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●映画『終の住処を奪われて
福島原発 被害東京訴訟』 2017年/37分
あれから6年、
原発 事故は未だ収束していない。
福島県 外の避難者は8万人を超え、
その多くが生活の不安を抱えている。だが、国・
福島県 は避難住宅の無償提供を打ち
切るなど、復興の名のもとに避難者を切り捨てる姿勢だ。そんななか、国と
東京電力
の責任を追求し損害賠償を求める、
福島原発 被害東京訴訟が進行中だ。
原告団 長・
鴨下祐也さんの活動を軸に、事故被害を科学的に検証、避難者たちの闘いを追った。
日本は過去を反省すべし!!
NO WAR!!
あらゆる紛争を、武力ではなく話し合いで解決できないものか??
地球は、戦争と核実験によって壊れかかっている!!
11月17日、ジュネーブの国連本部におけるパレスチナ国連大使のスピーチ
VIDEO
地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発 。
これからの世界が真っ先に取り組まなければならないこと(SDGs)は、
1、核廃絶 (核実験後の除染、核弾頭の処理、原発 全廃、廃炉 作業、核のゴミの処理)
3、武器の廃棄(基地撤去、軍備全廃、環境整備)
※これらを実施するためには、国連改革が必要だ!!【紛争は話し合いで解決する!!、
五大国廃止(拒否権行使撤廃)等】
世界は、放射能 の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT 換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ (TNT 換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリ カだけではない!!世界は核実験・原爆・原発 事故により放射能 で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
世界に拡がる放射能 汚染は、核抑止論 ・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!
第9回「戦争の加害展」(横浜)
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発 をやるつもりなのだ!! 核兵器 廃絶!!脱原発 !!医学者も声を上げよ!! いつ大地震 が起きるかわかりゃしない!!
3月20日 に飯田市 の飯田市 平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊 のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊 の証言が必要です。
昭和天皇 が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇 ・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
市教委が展示したパネル
VIDEO
・山田先生の講演を聞いた人の感想
昭和天皇 が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営 からの命令(大陸指)の発令や、731部隊 の関係者と接触 した三笠宮 からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作 が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
三笠宮 は
回顧録 の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで
満州 の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて
満州 事変を調査するために
国際連盟 から派遣されたリットン卿の一行に、
コレラ菌 を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著
柏書房 p227)
1950年代後半から「紀元節 」(神武天皇即位紀元 (皇紀 )に基づき、三笠宮 自身の父系祖先と伝承される初代天皇 ・神武天皇 が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者 としての立場から「神武天皇 の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節 復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮 は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍 司令部によって設置された、731部隊 と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部 施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍 に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮 ・宮田(竹田宮 は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍 司令官もしくはその直属の部下が731部隊 を訪れる時は、竹田宮 自身が彼らの一行に混じって彼らをエス コートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
入学式の日の丸
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
「香川の子どもと教科書ネット」通信
第68回会議報告より
そもそも
安倍晋三 は、刑務所に入れるべき犯罪者なのに、管 義偉前首相、
岸田文雄 首相は、多くの国民の反対を押し切って「
国葬 」で祭り上げ、さらに、「生前中の功績を讃えるのだ」と言って、犯罪者安倍元首相に、最高位の勲章である「
大勲位 菊花章 頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)」を授与させた。
この勲章は、
天皇 が国事行為の儀式の時につけるもので、重たくて、
天皇 自身難儀をしているそうだが、一般国民で、これを受章したのは、
吉田茂 、
佐藤栄作 、
中曽根康弘 、各元総理大臣に続き、4人目だそうだ。
そもそも同じ人間なのに、差別助長の為に
天皇 に勲章を与え、さらに生前中顕示欲の強い、いわくつき総理大臣のみに与えるこの制度の時代錯誤に驚く。
長周新聞
無傷だった皇居、財閥、軍施設
司会 東京での原爆展キャラバン活動では、都民から東京大空襲 の体験が堰を切ったように語られた。1晩にして10万人が殺された世界的にも類を見ない大惨事であったにもかかわらず、70年目を迎える今も公の慰霊碑も記念館もないことを痛切に訴えてくる人が多かった。東京都民の経験と切実な思いから出してみたい。
A 東京空襲について、一般に死者10万人といわれるが、真珠湾攻撃 から5カ月後の1942年4月の最初の空襲から、最も被害の大きかった1945年3月10日を含めて終戦の日 まで130回以上もの連続的な空襲がやられ、東京都の調査資料には、死傷者・行方不明者は25万670人、罹災者は304万4197人と記録されている。犠牲者の数だけ見ても広島・長崎、沖縄戦 をこえる規模だ。
とくに3月10日の大空襲のように、たった2時間余りで10万人以上を殺すような空爆 は世界中で後にも先にもない。イラク やシリアどころではない惨劇だ。それが「これまで語ることができなかった」といわれる。
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
授与への批判
ルメイが東京大空襲 や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党 ・原水爆 禁止団体・被爆 者などから国民感情 として納得できないという声が上がった。
日中戦争 の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市 にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議 四川省 重慶市 委員会文史資料研究会編『重慶 抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218 回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕 で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日 初版発行:アテネ 出版(3000円+税)
第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!
この映画では、元731部隊 員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
東京裁判 では、日本 軍の上層部で活躍した皇族や 極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊 員、毒ガス部隊員、登戸研究所 員等も戦犯免責にし、アメリ カはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
そして、アメリ カの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判 では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊 関係者はアメリ カの核戦略 に全面的に協力し、被爆 の被害の矮小化を図った。 その流れが、ビキニ、福島、原発 政策へと続き、依然として原子力 村、安保村が日本の原発 ・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇 によって、見捨てられ、戦後、アメリ カの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題 で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人 を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯 となり、厳しく裁かれた。
靖国神社 は、A級戦犯 であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇 が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金 を投じた追悼施設さえない(東京大空襲 等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島 で毒ガスの製造に関わった 被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、 全く補償がない。 アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのが
アメリ カの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は
天皇 の意志によるものだった、ということになる。
731部隊 罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン )
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊 を災害救助隊にすべし!!
VIDEO
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井 の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
珠洲 原発 があったら大惨事であった!!原発 をなくそう!!
未知の断層はまだまだあるのではないか??
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能 汚染!!
反原発 !! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
政府が、東京電力 ・福島第一原発 から生まれた汚染水を処理した水を海洋放出すると決めたのです。
漁業関係者や地元からは反対の声が噴出しました。
事故の経緯や東電のこれまでの対応を踏まえると、処理水放出を不安になる気持ちは誰もが理解できることでしょう。
アンケートから
12月18日(月)
5,今年原爆資料館 に入館しました。2度と無い様できるだけたくさんの方が見た方がよいと思いました。
(60代以上、市内、たまたま)
VIDEO
13、学校で子ども達に伝えてゆくこと、素晴らしいと思います。PTSD の連鎖、大変な事実だと思います。引きこもり、DVとの関連は、あると思います。黒井さんの御活躍期待しています。
(お知らせ、70代以上)
第5章 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み
2006年5月16日の最高裁判所 の決定で裁判は終わった。しかし、日中の市民は、2006年6月5日の共同声明の精神に基づき、平頂山事件の被害者及び遺族が掲げる平頂山事件の解決のために、現在まで地道で粘り強い活動を続けている。以下、その活動のいくつかを紹介する。
2 平頂山事件国際学術シンポジウム
(3)2020 年、2021 年オンライン交流会
2020年からは、コロナパンデミック の影響で日中の往来がかなわず、オンラインで、東京と撫順を結び交流会が開かれた。2020 年は、元国会議員の相原久美子 氏、現国会議員の近藤昭一 氏も参加し、実行委員会の福島豊 さんから「平和のための戦争展のとりくみ」についての報告がおこなわれ、大江京子弁護士からは「2022 年の平頂山事件 90 周年までにとりくむこと」という提起があった。
平頂山事件惨案記念館の黄峰館長から、90 周年にむけてのとりくみとして、 ①展示のリニューアル、②中国各地の戦争記念館の代表を会してのつどいの計画などが提起された。
シンポジウムの成果は、平頂山事件 80 周年記念事業のひとつとして、2015 年に「平頂山事件資料集」(柏書房 )にまとめられ発刊された。また 2022 年 8 月には、井上久士駿河台大学 名誉教授の研究成果が、「平頂山事件を考える-日本の侵略戦争 の闇」(新日本出版社 )にまとめられて刊行された。
一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊 のことが取り上げられた。
731部隊 で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名 被告
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。
本件は、初期放射線 の外部被ばくではなく、放射性物質 による被ばくであることをまず念頭に置く必要があります。
被爆 地選出の首相が、なぜ放射能 の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギー の積極的活用を!!
福島原発事故 の写真
8月22日、日本政府は、東京電力 福島第一原発 敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパン は、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省 に、原子力発電所 に反対する署名18,642筆を内閣府 に提出しました。 「放射能 汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省 の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力 は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質 を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピース は8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸 前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物 の海洋放出は、福島第一原発 の廃炉 計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質 は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物 を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発 政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所 敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピース はじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル 固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質 を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピース は考えます。
2023年の「戦争の加害展」の感想
◆9月3日(日)
210, 「はだしのゲン 」を小学生のときに読んでいました。戦争では人の命、尊厳の全てが失われると理解していました。その後、中学・高校・大学と進み、社会人となりましたが自ら積極的に情報を選びとっていかなければ、戦争の加害の記憶は無かったことにされ、本気で虚こうだと信じるのが普通になっている時代になってきていること感じます。
この展示会にあたっては、無知な人、おろかな人によって批判されることもあると思いますが、それは正当な批判にはあたりませんし、引き続き後世のために展示を続けていただきたいと強く思います。
また、私自身に、この時代にできることを考え関わっていきたいと思います。心から応援しています。貴重な知る機会をいただき、ありがとうございました。
(30代・横浜市 内・東京新聞 ・-)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、 その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島 毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海 製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海 製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海 分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠 の旧従業員(財務省 所管)および元動員学徒等(厚生労働省 所管)に対する接護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠 の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
化学兵器禁止条約 が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府 は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器 の処理が化学兵器禁止条約 が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府 の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器 は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 7月18日(木)16時~703号法廷
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被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。 原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団 の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/
プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人 」の感想
2、関東大震災 時の朝鮮人 虐殺について、まだまだ知らないことがあることを痛感しました。そして現代の日本社会で、この問題を再認識して深く掘り下げることが必要だと感じました。監督のお話を聞き、自分も勉強をし直してみようと思いました。(60代、横浜市 内、友人)
1995年8月15日
先の大戦 が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
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原爆投下や東京大空襲 ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶 爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
原爆
原爆とは
原爆とは原子爆弾 の略称で、核兵器 の一種です。核兵器 とは人為的に核分裂 反応を引き起こし、そのエネルギーを利用した爆弾を指します。後に、原爆よりもはるかに強力な水素爆弾 が開発されました。
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伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より ●東京帝国大学 伝染病研究所『実験医学雑報』 ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか? ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲 国へ行ったのか? ・満洲 衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか?? ・東大伝研は731部隊 と連携を図っていなかったのか?? ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか?? ・小島三郎の渡満では、満洲 衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか? ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲 」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢 菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市 の爆発赤痢 は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか? ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田 で爆発赤痢 事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。 ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか?? ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。 ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊 の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか? ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊 で細菌に感染して死んだのだろうか?
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
宮川米次
(ロ)第四性病の病原体
宮川小体に関する新知見は、昨年度4か所に於いて補遺せられた。その1はドイHamburgのNauk(Areh.Sehiff.Trop. Hyg Xli.1937 ) & Malamos(C.f.Bact.143,1938) の報告であった。角膜細胞の組織培養によって、精細なる追試を為し、極めて美麗なる標本を得られて、宮川小体を病原体なりと断言しておるのである。その2は、フランスパリの Levaditi en ColIaboration /の所見であって(Travaux Decembre 1937-1938)広汎なる記載を発表しておる。氏は同国に於けるこの方面の最高権威であって、組織培養並びに塗抹標本に於いて宮川小体を検出し、やはり病原体と断じているのである。その3は英国のこの方面の権威 Findlay, Mackenzie & Mac Callum(Nature cxli, 1938) の所見で宮川等のそれを裏書きしている。即ち病原体の多さ、染色上の特性、マウス脳に於ける所見等全く一致している。
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇 主権の明治憲法 下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
Ⅱ
犬養暗殺の10目後、天皇 は老齢の海軍大将斎藤実 を首班に任命した。斎藤は、内田康哉 外相、高橋是清 蔵相、新官僚 の指導者である後藤文夫農相、荒木貞夫 陸相 、海軍大将岡田啓介 海相 らからなる挙国一致内閣を組閣した。この内閣は、1934年7月、帝国人絹株式会社をめぐる贈収賄 スキャンダルで崩壊するまでの2年余りに、国会を4会期切り抜け、たび重なる閣僚交代を行った。この間、斎藤は満州国 建設、日本の国際連盟 脱退、そして政府機構の部分的再編を指揮したのである。
●日本国憲法 9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争 を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
第2次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。その直後に、日本の平和憲法 は生まれました。日本、アジアそして世界の人びとに対する「2度と戦争をしません」という誓いとして憲法 9条は誕生したのです。
同時にこの憲法 は、民主主義の憲法 でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人びとが平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。
中米の国・コスタリカ も平和憲法 をもっています。コスタリカ は1949年、軍隊を廃止しました。軍隊の廃上によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカ に攻め入ろうと考える国はありません。
※次期戦闘機の輸出が閣議決定 され、色々な武器を自民党 は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!
『 鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
戦後、長い間、自衛隊 に取り込まれてきた史料館を、今ここで取り戻して、別の場所に新設することは、極めて実現可能性の高くない事柄なのかも知れません。しかし、沖縄南部地域の戦没者 遺骨の混じった土砂を辺野古 新基地建設の埋め立てに使うことに対して強い反対の声が起きているのと同様に、戦没者 たちを、 生者のエゴ(利益や勢力拡張・好戦的姿勢等)のために利用することは、戦没者 たちを踏みにじり、冒涜することであるということを改めて明らかにしたいと思います。そのためにもまず、「鹿屋航空基地 史料館」をご見学していただき、そこが、いかに歪められたものであるかを、ご認識していただきたいと願います。
黒井さんのメールより
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。
★感想文
2, 戦争は兵士の家族にも影響を及ぼすことを知った。戦争はたくさんの被害があるとは知っていたが、そのトラ ウマは子どもたちにも受け継がれていたことが驚きだった。これは昔のことではない。今の悲惨な現状。黒井さんが伝えたかったことは「戦争をしない、させない」「命を大切にする、させる」こと。世代を超えてそんな世界をつくること。
私はある個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で兵士の道を選ぶことは尊重します。
しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、徴兵なり集団多数の意見なり、集団の長なりの意思に強制されて兵士にされ戦場に派遣されることは受け入れることができません。真っ向から反対します。支持できません。個人の自由意思はどんな場合でもどんな時でも尊重されるべきと思います。
そのことが民主主義の根本条件と思います。
(元・PTSDの復員日本兵 と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争 で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争 や太平洋戦争を体験した日本兵 も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち 、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。