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日本は、きちんと戦争遺構を保存すべきだ!!
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りこんでいき、地球の裏側の中国にまで達するという最悪の事故のこと。
【あらすじ】 人気TVキャスター、キンバリーはカメラマンのリチャードと、原子力
発電所 の取材中に恐るべき “事故”を偶然フィルムにおさめる。しかしTV局は何
故か放送を禁止してしまう。ベテラン技術者のジャックは、その“事故”の際の立役
者となるのだが、“事故”に疑問を抱く彼は何者かに命を狙われはじめる。そして彼
らはそれぞれの立場から、背後にうごめく巨大な陰謀に迫っていく。(1978年・120
分)
1985年8月12日 日航 123便 墜落!!
多くの同僚をこの事故で亡くした元日航 客室乗務員が、事故原因に疑問をもって書いた本より
日航 123便 墜落の新事実
―目撃の証言から真相に迫るー
元日本航空 客室乗務員
青山透子著(2017年出版)
省庁の名称や職業、役職、()の年齢はすべて事故当時のものとします。
序章 あの日に何が見えたのか
さらに上野村 役場から救急車で2時間近くも揺れるのは大変危険だと判断をした饗場医師は、子ども2名を再度別のヘリに乗せたのは14時20分と記録されている。前日の18時56分28秒に墜落してから、すでに20時間が経過していた。なお、生存者は川上慶子さん(12歳)、吉崎美紀子さん(8歳)、吉崎博子さん(35歳)、落合由美子さん(26歳)の4名である。
日本はアジアを侵略した!!それを賛美する靖国 になぜ参拝するのだ!!侵略戦争 の反省はないのだろうか?
自衛隊 の訓練によって国民は殺される!!
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ガザの子どもが描いた絵!!
「検問所」
検問所の前で門が開くのをたくさんの人が待っています。
1人の男性が監視塔の兵士に向かって
「私たちはここを通りたいんだ。封鎖をやめてくれ」と叫んでいます。
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元船員らを支援している高知県 の団体によると、ビキニ事件では、高知県 の漁船だけでも約2000人の乗組員が被災したと推定しています。
一方、国は「第五福竜丸 」以外の漁船員の被ばくによる健康への影響は、認められないとしています。
15歳のときに被ばくした柳原さんですが、それを周囲に語ることはありませんでした。
差別されることをおそれ、妻にさえも50年以上、打ち明けられなかったといいます。
9条を世界へ拡げよう!!
人の命を奪い、自然破壊をもたらす戦争をストップさせることを真剣に考えよう!!刻一刻と地球は壊れていく!!人間も壊れていく!!
●日本国憲法 9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争 を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。
武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、とくに軍事力を増強していくことは、私たちにとってまったく無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用したほうがよっぽど有効だと思います。
―フィリピン、60代・男性
※日本は目下、戦闘機等を輸出しようとしている!!
何とか歯止めをかけなければ!!
NO WAR!!
あらゆる紛争を、武力ではなく話し合いで解決できないものか??
地球は、戦争と核実験によって壊れかかっている!!
戦争即停戦!!地球上から島が消える!!
※次期戦闘機の輸出が閣議決定 され、色々な武器を自民党 は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!
黒井さんのメールより
黒井秋夫さんのメールより
問題を解決するのが正義や道理ではなく、戦争が強い事、効果的な暴力を発揮できることが「正義であり道理である」のが現在の世界です。人類の到達した世界です。
私は「戦争のない世界」をめざします。
それはどのように実現するでしょうか。
それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現します。
(元・PTSDの復員日本兵 と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争 で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争 や太平洋戦争を体験した日本兵 も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち 、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。
●映画『終の住処を奪われて
福島原発 被害東京訴訟』 2017年/37分
あれから6年、
原発 事故は未だ収束していない。
福島県 外の避難者は8万人を超え、
その多くが生活の不安を抱えている。だが、国・
福島県 は避難住宅の無償提供を打ち
切るなど、復興の名のもとに避難者を切り捨てる姿勢だ。そんななか、国と
東京電力
の責任を追求し損害賠償を求める、
福島原発 被害東京訴訟が進行中だ。
原告団 長・
鴨下祐也さんの活動を軸に、事故被害を科学的に検証、避難者たちの闘いを追った。
日本は過去を反省すべし!!
謎の骨の山が日本の戦争犯罪 の証拠を保持している可能性があると活動家は言う
11月17日、ジュネーブの国連本部におけるパレスチナ国連大使のスピーチ
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地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発 。
これからの世界が真っ先に取り組まなければならないこと(SDGs)は、
1、核廃絶 (核実験後の除染、核弾頭の処理、原発 全廃、廃炉 作業、核のゴミの処理)
3、武器の廃棄(基地撤去、軍備全廃、環境整備)
※これらを実施するためには、国連改革が必要だ!!【紛争は話し合いで解決する!!、
五大国廃止(拒否権行使撤廃)等】
世界は、放射能 の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT 換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ (TNT 換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリ カだけではない!!世界は核実験・原爆・原発 事故により放射能 で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
世界に拡がる放射能 汚染は、核抑止論 ・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発 をやるつもりなのだ!! 核兵器 廃絶!!脱原発 !!医学者も声を上げよ!! いつ大地震 が起きるかわかりゃしない!!
3月20日 に飯田市 の飯田市 平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊 のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊 の証言が必要です。
昭和天皇 が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇 ・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
市教委が展示したパネル
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・山田先生の講演を聞いた人の感想
昭和天皇 が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営 からの命令(大陸指)の発令や、731部隊 の関係者と接触 した三笠宮 からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作 が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
三笠宮 は
回顧録 の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで
満州 の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて
満州 事変を調査するために
国際連盟 から派遣されたリットン卿の一行に、
コレラ菌 を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著
柏書房 p227)
1950年代後半から「紀元節 」(神武天皇即位紀元 (皇紀 )に基づき、三笠宮 自身の父系祖先と伝承される初代天皇 ・神武天皇 が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者 としての立場から「神武天皇 の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節 復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮 は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍 司令部によって設置された、731部隊 と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部 施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍 に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮 ・宮田(竹田宮 は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍 司令官もしくはその直属の部下が731部隊 を訪れる時は、竹田宮 自身が彼らの一行に混じって彼らをエス コートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌
2024年8月9日
長 崎 平 和 宣 言
核保有 国と核の傘 の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器 が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器 廃絶に向け大きく舵を切るべきです。そのためにも被爆 地を訪問し、被爆 者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そしてどんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。
唯一の戦争被爆 国である日本の政府は、核兵器 のない世界を真摯に追求する姿勢を示すべきです。そのためにも一日も早く、核兵器 禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法 の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器 地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮 に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。
広島・平和式典、公園全体を規制 表現の自由侵害と反発も
この映画では、元731部隊 員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)
東京裁判 では、日本 軍の上層部で活躍した皇族や 極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊 員、毒ガス部隊員、登戸研究所 員等も戦犯免責にし、アメリ カはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
そして、アメリ カの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判 では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊 関係者はアメリ カの核戦略 に全面的に協力し、被爆 の被害の矮小化を図った。 その流れが、ビキニ、福島、原発 政策へと続き、依然として原子力 村、安保村が日本の原発 ・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇 によって、見捨てられ、戦後、アメリ カの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題 で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人 を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯 となり、厳しく裁かれた。
靖国神社 は、A級戦犯 であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇 が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金 を投じた追悼施設さえない(東京大空襲 等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島 で毒ガスの製造に関わった 被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、 全く補償がない。 アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのが
アメリ カの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は
天皇 の意志によるものだった、ということになる。
731部隊 罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン )一日1万人以上の来場者
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊 を災害救助隊にすべし!!
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1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井 の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
珠洲 原発 があったら大惨事であった!!原発 をなくそう!!
未知の断層はまだまだあるのではないか??
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能 汚染!!
反原発 !! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
原爆マグロ
※1954年のアメリ カの水爆実験による日本の被災船は、延べ1000隻に上る。アメリ カは、第五福竜丸 の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。
アンケートから
12月17日(日)
7、今回は娘の希望で、来させて頂きましたが、こういう催しにもっとたくさんの人に見てもらいたいと思いました。
私は家族旅行で、長崎の原爆資料館 、広島原爆ドーム 、沖縄に行ってきましたが、いつも思うことは、一番被害にあうのは、平和に普通に暮らしている一般の人々なんだなと思います。2度とこんなことが起こらない事を願っています。又、早くこんな危険な爆弾などがこの世からなくなる事を望んであります。
(30~50代、市内、ウェブ)
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15、高橋君の「カクワカ」の活動の話に引きづりこまれました。国連での「核兵器 禁止条約」成立の、新しい時代を切り開く希望として正面から受け止めた姿勢に深く感動しました。市民の運動が社会を動かし、世界を動かす展望を語る姿に日本の新しい希望を感じました。
「核兵器 禁止条約への日本参加」を議員に直接尋ねる面会活動を進める「カクカワ広島」の体験談が聴きごたえがありました。この広島からの核廃絶 の取組の中から研究分析による政治の分析は若い世代にできる柔軟で納得できるものになっていました。
(70代)
第5章 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み
2006年5月16日の最高裁判所 の決定で裁判は終わった。しかし、日中の市民は、2006年6月5日の共同声明の精神に基づき、平頂山事件の被害者及び遺族が掲げる平頂山事件の解決のために、現在まで地道で粘り強い活動を続けている。以下、その活動のいくつかを紹介する。
5 「平頂山事件と撫順戦犯管理所」証言と講演のつどい (2010年10月2日月島社会教育会館4階ホール)
楊玉芬
1924年12月20日生まれ。平頂山事件発生当時満7歳。楊さんは父、母、妹の4人家族で、伯父が同居していた。事件当日、写真を撮るといいうことで広場に集められたが、写真機だと思っていたものが機関銃だとわかったと同時に機銃掃射が始まった。父は楊さんを、母は妹をかばった。母は機銃掃射で射殺されたが、父、妹と楊さんは奇跡的に助かった。初来日。
私たちが広場に集められてから日本兵 が立ち去るまで、どれくらいの時間がた経ったかわかりませんが、父が「起きなさい、日本兵 が立ち去った」と言って、私が這い上がったときは、午後5時くらいになっていたと思います。私は父の身体の下からはい上がって、泣きながら母を捜しました。そうしたら、母はすぐそばで、血だらけで伏せて倒れていました。何度も声をかけましたが、返事はしませんでした。母の身体を起こすと、妹が下で気を失っていました。
父に手を引かれて、現場から逃げようとしたとき、周りを見たら死体ばかりでした。死体の山の中で、負傷して泣いている子供が「助けてー」と叫んでいました。泣き叫ぶ声も聞こえました。
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一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊 のことが取り上げられた。
731部隊 で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名 被告
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。
2 本件被ばくにおける放射性物質 の生成量と降下範囲
被告はアメリ カの一部の報告を根拠に大部分の放射性物質 は、成層圏 まで上昇して地球全体にばらまかれてゆっくり降下したとして、高い線量の放射性物質 が降下したのは、ごく狭い範囲であり、第五福竜丸 は特殊だと主張します。また、当時航空機で測定したりした線量ではごくわずかの線量であったと主張しています。
被爆 地選出の首相が、なぜ放射能 の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギー の積極的活用を!!
福島原発事故 の写真
8月22日、日本政府は、東京電力 福島第一原発 敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパン は、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省 に、原子力発電所 に反対する署名18,642筆を内閣府 に提出しました。 「放射能 汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省 の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力 は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質 を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピース は8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸 前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物 の海洋放出は、福島第一原発 の廃炉 計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質 は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物 を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発 政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所 敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピース はじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル 固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質 を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピース は考えます。
2024年の「戦争の加害展」の感想
2024年4月27日(土)~5月5日(日)
◆4月27日(土)
10、学校では、決して教えてくれない、日本軍の残虐な行い…。戦争に動員された兵士達は、野蛮な国から人々を解放するためなどといわれ、戦ったと思うが、自身も極限状態の中で人殺しを行い、人を殺すことを何とも思わなくなっていったのだと思う、許されない事だが。
戦争は、人を狂わす、善人も悪魔と化してしまう。ウクライナ とロシア、ガザでのパレスチナ とイスラエル の戦争(と言ってよいのかわからないが)、台湾有事など軍事的緊張が続いている。
戦争になったら、終わらせるのは、なかなかできない。始めない事がいちばん大切だ。
多くの方に、みんなに見てもらいたい展示です。ありがとうございました。
(60代、市外(川崎)、チラシ)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題 中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、 その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島 毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海 製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海 製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海 分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠 の旧従業員(財務省 所管)および元動員学徒等(厚生労働省 所管)に対する接護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠 の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
化学兵器禁止条約 が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府 は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
先の大戦 で、旧日本陸・海軍は化学兵器 (毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器 による被害が後を絶ちません。
日本は1995年に化学兵器禁止条約 に批准し、1999年以降、内閣府 主導で、それらの化学兵器 を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器 に含まれていた有毒物質のヒ素 が残ってしまいます。内閣府 はこのヒ素 を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討していることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しかし、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も行いましたが、2022年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」
そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日に提訴しました。
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\次回弁論傍聴のお願い/
2024年10月22日(火)11:00〜
被告国側は100ほどの文書について不開示理由を提出してきました(進行状況は大分遅れている!!全部で不開示は335文書、年内には200文書、年度内には残り35文書の不開示理由を出すと言っています)。
弁護団 では、次回に今回出た100文書とさらに追加される文書の不開示理由についての反論を行う予定です。
\次回弁論傍聴の注目ポイント/
先日、「原決定による開示文書には、黒塗りにされているが、不開示理由が添えられていない箇所(=不開示理由がないのだから本来は公開されるべき箇所)などもあり、この件については別途提起する予定」とお伝えしましたが、6月17日に不開示決定がないまま開示されなかったことによって原告の文書開示を受ける権利が侵害されたことに対する損害賠償請求を追加しました。
今回、被告国側はその 損害賠償 請求を棄却しろと主張してきました。
次回の弁論では、国が行政文書の開示原則をおろそかにした対応について原告側は追及する予定です。
\ご支援よろしくお願いします/
【口座記号番号】00120-2-732043
【口座名称】稲垣美穂子(イナガキミホコ)
他行からのお振込み頂く場合:
【店名(店番)】019【預金種類】当座【口座番号】0732043
▼頂いたご寄附の使途▼
・訴訟に必要な事務費用(印紙、郵券、印刷費・参考文献購入費、会議費など)
・専門家の意見書執筆費用
・弁護士費用
1995年8月15日
先の大戦 が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
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原爆投下や東京大空襲 ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶 爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
原爆
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伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より ●東京帝国大学 伝染病研究所『実験医学雑報』 ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか? ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲 国へ行ったのか? ・満洲 衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか?? ・東大伝研は731部隊 と連携を図っていなかったのか?? ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか?? ・小島三郎の渡満では、満洲 衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか? ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲 」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢 菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市 の爆発赤痢 は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか? ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田 で爆発赤痢 事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。 ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか?? ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。 ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊 の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか? ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊 で細菌に感染して死んだのだろうか?
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
宮川米次
この事実と、強力なる電気の作用によって原子核 が甲より乙に移動すると言う事実と思い合わせてみると、原子は物質構成の単位で確固不動であると言う観念は改めなければならないことになった。然もあらゆる原子の基礎的数値の核と思われている水素原子に於いて、既にそうであるから、今日迄水素原子を1(1.0078)と見做してきた多くの化学的計数には多少の誤差があるというてもよい様に迄思われている。
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇 主権の明治憲法 下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
これからの日本は「自衛」のためではなく、むしろ、昭和天皇 の大御心を広げるために行動しなければならない、それは、道徳的に優れた社会を満州国 に建設することによってもたらされる。満州 では「五族」が「『王道』の原則」に従い階層的な「協和」のもとに生活するのである。彼らは、そう主張した。
満州国 を正当化した新たな国家イメージは国家信仰という性格に加えて、ドイツのナチズムやイタリアのファシズム と似ていた (後者には、天皇 崇拝という日本人の政治信仰に相当するものをイタリアで求めたという側面があった)。1933年、1万8000人の反体制の人々が逮捕され、多くの左翼指導者が転向を強いられると、日本の共産主義 運動はたちまちのうちにすべて弾圧されてしまった。