し、10 人以上虐殺した事件のうち、20 の事件を調査し、日本兵 の心理状況を分析する、という報告があった。
一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊 のことが取り上げられた。
731部隊 で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名 被告
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
被告は、原告らの主張する放射線 の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言 氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線 影響とは認められないと主張します。
そこで、まず、放射線 晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。
被爆 地選出の首相が、なぜ放射能 の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギー の積極的活用を!!
福島原発事故 の写真
8月22日、日本政府は、東京電力 福島第一原発 敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパン は、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省 に、原子力発電所 に反対する署名18,642筆を内閣府 に提出しました。 「放射能 汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省 の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力 は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質 を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピース は8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸 前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物 の海洋放出は、福島第一原発 の廃炉 計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質 は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物 を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発 政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所 敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピース はじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル 固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質 を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピース は考えます。
2023年の「戦争の加害展」の感想
◆9月3日(日)
209, 毎年開催を続けて頂きありがとうございます。
毎年参加することができませんが、より良くまとめられて来られ、何が問題なのかを理解ができるような展示と変化させて来られたことに、頭が下がります。
今後は、より広く若い世代にどう引きつぐか
軍拡の声がいさましい世の中ですが、落ちついて他の国々の市民と手をとりあっていきたいと思います。
関東大震災 100年 虐殺についてその背景も展示頂きありがとうございます。
(60代・市外・ウェブ・-)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、 その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島 毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海 製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海 製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海 分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠 の旧従業員(財務省 所管)および元動員学徒等(厚生労働省 所管)に対する接護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠 の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
化学兵器禁止条約 が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府 は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器 の処理が化学兵器禁止条約 が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府 の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器 は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 7月18日(木)16時~703号法廷
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被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。 原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団 の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/
プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人 」の感想
1995年8月15日
敗戦の日 から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズム を排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆 国としての体験を踏まえて、核兵器 の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮 を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
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原爆投下や東京大空襲 ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶 爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
原爆
19世紀後半は科学の世紀といってもよいほど、歴史的な発見が相次いでいた時期です。私たちの生活に欠かせないレントゲンのX線 やペスト菌 の発見、ディーゼル 機関の発明など、歴史を動かす大発見が続きました。
そうした発見の一つが原子に関する研究の進展です。1938年に発見された核分裂 は、強大なエネルギーを生み出せることから兵器として用いられます。そして、アメリ カのマンハッタン計画 で原子爆弾 という形で結実してしまいました。
本記事では原爆の仕組みやマンハッタン計画 を含む原爆ができるまでの歴史、長崎・広島という2つの被爆 地の被害などについて解説します。
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伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より ●東京帝国大学 伝染病研究所『実験医学雑報』 ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか? ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲 国へ行ったのか? ・満洲 衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか?? ・東大伝研は731部隊 と連携を図っていなかったのか?? ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか?? ・小島三郎の渡満では、満洲 衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか? ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲 」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢 菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市 の爆発赤痢 は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか? ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田 で爆発赤痢 事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。 ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか?? ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。 ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊 の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか? ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊 で細菌に感染して死んだのだろうか?
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
宮川米次
(イ)トラコーマの病原体体としての Halberstadter- Prowazek小体
然るにここに注目すべきことは、名古屋医科大学 の馬島鏡三博士の所説である。同氏は臨床症状がトラコーマと極めて似通っている包括性結膜炎LindnerのParatrachomaに於いて、常にProwazek小体が見出され、真性の トラコーマには本小体は見出されないということである。限科学的知識の乏しい著者には、馬島氏の所見に対して、自己の見解を述べることの出来ない事を甚だ遺憾とするものであるが、同氏は臨床上真のトラコーマは慢性の肉芽性炎であって、余り強い炎症はない。又メヤニは沢山出ないと言うておられるが、包括性結膜炎は炎症が強く、且つ伝染力も強い。メヤニにも結膜細胞にも常に本小体が見出されるが、真性トラコーマには、これを見出すことは出来ない。為にProwazek小体は包括性結膜炎の病原体と言い得ることが、トラコーマのそれと言うには、両病症が同一なりと決定せらるる迄は、断定しがたいと言うておらるる。これをここに記して置きたい。
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇 主権の明治憲法 下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
Ⅱ
天皇 の最後の望みは、「国際平和」に基づいた外交を行うことだったが、それはワシントン条約 体制の肯定、その現状維持ではなかった。彼が言及していたのは、侵略によって満州国 を建国した後の新たな事態に対する現状維持だった。「帝国」はいまや新たな領土を併呑(へいどん)したが、日本は、依然、経済的にはその主たる批判対象であり、敵対者である英米 勢力に依存していた。この状況下、天皇 は、当然ながら英米 との新たな摩擦を避けようとしていた。それゆえ、満州 併合が「平和的」でなければならないことについて熱心だった。
●日本国憲法 9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争 を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
「戦争をしない、 軍隊をもたない」 という日本国憲法 9条がどうしてできたのか知つていますか。それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
日本はかつて、朝鮮半島 や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。 日本国内では広島と長崎に原子爆弾 が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本で300万人が戦争で亡くなったのです。
※次期戦闘機の輸出が閣議決定 され、色々な武器を自民党 は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!
『 鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
鹿屋海上自衛隊 内にある「鹿屋航空基地 史料館」は、自衛隊 とは全く別の、戦争のコマとされて亡くなった(命令によって特攻に行かされ、現場から上層部に無謀な作戦であると意見しても、全く無視された中で、更に多くの若き兵士たちが犠牲者となった)戦没者 たちの史料館なので、別の場所に移動し、公的機関管理の『平和祈念資料館』(もしくは「平和祈念会館」~鎮魂と平和=憲法 九条を明確にして平和を発信する「庶民のための」資料館)にすればいいとの考えに、ようやく、数十年かけて、たどり着き、まとまってきました。場所は、どこでもいいでしょうが、例えば、(平成の大合併 で鹿屋市に吸収された)串良町 平和公園 内(海軍串良航空基地跡~特攻で363名戦死)でもいいでしょうし、その場合、既に鹿屋市内にて活動している「平和ガイド」の方々も力を合わせていけるのではないでしょうか。
黒井さんのメールより
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。
★感想文
1, 戦争が終わった後も兵士は感情が崩れていたり、戦争がトラウマになっている人が多いと知った。その子どもの子どもの人生もむしばまれるのも悪いと感じた。戦争がなかったら兵士の心をこわれずぼうりょくをふるったり、ずっとふるえることも、その子どもが男へのきょうふなどはなかったと思った。校外学習で学んだけど平和とは戦争がただ終わることじゃないとあらためて感じた。現在もロシア・ウクライナ ・カザで戦争から帰ってきた人も戦争のトラウマがあると思うとかわいそう。私たちがそうならないために戦争をやらないことが大事、やった方、やられた方どちらも。未来は自分たちでつくる!
戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争は集団同士の殺し合いです。
私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。
そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。
戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。
(元・PTSDの復員日本兵 と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争 で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争 や太平洋戦争を体験した日本兵 も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち 、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。